ガラルダ神父さま 土曜入門講座・聖書研究会 カトリック麹町 聖イグナチオ教会  †St.Ignatius Church†

キリスト教への理解を深め イエスさまの愛と救いを学ぶ 聖書のわかりやすい箇所を読み生きる愛するという意味を考えます

†7月21日の講義録†

2007年07月25日 | 講義録
★講義の初めに神父さまから2つのご質問★
①いつどんなときにキリストを見るのか?
②キリストの品格がどこにあるのか?
・マタイ福音書25章40節『最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』に考える1つのヒントがある。〝人の中に神を見る〟〝深く見る〟〝愛する〟〝悲しみの中に神を感じる〟ということ。
・神父さまの身近な実感は、キリストを必要としている人の中に神を見るというより→キリストを私がお連れする→キリストに一緒にあの人に会いに行こうと言われて連れられて行くという感覚。
★マルコ12章38~44節:律法学者を非難する★
・ここでやもめはかわいそうな人の象徴であり、イエスは彼女の心を見て感動した。それなのに彼女に奇跡を起こすようなことを何もしないが何故か?→彼女には『心の豊かさ』で十分だから。バラの花は咲いてるだけで綺麗だから手を加えなくとも、そこにあるだけで素敵で美しい。彼女はイエスが何もしなくても心が美しいことでとても幸せな存在。すべてを差し出した心に愛とGracia(神の恩寵)があり、神と人の愛や恵みを実感させてくれる。
・私たちは4K(金・肩書・快楽・権力)を見てしまうことが多いが、それは避けなければならない。小麦が金に変わる譬話。
★マタイ5章38~42節:復讐してはならない★
・悪いことをされても復習してはならない。復讐すれば自らをその人の程度にまで落とすことになる→キリストの品格を考える1つのヒント。
・ガンディーは非暴力の思想を唱えた。非暴力というよりも復習するというような行為は慎むべきであり、復讐の悪循環を避けることが必要。カトリックでは死刑制度に反対している。
★マタイ6章1~6・16~18節:施しをするときには・断食するときには★
≪花火の比喩≫(旅人よ道はない、道を作るのだ)
・真っ暗な道の中を人が道を歩いていると花火が上がり明るくなって前に進むことができる譬話。
・花火は何のために打ち上げられるのか→自分を含めて皆が歩けるためだが、花火は“褒められるために”打ち上げられるものではない。ではこの花火とは何か?
・花火とは〝才能〟〝命〟〝能力〟〝可能性〟〝健康〟〝時間〟などのこと。
・人は自分で花火を上げながら他の人を照らし、他の人の花火を見て歩く勇気を感じる。人生は時間的な長さだけではなく、明るい真剣さで喜んで生きることが私たちにとってとても大切。
★マタイ6章7~15節:祈るときには★
・あなたが人を許さない時には、愛である神から自ら離れることになってしまう。
・貧困にしないで下さい、でもお金持ちにしないで下さいという謙虚な気持ち。私たちが必要なこと、私たちの必要な糧は神が与えて下さることを信じる。
†振り返って†
この節を読む度に、やもめに何もして上げないイエスさまに何か足りないものを感じていたが、神父さまのお話しされたバラの譬話に大きく肯かされた。花火の譬話しはとても綺麗な比喩でわかり易く、神父さまの語り口と相俟って美しさの中に愛と優しさを感じた。私が人を助けると共に、私も人から助けられて生きていることを忘れてはならないと想った。(K)