いの町ファンクラブ

いの町の一層の発展と交流をめざして

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町編

2011年02月15日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ(連続でみる)

 

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・倉敷掲示板・インターネット情報~素材と人口 その2

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・倉敷掲示板・インターネット情報~素材と人口

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その14) 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その13)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その12)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その11)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その10)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その9)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その8)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その7)

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その4)

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その2)

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その1)

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その10)

2011年02月05日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その10)

 

 

                        大国町通り

 

                        西町・元町通り

 

                        大和・元町通り

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その9)

2011年02月05日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その9)

 

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その8)

2011年02月05日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その8)

 北岡義文邸~西町     

   建築年代は大正10年で、当初は酒屋を営んでいた。
 主家の屋根は下屋を持つ切妻形式の平入りで、
 屋根材は浅瓦である。間口の狭い短冊型の同一敷地内に、
 主家以外にカマヤと2棟の蔵を持ち、それらが接道面に
 立ち並び敷地内で美しい町並みを形成している。
 現在は、解体され駐車場になっている。

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その7)

2011年02月05日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その7)

 檜山寅吉邸~本町

  建築年代は江戸時代後期で、酒屋を営んでいた。
 町屋の構成は二列二室(列ごとの機能を明確にする)の
 プランを持つ主屋に、カマヤが角屋形式で接続し、
 中庭をはさんで酒蔵が配置されている。

宮崎 綾邸~藤町

  建築年代は大正10年で、当初は紙問屋だつた。
 道路側から主家・カマヤ・附属屋・蔵そして、客殿が別棟で
 配置され、主家から濡縁で連絡している。蔵造り形式で
 一階は下見坂、なまこ壁、物見格子、二階は防火的な
 塗り戸から構成される漆喰塗籠造りで、軒懐も垂木を
 覆い直線的に分厚く塗り籠めている。
 壁は黒塗りに仕上げられ、より重厚に、
 大正期の代表的な町屋といえよう。 

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その6)

2011年02月05日 | いの町の見どころ・自然・四季

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田所甫彦邸~大国町 

   建築年代は明治江戸後期で、
  当初金物屋で明治入って米屋を営んでいた。

三宮敏博邸~藤町

  建築年代は江戸時代後期で、紙問屋を営んでいた。
 間口が狭く、奥行きの深い形状で主屋・カマヤ・便所・客殿が別棟の別棟形式の町屋である。 

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その5)

2011年01月30日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その5)

 

 土居庄助邸~大和町

  建築年代は明治22年で、屋号「見付」の紙問屋。
  日本紙業㈱の前身、丸一合資会社を創立した
  土居馬次郎が建てた。
  二方を道路に面し、間口が狭く奥行きが深い
  敷地に建っており、前面から主屋・客殿・カマヤ
  (台所)・附属屋(便所・風呂場)そして蔵が
  別棟で配置される分棟形式の民家である。

矢野春子邸~元町

    建築年代は明治後期で、
  日本紙業の問屋として活用。
  店と隣接して蔵が建っている。
  店の部分の屋根は下屋を持つ切妻形式の
  平入りで、対照的に蔵の屋根は
  寄棟形式の妻入りである。

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その4)

2011年01月28日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その4)

水環境と石垣

  大国通りは仁淀川の河港が近くにあり、商業の中心地区
 なため住民が私費を投じて、地盤をかさ上げ(3m程)して
 いる。江戸後期に布積みの技法で石垣を築造している。
 『石積みの技法:野面積み(転石や掘出した小さな石を
 積上げる)、あいかた積み(不整形な石を相互に隙間無く
 積む)、布積み(正形の石を積上げる)。
 石質:石灰石かチャート(地層の幾重にも重なった硬い石)』
 山本・西内・田所・片岡邸の敷地にまたがる石垣がある。
 石質は石灰石。⑧の北岡邸の石質はチャートである。

 

上田智資邸~屋根

   建築年代は明治20年で、有力な紙問屋であった。
 二階建ての主屋と平屋建の客殿で、並んで接し一つの
 町屋を形成している。間口は10間にも及ぶ。
 主家の屋根は下屋を持つ切妻形式の平入りで、屋根材は
 浅瓦となっている。客殿は屋根が下屋を持つ寄棟形式の
 平入りの浅瓦葺となっている。間口は6軒。間仕切りの
 小壁には凝った欅の一木彫りの欄間がある。

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その3)

2011年01月28日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その3)

 

   

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     吉井源太翁の功績  
  文政9年(1826)、吾川郡伊野村生まれ。    
 家は代々御用紙漉きで、幼少より俳諧、南画を学ぶ  
 裕福な少年時代を送りました。紙漉きには並々ならぬ  
 情熱をもって打ち込み、まず初めに大型の簀や桁を発明。
 紙の生産量を倍増させ、発明の連続で新製品の抄出に
 成功、「紙の伊野」の基礎を築きあげた。    
               
  維新後、製紙に関する藩の束縛統制の撤廃によって、
 水を得た魚のように活躍を始めます。      
 明治初年には、楮、三椏、雁皮混合の大小半紙といった新製品
 を各種開発、さらに、経済性・防虫のため米糊に代え  
 白土の使用を始めました。        
               
 また、精巧な典具帖紙の抄造など、数々の改良や技術の発明を
 世に送り出すとともに、最期まで、全国の製紙技術の指導に  
 全力を尽くしました。          
 その業績は、日本国内はもとより、アメリカをはじめ、  
 諸外国に広く認められています      
               

吉井源太翁の富嶽の絵馬
                    椙本神社所有

   
 明治23年(1890)の作品で、奉納絵馬。
 翁は半仙と号し、日本画、俳諧を嗜み、
 楠瀬大枝のち徳弘薫斎に南画を受けてよく
 山水の密画を残し、特に富嶽に優れていた。
 絵馬には珍しい南画で、一種の風格を備えた
 異色の作品である。
 市の有形保護文化財である。

 

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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その2)

2011年01月25日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その2)

 

地区別 町並みの建築年代

大国通り:
  江戸時代が2棟、明治時代が9棟、大正時代が5棟、
  昭和初期が2棟。上田邸は明治20年、尾崎知正邸・
  町田年喜邸は江戸時代の建築である。
西 町通り:
  江戸2棟、明治14棟、大正5棟、昭和3棟。
  江戸時代の建築は片岡定行邸(紙の原料屋)・
  田所甫彦邸(米屋)
元 町通り:
  江戸2棟、明治3棟、大正5棟、昭和初期6棟。
  江戸時代に建物は森木茂彦邸・藤本治平邸(紙問屋)
本 町・大和町通り:
  江戸3棟、明治17棟、大正7棟、昭和初期5棟。
  江戸時代の建築は檜山寅吉邸(酒屋)・
  新谷米穀店(番所)・三宮敏博邸(紙問屋)

 

町屋立面の意匠的特色

  町屋の意匠は、京都を中心とする洗練された町屋と
 地方性を帯びた意匠構成にある。
 外部構成は、格子や虫籠窓に見られる一般的な町屋の
 様式に加え、外壁が塗籠であり、
 軒懐まで漆喰で固められている。
 また妻面や蔵に見られる水切り瓦は、厳しい気候風土に
 対する特色である。
 機能的だけでなく、装飾として使われていた。
 明治後期から大正期にかけて、海鼠壁(なまこ壁)が
 使われるようになり、防火機能を備えるようになった。

外壁と塗籠

  江戸から明治に造られた町屋は正面外壁を塗籠で
 仕上げている。規模の大きな町屋では、軒懐まで
 塗籠めている。
 台風の頻繁にくる高知県では、土塗では抵抗できず
 しっかりとした漆喰で塗籠めた塗屋造りにしている。
 一方、平入り町屋の妻側部分は、外部に露出している場合、
 平側と同様に外壁及び破風付近(母屋・棟木を含む)は
 塗籠られているが、腰の部分は板壁であることが多い。
 それは水処理に関連して、腰から下も漆喰で仕上げると
 外壁が水を吸収してしまうから。

土佐の建築と長州大工の活躍

 建築工匠の系譜として、一豊入城に伴い遠州掛川から
 同行した大工が重要な建築物を手掛け、
 郷土の大工を育てた。
 更に近世末期に長州大工が出稼ぎで北部山間地域を
 中心に、明治20年以前の神社・仏閣・民家の殆どの
 建築を手掛けている。
 建築様式に大きな影響を与えている。

    ~土佐の民家の特徴~
 ① 台風に対して屋根を小さくする。
 ② 屋根を二段に分けそれぞれ別軒樋で雨水を処理
 ③ 二階建の棟高は低く、床が高い。床下通風の配慮
 ④ 戸障子は三本溝。柱は四寸角で構造材が太い。
 ⑤ 外壁は土佐漆喰塗りや板張りの大壁であり、腰は
    板張りや平瓦貼りで防水対策が行き届いている。
 ⑥ 深い軒を巡らし雨と日差しを遠ざけている。
 

       水切り瓦
 壁面が直接雨にたたかれるのを防ぐ方法として、
 水切り瓦がある。厳しい気候風土から
 幾段もの小庇を設けて壁を守っている。

     格 子
 物見格子(三宮邸)、京格子(上田邸)

     海鼠壁(なまこ壁)
 方形の平瓦を並べ、目地に漆喰を盛り上げの方法。
 主に主屋にて展開。

     幕 板
 庇(ひ)の下に幕板が取付けられた町屋が4棟ある。
 日中は店先を開放しているため、
 雨や風から店先を保護する。

 

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