いいしらせのグッドニュース[パート・Ⅱ]

しらせ・いいの写真のあるグッドな絵日記です。

『 スター・ウォーズ 』 と 『 ブレードランナー 』 の1日でした。18日です。   2015.12.20.

2015-12-20 14:12:53 | 日記

         18日の夜、『スター・ウォーズ 』をやっていました。第1作目ですよ。
         ま、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の世界的、大公開日だからしょうがないけど。
         おまけに、この日の午後には『ブレードランナー』もやっていました。



          
          これは『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。


         『ブレードランナー』1982年、ということは33年前です。
         当時、あんなに感激・興奮した映画だったが、パソコンをしながらチラリと横目で
         見ていました。茶の間で見る映画じゃないな、と思っていたのかも。あたりでした。
         こんに怖い映画だったのか。と、ビックリしてしまいました。



          
          
          


     SF映画の金字塔として評され、1993年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。
     (1982年当時は酷評され、興行的にも赤字だった為に失敗作の烙印を捺された)んだそうです。
     本作が提示した猥雑でアジア的な近未来世界のイメージは1980年代にSF界で台頭したサイバーパンク
     ムーブメントと共鳴し、小説・映画は元よりアニメ・マンガ・ゲームなど後の様々なメディアの
     SF作品にも決定的な影響を与えることとなった。


          
          
          
          



         リドリー・スコット監督は、『エイリアンAlien 』1979年の衝撃的な登場から3年後が
         『ブレードランナー』1982年です。原作もカッコイイ。フィリップ・K・ディックのSF小説
         「アンドロイドは電気羊の夢を見るか ?」(原題: Do androids dream of electric sheep? )ですと。

         『スター・ウォーズ/新たなる希望』1作目は1977年です。
         スター・ウォーズ的な世界が始まったのは、やはり『スター・ウォーズ』であり、『エイリアン』、
         『ブレードランナー』が補強し、世界を拡げたんでありましょう。
         おやっと思うのは、どちらにもハリソン・フォードが出ていることですかね。 つづく。



     「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 」 1977年  94% ・ 88% ・ 91
     「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」 1980年 97% ・ 88% ・78
     「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」 1983年 78% ・ 76% ・ 52 (この数字は評価だそうです)




          

「杜のスタジアム」ですと。 14日、「技術提案書」2案が公表されました。   2015.12.16.

2015-12-16 16:27:10 | 日記


          
          


         あんなにバタバタしていたのに、ケーコー速いなあ。それに、2案に絞り込むのも速い。
         と思ったのですが、2案しか提案がなかったんだそうです。

         2案とも、ずいぶん似ているなあ。ここまで似るかな。
         これへの答は、応募基準・条件、各項目の条件などがたいへんに厳しかったからという。
         それに対応するには、前回の応募者・いっしょに協力していた建設会社・組織なりが
         かなり詰められていたから、それを適用したのでは・できたのではという。
         B案・赤い方の「伊東豊雄さんとそのチーム」の、伊東さんは前回も応募されていたそうです。



     14日、JSC(日本スポーツ振興センター)が「技術提案書」2案を公表した。
     「杜のスタジアム」。二陣営ともに同じコンセプトでありました。
     ●A案                 ●B案
      木と緑のスタジアム。        木の列柱に囲まれた白磁のスタジアム。
      隈建吾 +大成建設        伊東豊雄 +竹中工務店ほか  (ここは公表されていない)
      木造の大きなひさしと        壁なく回廊を設置。
      緑の植栽などの構造の工夫。  19㍍の耐火木造の柱72本。



          
          
          



         木を使っているのに、わたくし小躍りいたしました。
         木と石(コンクリート)が併用された建造物が大好きなんです。
         よくぞここまで逆転の発想をしたな、歓喜したのであります。
         が、調べていくとプレゼンの中にこうありました。



          
          


         プレゼンの項目です。
         「基本理念・日本らしさを取り入れたスタジアム」。 うん。
         特記事項として「木材の活用を図る」とある。 エエーッ ! なあーんだ。
         と思ったのですが、えらく踏み込んだもんだ。と思い、
         建築家 ザハ・ハディドのデザインの対極が指向されていたんだ、と。
         さらに考えると大きな、こういった施設に“木材”は向いているんだろうか。
         とも思う。 聴くと、“燃えない木材”でえらく丈夫なんだそうです。


         しかし、ここまで絞り込むのかなあ。
         エンブレムのこともあって、“ 厄 ”を払うのに万全な対応なのかあ。
         がんばってくださいな。
         ps. どちらがいいかと問われれば、「Bが好きかな」と。どこかのおっさんが
         言ってしまって、イヤなのだが。

          





羽生結弦 ・はにゅうゆづる。 21歳だが、この美しい少年は !!    2015.12.15.

2015-12-15 18:14:51 | 日記


          
          
          
           12月11日、ショート・プログラム。

          
         “美しい少年”(ヴィジュアル・イメージですが)は、どこまで進むのでしょうか。
         スポーツによって、その完成期、円熟期、絶頂期などは微妙に異なっているように思います。
         フィギュアスケートがいかなるものかは知りませんが、この“美しい少年”をどうとらえたら
         よいのでしょう。
         今までも、有望な若いチカラを見てきたと思うのですが、どこか違うように思えてなりません。




          
          
          
          
           12月13日、フリー・プログラム。

     二週間前のGPファイナルNHK杯で300点(322.40)を超えていました。11月28日。
     フィギュアスケートGPファイナル世界一決定戦2015で“三連覇”を達成する。330.43点。
     わずか二週間で世界最高得点を更新。12月13日。


         テニスの錦織圭選手25、体操の内村航平選手26、ラグビーの五郎丸歩選手29、エトセトラ・
         エトセトラ。いかがでしょうか。今輝いていらっしゃるアスリートたちです。
         年齢とともに変化する男性像ともみえますが。
         違うように思えるな。

          





ラジオは、ケッコーいろいろやっているんだな。 TBSとニッポン放送 !!    2015.12.12.

2015-12-12 16:53:13 | 日記

          土曜日の午後はラジオを聴いている。ゴルフの中継があれば、テレビを見る
          のだけれど、もう今年は終ってしまいました。
          久米宏おじさんの“ ラジオなんですけど ”のストレートな軽快さを愉しんで、
          15時、さて、どうする。
          ニッポン放送にしてみた。雑音が入らないからだ。

          30代くらいの若者が話している。滑らかな、すこーし重みを感じる声だ。
          「やまもといちた」というゲストが出てきて、「わたなべ」「わたなべ」と
          司会者を呼ぶ。話しの中味が政治的な現実論になってくる。なんだコイツらは
          と思う。そーか、「やまもといちた」はアイツかなと気がついた。「いちた」の
          声も30代だった。
          番組は30分で終わった。なんだ、この番組は !!




          


          ふたりとは、渡邉 美樹(56)と山本 一太(57)。
          なあーんだと思った ?!!







2回目は、“ ドナルド・キーンさん ” です。 93歳になってらっしゃる。    2015.12.10.

2015-12-10 11:30:00 | 日記


        東日本大震災、その津波と原発を見つめて“ドナルド・キーンさん”はどう行動されたのか。
        ことし11月28日の放送。



          
          
          


          結論を先にいってしまいます。

     2012年(平成24年)3月8日、ドナルド・キーンさん(89)が日本国籍を取得し、記者会見した。約40年間、研究・著作活動で
     米国と日本を行き来し、日本の永住権も取得していたが、東日本大震災後、多くの外国人が日本を離れたと知って
    「私は日本に行き、ずっといる。(日本を)信じます、と知らせたかった」と話した。

          おそらく、このあたりが素直な決心の基だと思われます。
          この行動をどう受け止めますか。


          


     日本文学者・日本学者。日本文学と日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家としても多くの著作がある。
     日本国籍取得後、本名を出生名の「Donald Lawrence Keene」から、カタカナ表記の「キーン ドナルド」へと改めた。
     通称(雅号)として漢字で鬼怒鳴門(きーん どなるど)を使う。


          
          


         この大きさ、この優しさ、この想像力と、行動力に 言葉が見つかりません。
         見習えるレベルではありません。スゴイ。大きすぎる。

         2012年(平成24年)11月17日、トーストマスターズ・インターナショナル日本支部(District76)が
         つぎのようにメッセージしていました。(どういう団体か知りませんが)

    「このキーンさんの行動に対して、「日本国籍を取り余生を日本で過ごす」という『言葉』(コミュニケーション)と、
    日本に移住した『行動』(リーダーシップ)により、希望を失っていた日本人に深い感銘と勇気を与えた」と。