ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

西南戦争の新聞報道合戦の話!

2024年02月12日 | お知らせ
今年もそろそろ2月で、西南戦争スタートの時期になりました。

西南戦争を現地取材した記者たちを描いております
「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」


ついに「田原坂46」でのサークル活動も五年目に入り、
シリーズも「其の八」で田原坂戦も終わりまして
一旦、記者さんたち引き上げ…という所まできました。
(犬養さんは戻るんですがね…。そこは以下次号!)

この西南戦争の報道合戦、
郵便報知は犬養木堂(毅)の書いた記事のおかげで売れたので
後から増員で藤田茂吉さんらを増員で派遣↓ (右上コマの人/「其の七」より)


この他にも4名ほど派遣されています。
(増やしたもんだな)

一方、敵対する東京日日サイドは
福地さんのほかには
久保田貫一(本物の福地の部下)と
福地の代わりに後半、難波正康という人を現地に送り込んでいた様子。
久保田さんの方は「其の八」に出ました。
伝から原稿受けとる人ね


物語では「其の五」で福地さんが部下だと言ってくれて飛高が助かったことあったっすね…

「どこにいるか」
薩摩に同行取材を申し出てしまったのが飛高ですが
それは創作だからできることで
実際は福地さんは常に官軍の本営
犬養さんはその辺の民家を借りて寝泊まり(コミュ力高!)


最前線で活動できたのは犬養と福地くらいで
後は「高瀬」の宿にいた様子。




実際、郵便報知では記者の1人は薩摩に捕まって一時音信不通など大変だったそうです;


でも、これを取材したことで
福地さんは天皇の前で戦況報告をするなど
新聞の地位を上げることに成功したといえます。



令和に生きる我々
既に「新聞」は「テレビ」へと進化して
個人発信のSNSまでできるようになり
「言論の自由」なんかもう無い方がいいんじゃないか?
という程にまでなってますが

この物語はまだ日本に国会議事堂すら無かった
違う意見の相手は殺せばよいとか思っちゃう人がいる時代

西南戦争で多くの方が亡くなりましたが
その歴史を考えることで
恵まれている「はず」の我々の時代
何が不幸の原因なのか、拾い出すこともできるかもしれない

そんなこんなで制作続けてます。
ーーーーー



です。
ーーーーーー
それで。
次回分ちょっと長くなるかも(元々10話の予定だったので…)
5/26のCOMITIAどうするか迷ってまして
ちょっとゆっくりめに取材続けたいのです;
あと、歴史創作オンリー主催の方もきちんとやりたいし。
予算も厳しいので^^

5/26はコミックシティ大阪の方に出てるかも?です。

よろしくお願いします。



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