いぬくそ看板の向こう側

いぬくそ看板の背景に存在する「人間ドラマ」を紹介するブログです。

いぬくそグッズ その1

2020-04-25 10:05:00 | ブログ概要
今のブログの流れとしては、いぬくそ愛車遍歴を語っています。でもその流れを無視して宣伝させてください。

マニアブログフェスタの出し物の一環として、マニア達が作った珠玉の逸品が「マルシェル by goo」で購入いただけるようになっています。私うんこ看板もグッズをご用意しておりますので、よろしければ御覧ください。

■出品商品:いぬくそマグネット

大きさはW40×H40×D4mm。印刷面のあるアクリル部分と、シートマグネット部分によって構成されております。

フォードKa その2

2020-04-19 11:00:00 | 背景はクルマ
いぬくそ看板物語(3)

2014年7月26日、大阪市城東区にて。 
この写真は、Kaのおかげで行動範囲が広がった頃に撮影したものである。この時期より前は、あくまで「看板」を撮影していた。看板ではなく「いぬのフンの片付けを促す」メッセージに注目し始めたのがこの頃なのかもしれない。

当時の生活は不安定だった。パソコン出張サポートの仕事はあったものの、行動範囲が広がった分、出張範囲も無駄に広がり、効率の悪い仕事をするようになってしまった。一応、親方に付いて正社員として扱ってもらっていたが、そもそも給料が少なかったため、全く当てにできなかった。何か副業をしなければ。切実な問題であった。

副業として目指したのが何故かライターだったのである。今までのこのまとまりの無いブログを見て、私がライターを目指していたなど信じられないと思う。しかし、月刊宝島の読者投稿コーナー「VOW」への憧れが捨てきれず、軽い気持ちで活動を始めることとなった。

まずはブログの開設。まだ消さずに残してある(気にするほどじゃないけれど)。デイリーポータルZの読者投稿に何度か紹介していただいたが、それから先が続かなった。編集会議がやっているライター講座も通った。こちらも講師と仲良くなれず、ライターへの道を切り開くことはできなかった。結局、残骸みたいなブログとライター講座受講料の借金だけが残った。


2011年7月11日、京都市伏見区にて。
いぬくそ看板の「看板」そのものではなく、いぬくそ看板を「現象」として見る。これが重要なのだ。この写真のように、既製ではなく手書きの(おそらく子供会とかに作らせた)ものを設置する意図は何か。そこまで見抜けないと、そもそも伝えるメッセージが弱くなる。物事の本質の大切さと、それを見出すことや伝える事に課題がある事を学んだ時期であった。

「ライターを目指す」事は、この後もダラダラ続けるのだが、現状を見れば推して然るべしである。結局京都での生活は経済的に破綻してしまい、実家に逃避することになった。実家に帰ってしばらく後、フォードKaともお別れとなる。いぬくそ看板は役に立っているが、私のこの時期は全く無駄な数年間であった。

フォードKa その1

2020-04-18 15:30:00 | 背景はクルマ
フォードKa

■諸元
車名:フォード・Ka
駆動方式:FF
エンジン:エンデューラE 直4OHV 1.3L 60PS
変速機:5速MT
大きさ:長3660×幅1640×高1400(単位mm)
ホイールベース:2450mm
車重:940kg

■どんなクルマ?
欧州フォードが1996年から販売しているAセグメント車(軽自動車並みの小型車)である。欧州車らしいミニマムで質実剛健かつ小回りの利くモデルだ。初代モデルは外装内装ともに、当時フォードが提唱していた「ニューエッジデザイン」に基づいた丸みを帯びた独特のスタイル。ひと目見たら忘れられない印象的なデザインが魅力だ。

■フォードKaとの出逢い
2011年の初夏だっただろうか。2度の物損事故のせいで1秒でも早く廃車にしたかったスバルプレオ。愛が冷めきったプレオから乗り換えるクルマを探していたが、当時はお金が無かった。そんな時に目をつけたのがイタリアやフランスのクルマ(イタフラ車)だ。

中古市場では故障が懸念されるイタフラ車が安く、特に需要の無さそうなマニュアル車は小学生のお年玉でも買えそうなタマも結構あった。だから近所のイタ車専門店を何となく眺める事が多かったのだが、ある日、丸っこい妙な形をしたクルマを発見したのだ。お店の人に聞いてみると、フォードのクルマと言うではないか。当時のわたしは、フォードと言うとアメ車らしいマッスルなイメージしか持っていなかった。この瞬間、欧州フォードの存在をはっきり意識したのである。

値段は驚くほど安かった(当時の最新型iPhoneより低価格)。ドアがヘコんでいたり、ブレーキローターが消耗していたり、中々の瑕疵を抱えたタマゆえの事だ。今の私なら、その後の高額な補修代を考慮して購入は見送っていただろう。だが、プレオの呪縛から逃れたくて仕方がない当時の私は、そんな懸念を頭の隅っこで捻り潰し、勢い任せでフォードKaを契約してしまったのだ。

■Kaの魅力
このクルマに乗り換えたあたりから仕事のフィールドが広がった。京都周辺を彷徨いていたのが、北大阪一体と滋賀あたりをカバーするようになった。こうなると46PSの非力なプレオではストレスが溜まってしまう。良いタイミングでKaに乗り換えることが出来た。

60PSというスペックは大したこと無いように見えるが、46PSからの比較なので相当パワフルに感じた。低回転でもトルクが太めて運転しやすく、半クラッチ時にアクセルを踏まなくてもエンストしないのが嬉しかった。パワフル過ぎないのも良い点で、アクセルを踏み抜く楽しさをしっかり味わう事ができた。小さくカワイイ見た目の割には重めのステアリングもスポーティで好きだった。

一番の魅力は独特のフォルム。クルマ全体が丸いのではなく、ボンネットとそれ以外が別々に丸っこい感じに、おもちゃのようなキッチュさを感じて愛おしくなる。それでいてホイールベースの長さを実感させてくれるデザインに安心感も同居している。このデザインポリシーはフォードの不振が続いたせいで長く持たなかったが、その分愛着がより増すような気もする。

Kaのおかげで長距離移動が苦でなくなり、いぬくそ看板の収集範囲が一気に広がった。どんどん広がるいぬくそ看板への興味は、Ka無くしては語れないのである。

(つづく)

スバルプレオ その2

2020-04-12 16:30:00 | 背景はクルマ
いぬくそ看板物語(2) 

2010年1月18日、京都府宇治市にて。 
この写真は、初期のいぬくそ看板撮影のスタイルが確立された頃のものである。当時は「クルマに乗って看板を撮りに行く」事によって、各地の看板を観察していた。

私は会社を辞めてニューパンダを手放した後、しばらく京都で特に何もせずフラフラしていた。そもそも会社を辞めたのは、会社の元上司に誘われて起業するためだったのだが、信じられないことに1ヶ月くらいで計画が頓挫。私はそのまま素浪人になってしまったのだ。

その後、なんとかパソコン出張サポートの仕事を得て糊口をしのいでいた。1ミリも乗りたくない軽ボンバンを駆り、京都大阪の各地をうろつく中で、気づいたことが2つあった。

ひとつは、コストダウンは必ずしも正解ではない事。予算不足でギリギリ買えたプレオ。好きではないクルマを乗り続ける事は苦痛で、一日も早く乗り換えようとしていた。人はつらい状態にいると、「努力」するのではなく「逃避」するのだ。その気持が無意識のうちに事故を誘い、2度の物損事故に懲りてこのクルマを処分することになる。

もうひとつは、いぬくそ看板が地域によって違いがある。また、各地に設置されている事だ。それ以前も写真に撮っていたが、この看板の地域性のようなものに注目しはじめたのは、各地を転々とするパソコンサポートの仕事の賜物だろう。これがきっかけではないが、筆不精のくせにライターを目指すようになったのもこの時期だ。

私をピンチに追い込むのも、チャンスを招くのも、クルマでありいぬくそ看板なのである。

スバルプレオ その1

2020-04-11 00:00:00 | 背景はクルマ
スバルプレオ

車名:スバル・プレオ(グレード:A)
駆動方式:FF
変速機:5速MT
大きさ:長3395×幅1475×高1550(単位mm)
ホイールベース:2310mm
車重:890kg

スバルが1998年に発売した乗用軽自動車。スズキワゴンRから始まった軽トールワゴンの流行に追随するべく開発された。一方で、スバルヴィヴィオの後継としての側面もあるため、車高は他社トールワゴンより控え目だ。

重心が比較的低いため、スポーティグレードも用意しやすかったらしく、ヴィヴィオに設定されていたRX-Rを引き継ぐ「RS」グレードも存在している。スバルの軽に特徴的なパワフルでレスポンシビリティに優れたスーパーチャージャーを存分に生かしたモデルと言える。

私が乗っていたのは、RSグレードではなく、ラグジュアリーなLSグレードでもなく、商用のAというグレードだった。動作性能に優れた4輪独立懸架ではあったが、そのポテンシャルを全く活用できない非力なエンジン。車重890kgと軽量でありながら、高速道路の坂道ではミッションを3速に入れないと走ってくれなかった。商用グレードなので内装が質素、というより貧相。エアコンの調子も悪く、とにかく乗るのが苦痛だった。

しかし、このクルマが無ければ、私はいぬくそ看板の魅力に目覚めることはなかったのである。

(つづく)