タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

五智如来 (五大明王) のモデル・・・

2023-07-11 23:00:11 | 日記

密教の、五智如来 (五大明王) 。

中央、大日如来 (宇宙の理法そのもの。法界体性智=ほっかいたいしょうち) 。教令輪身 (きょうりょうりんじん) は、不動明王。

人ではなく、あくまで「観念の仏」。他の宗教との関連性では、

ウィキより・・・

マハーバーラタには、太陽神ヴィローチャナ・アスラ王ヴィローチャナを同一視している箇所が32例ある。・・・宮坂宥勝高野山大学)は、『マハーバーラタ』における第二の場合、すなわちVirocana、VairocanaとAsuraとの結合については仏教諸経典についてもこれを認めることが出来る。例えば『雑阿含経』には「鞞盧闍那阿修羅子婆稚」とある。また、初期仏典の累層的発展形態を示す密典の一つの『仏母大孔雀明王経』には「微盧遮那薬叉」とあり、同経梵本ではVirocanaの異名をYakṣa夜叉)としている。『大海経』(Mahāsamamayasutta 大三摩惹経)にはVerocana(=skt. vairocana)がAsuraの別名Rāhuとして、森の法会(Dhammasamaya)において釈尊を讃歎するやちおろずの神々のひとりとして登場する。— 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.16。

中村元は、「ヴェーローチャナ -Verocana.本文の中ではこのように表記されている。=skt.:Vairocana.もとは太陽を意味する語であった。この語が大乗仏典に取り入れられると、毘盧遮那、大日如来となる。これに詳しい研究としては『VirocanaとVairocana ―研究序説』(『渡辺照宏仏教学論集』筑摩書房、一九八二年、四〇五-四二六ページ)。」とある

もしもAhura Mazda→Asuraとすれば、中古においてAsuraの代表者にVirocanaがあり、とくに俗語系のパーリ語で綴られた原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中にVerocano asurindoの語が見出されることは、いっそう注意してよいだろう。しかし、『アタルヴァ・ヴェーダ聖典』にはまだVirocanaの名が出てこない。したがってVirocanaの起源についてこれ以上立入って追及することは不可能であるというほかはない。— 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.19。

渡辺照宏は、もしAsuraの首領がVairocana(またはVirocana)とよばれ,これがBuddha Vairocanaと結びつくものとすれば,VedaにおけるAsuraの首領であるVaruṇaとも結びつき,したがってAwestaAhura Mazdaとも結びつくわけである。目下の段階においてこれは私の仮説であり,否定することもできないと同時に断定する資料もまだ十分ではない— 渡辺照宏、 「VirocanaとVairocana -研究序説―」 『渡辺照宏仏教学論集』

とある。

要するに、その名がアスラの神がモデルであれ、密教に取り込まれた時点で、「人ではなく、観法の対象」。

そして、大日如来を中心に東西南北にそれぞれ、

東、阿閦如来 (あしゅくにょらい) ・・・大円鏡智 (だいえんきょうち) の智慧そのものを表す。教令輪身は、降三世明王。

西、観自在王如来 (かんじざいおうにょらい) =阿弥陀如来。妙観察智 (みょうかんさっち) の智慧そのものを表す。過去記述で確か阿弥陀如来についても書いているハズ。教令輪身は、大威徳明王。

南、宝生如来 (ほうしょうにょらい) 。 平等性智 (びょうどうしょうち) の智慧そのものを表す。教令輪身は、軍荼利明王。

北、不空成就如来 (ふくうじょうじゅにょらい) 。成所作智 (じょうしょさち) の智慧そのものを表す。教令輪身は、金剛夜叉明王。

大日如来を中心に、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来すべて「実在の人では無い」。あくまで「観法」の対象。または、「智慧の象徴」。

密教の最高仏、大日如来のモデルが、アスラ (阿修羅) の太陽神「ヴェーローチャナ」であると言う説が有力なようであるが、

原始仏典にも、

この五智如来 (ごちにょらい) のモデルとなったのでは?と思える話が載っているので次回で説明します。

これ書いている時、真後ろでスズメが「ちゅんちゅんちゅん」とずっと鳴き、庭の木でモズがずっと鳴き、離れた所でヒヨドリのヒヨが鳴いていました。

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南伝仏教と大乗仏教・・・

2023-07-11 18:51:31 | 日記

ブログ完結に向けて、ストックしていた記事を掲載させていきます。

仏教は「真理」そのもので、宗教ではありません。

そもそも、宗派や流派などは存在しないハズのものです。

が、人類の業なのか、年月が経てば経つほど、源流からは遠ざかる。

上座部仏教 (南伝仏教) は、ネットで調べたりテレビ番組で見たりしたら、今でも250?もの戒律を守って出家主義を貫いているとか。たまに、タイとかで日本人出家僧もいたりするみたいです。

こちらの方が、お釈迦様の仏教に近いとか。タイなどでも、破戒僧は、政府にバレたら、還俗させられるのだとか。

ただ、タイでは今、出家僧が肥満と虫歯に悩まさせていると、テレビか何かで見ました。在家信者は、出家僧の托鉢で、食事を提供して功徳を積むのですが、最近のタイ人信者は、「自分の好物」・・・「甘い2Lジュース」や、「こってり系の食事」を施して、そのためにタイ人出家僧は、虫歯と肥満になっているとか。

「出された施しの飲食は残してはならない」と言うのは日本の禅僧と同じで、甘かろうが、こってりだろうが、甘い御菓子だろうが、飲んで食べなければならないため、タイ人僧侶が虫歯と肥満に悩まされているそうです。

テレビでほかに見たのは、カンボジア僧も、ちょっと前までは、「お金」の代わりに「お米」で受け取っていたのが、最近は、時代の流れからか、「お金」を「お米」代わりに受け取るようになったらしいです。タイやミャンマーも似たような感じかも知れませんが、カンボジアの寺院に信者が、亡き人の供養に訪れた時、「お米」を渡してお願いすると、結跏趺坐したままの若い僧侶 (南伝は、お釈迦様と同じ、半分肩を出したオレンジ色の袈裟) たちが、パーリ語かカンボジア語か判りませんが、法界定印のまま、お経を唱えていました。 

私たちの大乗仏教は、デーヴァやアスラの神々を取り入れて諸仏諸尊を形成していった歴史があり、仏教と言うより、在家仏教・・・信仰としての、仏教信仰と言う方が当たっている気がします。

南伝のような、素朴な仏教と違い、特に密教系や禅宗系、それより古い華厳・法相・北法相などの寺院は、「見て拝む」イメージが強いものです。

それは、お釈迦さまご在世の時代でも、様々な階級の神々が、お釈迦さまのもとを訪ねてきて会話し、お釈迦さまに帰依していると言う伝承からも、

大乗仏教の形式も、ある意味正しいと言えると思います。

お坊さんについては、南伝は出家僧。大乗仏教も、中国、韓国の僧侶は出家僧だそうです。中国僧も韓国僧も、テレビとかネットで見たら、男僧か尼僧か、一見しただけでは判らない、細くて色白の小柄の男僧が多い印象です。

禅宗の和尚に教わったのですが、中国の寺院も、共産党に逆らわなければ、寺も僧侶も一応、庇護されているとか。

ただ、観光化していっている実情もあると思います。

・・・今日は、窓から外を見ていると、東側から、トンビの「若」か、もしかすると、ハイタカが切れ込むような飛び方で現れ、西側に着地しました。

すぐ傍の電柱に、トンビの「ニュー」か「殿」のどちらかが留まっていて、その猛禽類を、「じーーーーーーーーーーーーーっ」と、ずっと見ていました。

ここまで気にすると言うことは、ハイタカだったのかも知れません。

体は私の家の方に向いたまま、顔は右に向いたまま、その猛禽類が着地した側を見ていました。傍の電線には、小鳥が一緒に留まっていました。

私が、そのニューか殿かのトンビを見ていると、小蜂や蜂たち、スズメたち、ツバメたちもたくさんやってきました。

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夏安居(げあんご)・・・

2023-07-11 08:05:10 | 日記
おはようございます。
 
残りのストック記事を掲載していきます。
 
夏安居(げあんご)・・・
 
成田山新勝寺「智光」より。
 
「夏安居(げあんご」・・・「インドでは、僧侶たちは一所に留まることなく遊行生活を常としていたが、雨期には長雨が続き、出歩くのには不便を極めた。
 
またこの時期は草木が繁茂し、虫や小動物が活発に動き回るので、不意に踏み潰してしまわないよう、殺生を防ぐために、雨期の間の旧暦四月十五日から七月十五日までの三ヵ月間、修行者は
 
一所に籠って集中して修行するようになった。
 
これを雨期を意味する梵語のヴァーシカを訳し「安居(あんご)」といい、
 
夏安居、また雨安居(うあんご)などとも称した。
 
・・・中略・・・
 
仏教では修行が推奨される。悪を止め善を修し、繰り返し実践することで、気質や能力が高まり、そこに社会性や道徳性が発揮されると、
 
徳として、困難に立ち向かう力が現れる・・・後略・・・
 
昨日のことですが、近くの電柱に、ハシブトガラスの「コリキ」が二羽留まっていました。かつての過去記事で何度か紹介した、「蝶ネクタイが似合いそうな」賢いカラスです。
 
もう4歳くらいになるのに相変わらず小さなカラスです。
 
しかし、二羽いた「コリキ」・・・寸分たがわず、見た目も大きさも、「ヒヨコが大きくなったような」、丸っこいフォルムも同じで、どっちが本当の「コリキ」か判らないくらい、そっくりでした。
 
おそらく、自分と同じ大きさのお嫁さんカラスをもらっていたのではないかと想像します。
 
「コリキー!」「コリキー!」と手を振りましたが、「じっ」と私を見つめる姿すらも、瓜二つでした。
 
コリキ・・・リキの息子で小さいから、「小力」と命名したのです。
 
もう一方の、私ともっとも仲が良かったカラスの、ハシボソガラスの「コテツ」は、たまにしか姿を見せなくなりました。コリキはハシブトガラスだから、難しそうに歩く。しかし、ホッピングは得意。
コテツは、ハシボソガラスだから「てくてく」と歩くのが得意。
 
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ツバメたちが舞い、トンビと鳴き交わした・・・

2023-07-10 18:13:28 | 日記

本日、比叡山延暦寺・横川の「元三大師おみくじ」の結果が出ました。

ブログ「タツノヒノエの継続」・・・第77番「凶」。

ブログ「タツノヒノエは完結して辞める」・・・第34番吉・・・でした。

御祈祷して、おみくじ引いてくださった元三大師堂の執事 (しゅじ) の説明は、

「・・・もう十分お役目を果たされたので終了したらよろしいと大師はおっしゃっておられるのではないでしょうか」とありました。

ストックしている記述を書き記し、私が「脱線してしまった部分の記述」・・・当初のブログの目的とは無関係と思われる部分については、随時削除していく予定ですので、まだお読みになっておられない記事は、よかったら読んでみてください。

・・・なぜか鳥獣や昆虫に好かれる私。

帰宅した時、「羽虫のコッチ」たちが近くに寄って来たのを皮切りに、アリたち、ダンゴムシ (マルムシ) が「よちよち」と寄って来て、私と仲が良いトンビ (たぶん、ニューちゃん=丹生=オス) が、姿は見えないけど近くで「ぴ~るるる」と鳴いたので、「ぴ~るるる」と鳴き合わせると、ずーっと「ぴ~るるる」と鳴いてくれるので、私もずっと「ぴ~るるる」と口笛で合わせました。上を見ると、ツバメたちが舞い始め、手を振っていると、今度は小型の狩り蜂さんたちが次々寄って来て、うちの玄関の上に留まりました。追記で、今後ろでスズメが「ぷいぷい」と鳴き、ホトトギスも真後ろで「ほきょきょきょ」と鳴きました。

当初は、半年か長くても1年未満で全部記述して終わる予定でしたが、ロシアのウクライナ侵攻によって封印していた義侠心が目覚めて、結構、脱線した記事も書いて長くなり申し訳ありません。

比叡山延暦寺・元三大師堂で、執事 (しゅじ=住職のこと。交代で7人の執事がいます) 御祈祷のもと、元三大師おみくじ (観音みくじ) を引いていただき、色々と御指導いただけます。「出たおみくじには必ず従うこと」と言われ、「怖いほど当たる」とも言われます。

前述したおみくじの御指導の内容は、過去記事に何度か書いています。

当ブログは、元三大師さまの御御籤により始まり、そして終わります。

残した方が良い記事はそのまま残りますので、ご興味がある方は、時間がある時に読んでみてください。

「日本古代の神々の生の御姿を拝謁した神秘体験は」、ブログとは無関係に、一番最初に元三大師さまから「人々に伝える・・・大吉」をいただいたまま変わっていないので、機会があれば、個人的には伝えますが、今まで少人数に話した経験では、「信じた人」はいるかも知れないけど、それ以上聞いてこないから、「日本古代の神々に関して、人々は興味が無い」のかなと個人的には思っています。だから、ここのところは全然話していないのが現実です。

もともとは「墓に入るまで黙っているつもり」だった神秘体験です。

当ブログは、12日か13日まで、ストックしている記事をまとめてアップして終わります。

今まで長い間ありがとうございました_(._.)_

それでは皆様お元気で。

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法界定印 (ほっかいじょういん)・・・

2023-07-10 00:26:07 | 日記

釈迦如来像や、密教の「胎蔵界・大日如来像」が結ぶ「印」を「法界定印 (ほっかいじょういん)」と言います。

大日如来像でも、「金剛界・大日如来像」は、「智拳印 (ちけんいん)」です。

釈迦如来像は、「法界定印」以外の「印」の仏像も多々ありますが、

法界定印の釈迦如来像もあります。

ただ、この法界定印・・・お釈迦様や胎蔵界大日如来像の「印」は、

「左手の上に右手を乗せる法界定印」ですが、

禅宗の僧侶や参禅者のする法界定印は、逆で、「右手の上に左手を乗せる法界定印」です。

一度、曹洞宗の和尚に、「なんで逆になるんですか?」と聞いたところ、

「いや、わからないです」と答えていました。

ちなみに、真言宗の瞑想法「阿字観 (あじかん)」は、胎蔵界大日如来像と同じく、

「左手の上に右手を乗せる法界定印」です。

阿字観などの瞑想法は、禅宗の「坐禅」とは真逆の禅定になります。瞑想 (観法) と坐禅は、似ているようで全く異なる禅定です。

阿字観や月輪観 (がちりんかん) など、真言宗には素晴らしい瞑想法があるのですが、

菩提寺さんに聞くと、僧侶になる修行が満行して、晴れて僧侶になると、役僧であれ、住職・副住職であれ、日々のお勤めに忙殺されて、それらの瞑想法はしなくなる・・と聞いたことがあります。する人もいるかも知れませんが・・・。

禅宗の僧侶は、役僧であれ、住職であれ、坐禅は随時行っているようです。

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