カーテン&リノベーション スタッフ奮闘日記

快適な住まいづくりのお手伝いを第一に考え、日々、当社スタッフ達が色々な現場で経験した事、日記にして行きます!!

たかがカーテン、されどカーテン②

2008-07-22 16:18:48 | Weblog

50年前の厚地カーテンの糸は、殆どがレーヨン(人絹)かスフ(ステープルフアバー)糸

を使っていました。まだポリエステルが無かった時代です。

これらは重くて洗うと縮むし、縫い上げて吊すと二日経ち一週間ぐらい経つと

2,3㎝くらい伸びたりしました。それを想定して(窓に掛けるのは良いとして)

掃きだしのカーテンは心持ち短めに作ったものです。

いまは綿プリント以外は黙っていてもエステル100%が主流、

そこへプリーツ加工でセットするので伸び縮みの心配は激減したようです。


たかがカーテン、されどカーテン ①

2008-07-15 17:39:14 | Weblog

カーテンを扱って、もう50年を過ぎました。

その頃は厚地の方は横糸は、太番手の糸か特紡糸(軍手に使っている太い糸)

を使ったざっくりとして厚い手持ちのある生地でした。

無地のカーテンは金ラメ入りの葡萄の実と葉っぱをあしらったジャカード織りとか

唐草模様で、色はグリーン、金茶、ローズの三色位

これを二節織り(にせつ)と言い、

柄物は風景柄のゴブラン織り二、三柄位で 種類はそんなに多くなかったです。

 一㍍巾一反50㍍の生地が産地から送られて来ると

柄別に井桁に組んで背丈位に積み上げ、

大阪市内、近郊の小売店さんに配達に廻ったものです。

当時の小売店さんは、一反ずつ仕入れて切り売りしていました。

多くの消費者」は、テープや金具の付属を買い、自分の家でカーテンを縫ったものです。

戦後10年、漸く敗戦の混乱がおさまり、住宅がぼつぼつ建ち始めました。

これからカーテンが売れるやろ、カーテン屋になろう、と決心したのがこの頃です。

洋反物各種繊維卸商から変身です。大阪市東区南本町3-6