飯田市箱川にある、伊那谷道中かぶちゃん村を訪れました。ここは地元伊那谷へのこだわりと昭和の懐かしさが蘇る、古き良き時代の伊那谷の様子を再現してあります。日帰り温泉水晶山温泉やキャンプ場も併設されています。
長屋門
中馬館
「中馬」とは、江戸時代中期ごろから明治時代にかけて、伊那地方の農民によって行われた運送業の事を指します。中馬街道は三河湾で取れた塩などを信州へと運ぶ主要な道でした。
中馬館内部
村の街並みと建物
水晶宮
道祖神
赤地蔵
大平資料館
中山道の妻籠宿と南信の城下町飯田市を結ぶ大平街道の中間、標高1100m地域にあった大平宿の山深い生活の様子がしのばれる資料館です。大平の生活は主に山の仕事でした。住民は昭和45年に離村し飯田方面へ移住しました。
太田家薬医門
太田家とは、飯田市山本竹佐地区の庄屋・戸長を長く勤めた旧家。その門を移築し、内部に様々な展示をしております。
昭和館
昭和初期の懐かしい生活道具の展示館です。
絵馬堂
地元の画家たちによる大きな絵馬が展示されています。
キャンプ場
開運楼
地元の名産などを扱う総合売店です。
長屋門
中馬館
「中馬」とは、江戸時代中期ごろから明治時代にかけて、伊那地方の農民によって行われた運送業の事を指します。中馬街道は三河湾で取れた塩などを信州へと運ぶ主要な道でした。
中馬館内部
村の街並みと建物
水晶宮
道祖神
赤地蔵
大平資料館
中山道の妻籠宿と南信の城下町飯田市を結ぶ大平街道の中間、標高1100m地域にあった大平宿の山深い生活の様子がしのばれる資料館です。大平の生活は主に山の仕事でした。住民は昭和45年に離村し飯田方面へ移住しました。
太田家薬医門
太田家とは、飯田市山本竹佐地区の庄屋・戸長を長く勤めた旧家。その門を移築し、内部に様々な展示をしております。
昭和館
昭和初期の懐かしい生活道具の展示館です。
絵馬堂
地元の画家たちによる大きな絵馬が展示されています。
キャンプ場
開運楼
地元の名産などを扱う総合売店です。
おはようございます。
伊那谷道中かぶちゃん村のこと、全く知りませんでした。飯田には結構いくのですが、中仙道は歩きましたが、大平宿のことも初めでです。
ありがとうございます。飯田に行ったら寄ってみます。
那谷道中かぶちゃん村は今から二十年前ぐらいにオープンしています。
当初は賑わっていましたが、今回久しぶりに訪れたら、平日ということもあってか閑散としていました。
中のお店も閉めているところが多くてがっかりでした。
大平街道もかなり昔に、車で通ったことがありますが、朽ちた家が多かったです。
宿場の中には体験宿泊するところが今でもあるようですよ。
私が生まれる以前の再現の様ですが
それでも、何処か懐かしい空気を感じました。
女性が来ている着物の生地を見ますと素材は絹ですよね。
養蚕がおこなわれていた様ですので商品にならない絹糸で織ったものなのでしょう。
群馬も養蚕は盛んでしたから、そうした事情は子供ながらに目にしておりました。
塩の道は信州の山を登った時に一部、歩いた事が有りますよ。
「中馬」=「運送業」なのですね! 知りませんでした。
キャンプ場も併設されているのは心強いです。機会が有ったら利用したいです。
たかさん こんばんは。
ここは山の中にあり、交通の便も悪いので、気づく人が少ないようですね。
建物や道具類は過去に結構目にしたものも少なからずありました。
町並みは宿場らしくい佇まいで、馬篭宿や妻籠宿に似たようなところがあります。
残念なことに、建物はあっても、この日営業しているお店はほとんどありませんでした。
あまりにもお客さんが少なくて、採算がとりないのかもしれません。
そのぶんゆったりと回れましたけれどね。
キャンプ場は最近できたようです。
これで休日には子供さんがかなり来られるようになったというお話でした。
この飯田市にある那谷道中かぶちゃん村のことは知りませんでした。
まるで「江戸村」です。当時の様子を垣間見ることができます。
現在の豊田市郊外足助などからは木曽までは馬で物資を運んだそうです。
こんにちは!
私は石炭産業から石油産業・IT産業と三つの革命を体験している世代です
子供の頃、お百姓さんは田植え時期、藁蓑や棕櫚蓑を着て田植えをしているのを記憶しています
また農家には母屋の入り口や隣棟に牛や馬を飼って一緒に生活していたのを覚えています
学校帰り農家のクラスメートの家に立ち寄ると牛馬の糞尿の混じった独特の臭いに悩まされたものです(これが普通だった)
現在、モンゴルで乗馬するため草原の農家に行くと同じ臭いがするのを懐かしく感じながら楽しんでいます
牛馬は現在の耕運機で農家には一番の宝だったんです(泥棒もいました)
母屋に飼われている牛馬は問題ないんですが離れ屋での飼育は現役引退のお爺さんとお婆さんの寝間というのが普通でした
石炭産業が終わりの頃から鉄・造船・自動車が中心の石油産業が国策になりだすと牛馬の姿が消えていきました
お百姓さんは牛馬から耕運機に切り替え能率も上がり何丁歩もの農家以外は繁忙期以外の時間余りを兼業に切り替え半農半業農家が増え農業が廃れていきました
それまで人口も全国的に均等にいたのですが関西・中部・関東・東北の工業地帯へ地方からの若者が集中し今日に至っております
昔の歴史資料館を見るのが懐かしく好きです(子供の頃の生活を思ひだします)
モンゴルも私は来蒙したころは昔の日本式でゲルを牛馬に積んで移動したり草刈りは大鎌で刈り取り冬の餌にし移動・家畜管理は馬でした
現在は移動にトラック・自家用車で牛・羊・ヤギの管理はバイクで行っております
馬を使用する農家が減り馬は競走馬や観光乗馬用だけになりそうです
モンゴル国も急激な社会変化の波を受けています
今は携帯も通話だけじゃなくメール・情報発信・送信は全てスマートホンで行われ私は取り残されています
私は卓上PCで基本的なブログを楽しんでいるだけです
老人の唯一の楽しみを何時も有難う御座います
石川県でしたでしょうか・・・江戸村というのがありますね。
あれに似たようなテーマパークだと思います。
水路でものを運ぶことができない、中馬街道では、馬による物資の輸送が主だったようですね。
起伏の多い山道を越えるのは大変なことだったようです。
昔の農家は田おこしや畑を耕すのを馬に頼っていましたね。
以前岩手県の遠野を旅した時に、曲り家の千葉家住宅というのを見学したことがありますが、
この曲り家というのは、L字型の家のことで、人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家です。
その貴重な労働力である馬を、家族同様の扱いをして大事に飼育したということを聞いたことがあります。
馬とモンゴルさんの記憶残る、クラスメートの家と一緒ですね。
機械化が進むにつれて馬や牛を飼っている家も減り、今では牧場にでも行かない限り馬を見ることができなくなりました。
モンゴルでも、今ではゲルで生活している人は、きっと少なくなっていることでしょうね。
もっとも馬とモンゴルさんがお住いの地域のようなところばかりではなく、今でも遊牧民の方はゲルでの生活でしょうが・・・。
昔の生活の匂いは、次々と姿を消して、今ではこのようなテーマパークにでも行かない限り目にすることが
できなくなりました。こういうのを見ると懐かしさがこみ上げてきますね。