愛知県豊田市の松平郷は、徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地です。今からおよそ六百年前この地に発祥した松平氏は三河を平定し天下太平の礎としました。
松平郷園地
松平郷には、松平氏をしのぶ歴史的な資料や史跡が多く残されています。 その代表ともいえる松平東照宮から高月院にかけての2 ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されています。 園地の入口には、松平八代を象徴する七対の石柱と初代親氏の銅像が設けられています。


松平親氏公の銅像




松平郷園地には散策路が設けられています。
ツワブキが群生する階段。

キチジョウソウも、たくさん咲いていました。

コムラサキ

池に咲くコオホネ

散策路





松平東照宮の大銀杏

松平東照宮


松平東照宮の由緒

葵の御紋入りの古瓦

産湯の井戸
原信盛が掘ったと言われ、松平家は代々この井戸の水を産湯に用いました。岡崎城主松平広忠の子、竹千代( 後の家康1542 〜1616 年) が誕生した際、この水を竹筒に入れ早馬で届けたと言われます。

産八幡の宮

産八幡の宮とツブラジイの杜

松平郷の開拓領主は、後宇多天皇(在位1274 〜1287 年)に仕えた公家の在原信盛と言い入郷したのは弘安年間(1278 〜1287 年) の頃で、現八幡神社松平東照宮境内に本屋敷を構えたと伝えられています。信盛の子信重は、開拓を進め人馬の道を作り交通の便を図りました。 後にこの地を訪れた旅の僧徳阿弥は、信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏(ちかうじ)と称しました。 ここに徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏(不詳〜1394 年4 月24 日没)の出現です。
松平郷園地
松平郷には、松平氏をしのぶ歴史的な資料や史跡が多く残されています。 その代表ともいえる松平東照宮から高月院にかけての2 ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されています。 園地の入口には、松平八代を象徴する七対の石柱と初代親氏の銅像が設けられています。


松平親氏公の銅像




松平郷園地には散策路が設けられています。
ツワブキが群生する階段。

キチジョウソウも、たくさん咲いていました。

コムラサキ

池に咲くコオホネ

散策路





松平東照宮の大銀杏

松平東照宮


松平東照宮の由緒

葵の御紋入りの古瓦

産湯の井戸
原信盛が掘ったと言われ、松平家は代々この井戸の水を産湯に用いました。岡崎城主松平広忠の子、竹千代( 後の家康1542 〜1616 年) が誕生した際、この水を竹筒に入れ早馬で届けたと言われます。

産八幡の宮

産八幡の宮とツブラジイの杜

松平郷の開拓領主は、後宇多天皇(在位1274 〜1287 年)に仕えた公家の在原信盛と言い入郷したのは弘安年間(1278 〜1287 年) の頃で、現八幡神社松平東照宮境内に本屋敷を構えたと伝えられています。信盛の子信重は、開拓を進め人馬の道を作り交通の便を図りました。 後にこの地を訪れた旅の僧徳阿弥は、信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏(ちかうじ)と称しました。 ここに徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏(不詳〜1394 年4 月24 日没)の出現です。
豊田市には昔の歴史に関係する場所が多いですね。この松平郷園地は散策して自然を楽しめる里山です。散策路はアップダウンがあり、運動になりますね。
松平親氏公の銅像は、武士が半分は農業に携わっていた様子が分かります。代々続いた点がすごいです。
紅葉の中で、ツワブキやキチジョウソウが咲き、趣があります。コウホネは秋にもまた咲くようですね。
豊田市は徳川家発祥の地だけに、松平家にまつわる史跡が多いようです。
松平親氏公の銅像の服装で、当時の暮らしぶりがしのばれますね。
道すがらツワブキの花をたくさん見かけました。
キチジョウソウも一箇所に固まって咲き、コオホネは残り花のように思います。3輪ほど目にしました。
豊田市は松平家(徳川)の発祥の地ですか~。
葵の紋の古瓦が有り、間違いがないのですね!
NHKの大河ドラマも見ませんので歴史は全くですが、竹千代の名前は知っています。(笑)
当事は三河と言ったのですね~。
松平郷の史跡は是非訪れて見たいですが…
今川義元の戦いは何かの本で読んだ事が有りますが…
イケリンさんは尾張ですか?(笑)
頓珍漢ですみません😢⤵⤵
おはようございます。
松平家の系図はすごいですね。
家康さんの8代ほど前のご先祖さん。松平親氏公の銅像があると言うことに歴史を感じました。
ありがとうございました。
豊田市は今も昔も三河と呼んでいますよ。
三河も東と西に分けられていて、愛知県東部の豊橋市方面は東三河。
愛知県西部の豊田市や岡崎市は西三河と呼ばれています。
今川義元と織田信長の戦いがあったところは桶狭間ですね。ここは名古屋市に位置します。
小牧市や長久手市にも古戦場跡がたくさんありますよ。
松平一族の系図も、徳川家康が改ざんしたと言う説もあるようですが、真相は謎ですね。
何れにしても、こうして史跡が残されていることはすごいことですよね。
徳川家の先祖の出身地という事で三代将軍・家光の命により、この地に東照宮(世良田東照宮)が新田氏の居城跡に建立されました。
ただ、残念ながら此処には豊田市の様な立派で広大な庭は残されておりません。
確かに系図は謎が多いですね。
豊臣秀吉もそうですが、いずれにしても天下統一を成し得た人物です。
その遺構を探り、その世を偲ぶ事は実に楽しい事です。
私も大好きです。
そうでしたか。三河と上州は浅からぬ因縁があったのですか・・・。
東照宮も全国いたるところにあるようですね。
自力でもって立身出世した人物ほど、自分の家柄を由緒正しく見せかけるために苦心したようですね。
秀吉なども、天皇の落胤と思わせるための作り話さえ宣伝させていたようです。
徳川家康も、三河松平郷の出自なのに、関ヶ原の合戦勝利後三年目に征夷大将軍に任ぜられると、
系図を買い受け、源姓の「徳川系図」を作り上げたと言われているようです。
真偽は別にして、功なり名を遂げると、出自も重んじたということがわかる話ではありますね。