まず最初に、言っておきたい事があります。
私は今、
商品をわかりやすく解説するための漫画を描いていますが
そういう「広告用の漫画」と
「漫画のふりをしているが実は広告です」というステルスマーケティング漫画を
ごっちゃにしないでください。
私はステマは嫌いなんだよ。
広告案件はお金もらって描いてんだから、自己表現には使わんよ。
(だがサンプル表示位はさせろ)
まあ、そんなだから自分の場合は「自己表現」は従来通り
同人誌で、と限定しました、というわけです。
ところで100日目に死ぬワニ
あっけなく、そしてある程度想像通りの最期でした。
ところが、「仕掛け」が見えてしまったので炎上しています。
これちょっとシニカルに考えてみました。
人々は未だ、少しの夢を持って生きていたりします。
どんな夢って、アナザーカントリー。
この支配からの卒業。
何のって「経済」でしょう。
例えば宝くじが高額当選する、万馬券ヒット、あるいは運よく大富豪と結婚
ある日何らかで作品がヒットして、名声も食うに困らない金も地位も手にする成功。
「頑張る」とは野望達成のため。
不思議ですね…
私が見るにあのワニ、そんな事はあんまり考えていなかったというか
日々些細な事に喜ぶ、「普通」を生きていた気がしますが。
野心なんてささやかでいいんだ。
明日あのゲーム買おうかな〜程度でいいんだよ。
そして少しの優しさを持って、やましい事無しで生きられたら
やましい事無しで死ぬだろう。
それだけなんじゃないか、と。
私はあの作品自体は好きです。
でもやっぱりある程度どこかに
「この世界」から脱出したい夢を持つ人は一定数いると思うんです。
そんな人々にとって
Twitterで毎日努力して、下手だけど誠実にやっていたらバズって
というのは「等身大のぼくらの夢」だったと思うのです。
80年代〜90年代初頭には、実はまだ黒幕はいませんでした。
だから野望達成の物語は実はどこにでもあったのです。
何かで認められた人が「実は高学歴でした」「コネがすごいです」って事も
「実は電通の仕掛け」って事もなくて
ささやかなスモールプロジェクトにおいて、それなりに友達、仲間、という
大きなお金より確実なものを得られたりした。
何せ企画する側に夢がありました。
バブル時代でお金があったせいか、ゲーム業界なんかクソみたいなアイデアでも
「やりましょーやりましょ」「やるんかマジか」なノリで
漫画の業界も、作者のやりたい放題自由にさせてくれたのです。
最近だとポプテピピックの大川ぶくぶさんと竹書房のやり取りのような
「大人を凹ませる」ストーリーを、リアルでやっていた。
「リアルに見せていた」でなく…やって、いた、やれたのです。
ところが…
今はクリエイターはもうプライドを奪われ、鎖に繋がれ、上に強いられ
頑張ってそれなりの学校を出たとして、おまけに「夢を仕事にしろ」を教育されてきてる。
(80年代〜90年代の時、大人は「夢なんかバカな事いつまで言ってんだ」と言っていた)
そうすると業界は飽和しますから
「おめー程度のザコは腐るほどいるんだよ、要は誰でもいい、黙って作業してくれたらそれでいいんだよ」と名前を奪われるか、もしくは
「お前のネームバリューを貸してくれよ」と名前を持って行かれるか
ハイエナ業者しかいなくなって久しいです。
しかしそういう契約を許諾するか営業の力を借りるかしないと「生活」していけない。
絶対やりたくない事よりはまだマシな事で仕事したいのに、それでも厳しい。
夢を仕事にという謳い文句とは裏腹に「女郎屋の女郎」をやってんです。
それが現実です。
女郎に夢なんかありません。
毎晩サービスして「気持ちいい事でお金もらえて嬉しい」笑っていなければいけないんです。
日本ではクリエイターなんてな未だ地位は低いもので
スポーツ選手のようにはいかないのかも。
「アナ雪2」の時もステマが炎上しましたが
Twitter、SNSの危険な所に
「誰かよく知らなくてもすぐパーティー組める」ってのがあるゆえに
「これは良いな、応援しよう」「自分に素直に表現してる」「仲間いた〜」
「一緒に魔王を倒そう!」
という等身大レベルのパーティー組んだはずが、
「実はお前なんかと等身大ではないぞ、元から魔王の息がかかっていたのだったw」
というのをバラされて、地獄に突き返されるから炎上するんだと思います。
大人はもう、この世にある程度理解を示してるのですが
脱出ゲームに期待を寄せる夢ある若者はキツいだろうな。
そして、Twitterをやっていない人がサッパリ知らなかったり
クラスターやフォローによっては全然流れてこない話題もあったりします。
新型コロナで世界中揺れて
いつも出される質問が「お金か命か」
個人的にはもっとシンプルに
スモールプロジェクトでの自己実現って事を選択したい気がします。