日本の航空機産業は終戦後、研究開発が禁止され、7年の空白を経て1952年に再開が認められました。
1962年8月、プロペラ機「YS11」が国産旅客機として初飛行する。YS11は約180機を納入されましたが、
赤字を抱えて73年に生産を終え撤退します。
2000年代前半にMRJの開発に着手するまで、約40年の空白が生じることになります。この間、日本の
航空機関連企業は米ボーイング社との共同開発という名の“下請け”に専念しました。
しかし、「YS11」は鈍重で好感が持てませんでした。
かなり、国主導であったようです。
「納入事業者(サプライヤー)から脱却して、完成機メーカーになりましょう」
2002年。当時、三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所(名航)所長だった戸田信雄氏たちが
「環境適応型高性能小型航空機」の開発を提案します。2003年、西岡喬氏(当時社長)が決断。
03年5月から動き始めます。
MRJ(三菱リージョナルジェット) 素晴らしいと思う。
零戦を連想してしまう。なんの共通イメージも感じませんが、技術水準のすべてが
受け継がれて進化している、そんな嬉しさでしょうか。
朝日新聞デジタル 2015年11月11日11時40分
国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が11日午前、初飛行を果たした。
開発を担う三菱航空機が、愛知県営名古屋空港(同県豊山町)で最初の飛行試験に成功した。
国産旅客機の開発は、1962年に初飛行したプロペラ機YS11以来、半世紀ぶり。
欧米の下請けに専念してきた日本の航空産業にとって節目となる。
MRJの開発には、日本の航空産業を自動車産業などと並ぶものづくりの柱の一つにしたい、という
官民の狙いがある。現在、3千億円近くにのぼる開発費用は、一部を政府が負担。開発主体の三菱航空機には、
三菱重工業だけでなく、トヨタ自動車や政府系の日本政策投資銀行も出資している。