クリアしましたが…うむむ、これは迂闊に書けないと、一晩置いてのブログでございます。
今年は豪雪で、雪の被害にあわれた地域の方にはお見舞い申し上げます。
そろそろ解ける頃でしょうか。
雪の少ない地域に住んでいる私は、先日やっとマトモに「風花」を見まして、これかと思ったものです。
雪を見たいなら曇り空。晴れた空を望むなら雪は降らないし。
そのどちらも望むと空で消えてしまう、それにまで名前をつけ、こういうデリケートな矛盾を詩的なものにする
そういう感性は日本人特有のものの気がします。
育ての親へのご恩返しもある、親のかわりに娘を守れという義務を与えられている男、瞬。
やっぱり、彼は父親の代役として側にいるんだと思います。
そして、養父母に対して、言いたい事もろくに言えないまでに、自分を押し殺してきたのかもしれません。
遠慮しない都とは比べ物にならないほど、「一線」をもうけている。
その点で言うと、言いたい事も歪んだ事もストレートにぶつけてくる分、
弟の祟の方が存在感があります。
これは性格でしょう。
八葉の中で、かの幕末の人物でない唯一の人間である瞬。
「風花記」のタイトルが最も示しているのは、おそらくこの二人のルートかと思います。
やってて、なぜかふと、トヨタのドラえもんの実写のCMを思い出してしまいました。
「のび太のドラ離れ」というやつで、次々に道具で助けてくれようとするドラえもんに
のび太が、「決めたんだ、もう道具には頼らないって。モーターショーに行く。だからどこでもドア出して」
ドラえもんが「頼らないって言ったじゃん」と呟く、というものです。
もしかして、自分が何かに頼っている事があまりに自然になっていて、頼っていると気付きすらしない場合はどうなのか。
自己評価が低いゆきと、同様に存在の基盤を自分で構築しなくてはいけなかった瞬、
これが「共依存」の関係であると、まあ非常にややこしい。だから、迂闊には書けないのです。
共依存に関してはちらっとこちらのサイトをご参考までに
共依存とは
迂闊に書けないのは、まず、こういう状態を「共依存」=精神病と斬り捨てる精神医学に対して、私はちょっと疑問を持つからもあります。
ここらへんは、ミッシェル・フーコーの影響なんだよなと自分で思いつつ。
もっと、日本人の気質、日本人の精神、文化的基盤、この国における「マトモ」な人のあり方をきちんと考えていかない限り
「病的」で片付けるなら日本人の8割くらいは皆、病気と認定されてしまわんかなとも。
精神医学批判は、私では舌足らずになりますので、あとはパス。
側で、ゆきを守り続けていたのに
彼女が意志を持って、なすべき事をすれば、己は消えてしまう
更に、父親ならば抱かなくてもすんだだろう、男としての感情まで持ってしまう。
都のように独占欲を表に出す事も、置かれた立場に不満をぶつける所も無い。
どちらにも感情移入しづらいのは何故なんでしょうね?
昔から親しく側にいて、ラブラブ完成されていました、
今後もそうです。
「そうですか…ではお幸せに」のような。
あくまでクールで、どんな状態になろうが
ぶちキレた自我を見せる事なく対処するハードな様は
まさに医師のようなんですが…
何か足らないものがあるとすれば、
実感できるエピソードの少なさかもしれません。
しかしそれを説明しようとするには、「遙か5」の世界と物語が重すぎる。
だもので、他のキャラともなんとなく絡まないでいる。
絡まないもんだからますます存在感が薄い。
しかしそこまで含めて、それが瞬であるというのなら
そうですね~としか言えなくて、ですね。
お前のような男に娘はやらん、という展開は想像できないし。
今後も何事も無かったように、この二人が続くのなら
この物語自体が、消えてなくなる風花だったりしないか…
どうなんだ。
書けば書く程に見えなくなります。
掴もうとしてもムダなものを掴むよりは、美しいなとながめておくべきかもしれません。
難しいなあ…瞬。
ゆきのニーズによってのみ存在する、ではない事を望むばかり。