Aikido Budo Japan YouTube  楽心館 Rakushinkanで剣柔一体

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会津出身 佐々木只三郎として、5/8 水 22時よりNHK放送です。

2012-12-20 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
京都からご丁寧な封書をいただきました。ご本人の許可を得たので、記事にいたします


事務局様

 初めまして、京都に住んでおります西村諭士という者です。

 神刀柔進会のホームページを拝見させて頂きまして、ご連絡させて頂きました。
今回お手紙を差し上げる理由ですが、私は今、京都で売れない俳優をしておりまして、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組の再現ドラマで、「佐々木只三郎」の役を頂いたからです。

 佐々木只三郎を調べさせて頂いたところ、神刀精武流を納められておられ、現在、無限神刀流として神刀柔進会さん方で稽古されていることがわかり、ペンをとった次第です。

 まだ撮影予定の詳細が出ていないので、どのような撮影になるかわかりませんが、たとえ「佐々木只三郎」として刀を抜くシーンが無くても、少しでも神刀精武流(無限神刀流)というものに触れておきたいという思いがあります。

 今回のお仕事のお話を頂くまで、「佐々木只三郎」という人物を、私は存じ上げてはいませんでした。
慌てて、いろいろ調べさせて頂き、大変感銘を受けました。

 今回の番組で特集されるのは「坂本龍馬」ですが、その中でも「佐々木只三郎」として人物に生きる事が出来ればと思っております。
私は京都で「***流」という小さな古流の一派で、居合いを勉強しております。まだまだ未熟ですが、刀には触れたことがあります。

 そこで、撮影が予想されます以下の点のご教授を賜れたらと思っています。

1)神刀精武流(無限神刀流)の抜刀、斬り下げ、血振り、納刀。
2)もしも、近江屋で小太刀による龍馬、慎太郎への斬撃を加えるとすれば、どのようなものになるか。

同じく武道で精進している者として、このようなお願いがいかに無茶で不躾なものかということは、重々承知しております。
ですが、私の俳優人生の中で、このような立派な人物を演じさせて頂けるのは、最初で最後かも知れないという思いで、御無理を承知でお願いさせて頂きました。

撮影予定日は12月28日ですので、それまでにお時間を頂けましたらと思っています。
場所は、東京の道場か千葉の道場、どちらでも大丈夫です。

最後になってしまいましたが、
氏名 西村諭士(ニシムラ サトシ)
年齢 満36歳 19**年**月*日生まれ
住所 ** 電話番号 **

 また「西村諭士」で検索をかけて頂きますと、私の所属しております事務所のプロフィールが出てくると思います。
長くなってしまいましたが、何卒お願い申し上げます。
失礼いたします。



なかなかご丁寧なお手紙に感服しまして、「私は会いますよ」と、メールしたのです


神刀柔進会 石川様

本当にありがとうございます。
17日、9時から稽古に参加させて頂きたいと思います。
一回の稽古で身につくことは無いこと、重々承知しておりますが、無限神刀流の基本の礼法、刀法、また可能でありましたら、小太刀をご教授頂けましたらと思っています。
もちろん、他流派の人間に刀法を軽々しく教える事など出来ないことは承知しております。
可能な範囲で無限神刀流に触れる事が出来ればと思っております。

万が一、17日寄せて頂けないような事が起こりましたら、またご連絡させて頂きたいと思います。

突然のおかしなお願いをお聞き頂きまして、本当に感謝しております。
17日楽しみにしております。
では失礼いたします。




17日は普段通りに、居合・剣術・合気柔術と三時間、一緒に稽古させていただきました。せっかくだからと、西村さんの学んでいる毛利家伝来という古流を、表演していただきました。(写真がそれ)
その日のうちに、感想をメールしてくれました




石川先生

今日はありがとうございました。
先ほど、無事に帰宅しました。

今日の稽古は目から鱗が落ちっぱなしでした。
足構え、気剣体の一致、月影、一の動き。
居合いを始めたきっかっけは、チャンバラの役に立てばという考えからで、今回の見学のお願いも、収録の際お芝居の何かの役に立てば、という邪な思いからでした。
ですが、今日の稽古で、日本の先人達の築かれた武術の奥深さの一片に触れる事が出来ました。
キッカケはどうであれ、このようなご縁を頂けたことは、これから居合いとどのように向き合うか、何かヒントを頂けたような気がします。
先生から頂きました「体がかたい」というお言葉が、大変心に残っております。
まだまだ未熟ですが、俳優の活動を通して、「心身相関」というものを折に触れて実感しております。
本番の緊張から来る体のこわばり、声の上ずりなど、今日の稽古で感じたものを念頭に、これからの居合いの稽古をしていけば、何か対応出来るものが見つかるのではないかと思いました。
師匠からの手解きがなければ稽古出来ないこと、古川先生からお言葉を頂きました。
ましてや、今日初めてこのような世界を垣間見ただけで。何も出来ないことは重々わかっておりますが、日頃から思いを馳せていれば、何かまたこういったご縁を頂けるのではないかと思っております。

ヒストリアの放送日、わかりましたらまたご連絡させて頂きます。
余談になりますが、来週の27日、28日放送予定のNHK朝の連ドラ「純と愛」に、「ピエロ」で映っているかも知れません。
顔を真っ白に塗っているので、わからないかも知れませんが、もしお時間御座いましたらご覧頂けましたらと思います。

今回は突然のお願いお聞き頂きまして、本当にありがとうございました。
またご縁を頂けますよう願っております。
本当にありがとうございました。
失礼いたします。




西村さん、頑張ってください




石川先生

お忙しいところありがとうございます。
拝見させて頂きました。
ちょっと照れてしましました(笑。ありがとうございました。
収録は来週です。次に繋がるよう、頑張ってきます!!

お話は変わるのですが、千葉の道場で経験させて頂いた事、あれからずっと頭に残っています。
先生の元で勉強出来れば、、、というのが今の思いなんですが、さすがに関東の方まで通う余裕はありません。
そこで、先日に続きまして、不躾な質問になるのですが、関西でどこか良い道場、良い先生をご存知ないでしょうか?
大東流の道場は調べますと沢山出てきたのですが、どこが良いか自分ではわかりませんでした。
千葉で経験させて頂いたような、居合い、剣術、体術をあわせて稽古されているところは、関西には無いのでしょうか?
今すぐどこかで勉強したい思いはあるのですが、私事で申し訳ありませんが、時間と財政面ですぐには始められません。
ですが、落ち着きましたら、是非勉強したいと思っています。

可能な範囲でお答え頂けましたらと思います。
お忙しいところ申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。




西村さん、撮影が近いです。
軸を立て、緩んでくださいね。それが養氣錬丹の教えです。

井の中の蛙で、よそ様のことは分かりませんので。
申し訳ありません




石川先生

おはようございます。
昨日、無事に収録の方、終了致しました。
終わった時間が、夜中の1時で、ご報告が今になってしまいました。
申し訳ございませんでした。
僕が立ち回りのシーンに出ることは、殆ど無かったのですが、幕末の会津藩士に思いを馳せながら、会津若松、千葉の道場で感じたことを大事に、本番を向かえさせて頂きました。
どのような仕上がりになっているかわかりませんが、放送日がわかりましたら、ご連絡させて頂きます。
収録は、年明けの4日、もう1日あります。
この日も同じ緊張感を持って臨みたいと思います。



年の瀬のお忙しいところ、失礼致しました。
風邪やノロウィルスが流行っているようですので、お身体にはくれぐれもご注意下さい。

また何かありましたら連絡させて頂きます。
失礼致します。




西村さん

第一回撮影、無事終了とのこと。お疲れ様でした。
貴殿の緊張感が、伝わってきました。

稽古は緊張して
本番は緩んで

4日をお迎えください。
石川




石川先生

おはようございます。
明けましておめでとうございます。
旧年中はありがとうございました。

昨日(1月4日)も収録が遅い時間になりました。
しかも、京都で夜のロケーションで、凍えるかと思いました(苦笑)。
昨日は無事に終わったのですが、10日にもう1日追加の撮影が入りました。
年明けからお仕事をさせて頂けたことに感謝しながら、もう1日頑張りたいと思います。



今年は巳年。
色んな意味で脱皮出来ればと思います。

再会出来ますこと楽しみにしております。
ではでは失礼致します。




石川です。
明けましておめでとうございます。

撮影は、スタッフの方々も出演者も、大変お疲れ様でした。
京都の正月は寒いでしょうね。
歴代の天皇が、大晦日に命懸けで身を清め四方拝をされてきたことのご苦労を思えば。
凍えるですか。
そんな体験も貴重でしたね。

10日も頑張ってください。




5/8 水 22時よりNHK放送



石川先生

お疲れ様です。
先程放送を見たのですが、結構カットされていました(苦笑)。
なかなか難しいですね(苦笑)。
もっと勉強させて頂きます。

ですが、この撮影で、石川先生とのご縁を頂けましたので、本当に感謝しております。

遠路御迷惑おかけしますが、次回の稽古もよろしくお願いいたします。
失礼致します。

義和団の乱で活躍された柴五郎が、合気の源流会津ご出身とは、今回知りました。日本の誇りだな!

2012-10-27 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
柴五郎 日英同盟の陰に公使館の籠城戦 2012.10.27 07:45 産経新聞


北京公使館に籠城した館員と居留民。2列目左から6人目が柴五郎=「明治の百年」 (講談社)

 柴五郎(1860~1945年)の名が歴史の表舞台に登場するのは、明治33年に清国で勃発した義和団の乱(北清事変)である。義和団の排外運動によって、各国の公使館員、武官、キリスト教徒避難民の総勢約4千人は、北京の公使館区域において55日間の籠城戦を余儀なくされた。

 この時、僅かの日本軍と各国の義勇隊を見事に統率、指揮して、4万人もの義和団の攻撃から公使館区域を守り抜いたのが駐在武官であった柴である。

 柴の働きは各国から称賛された。特に英国のマクドナルド公使は、「北京籠城の功績の半ばは特に勇敢な日本将兵に帰すべきものである」と柴の功績をたたえ、ビクトリア女王に日本との同盟を強く進言した。日英同盟締結の陰には柴の存在があったのである。

 柴は、「賊軍」会津の出身でありながら、陸軍大将にまでなった「不屈の軍人」である。会津藩士の五男として生まれた柴の生涯は壮絶であった。戊辰戦争によって、柴の祖母、母、兄嫁、姉と7歳の妹は自刃。幼い柴は、敵の目を逃れて、自宅の焼け跡から遺骨を拾い集めた。

 捕虜とされた後、一家は陸奥国斗南(青森県むつ市)に移住するが、極寒の地での生活は困窮を極めた。「炉辺にありても氷点下十度十五度なり。炊きたる粥(かゆ)も石のごとく凍り、これを解かして啜(すす)る。衣服は凍死をまぬかれる程度なれば、幼き余は冬期間四十日ほど熱病に罹(かか)りたるも、褥(しとね)なければ米俵にもぐりて苦しめらる」「餓死、凍死を免るるが精一杯なり。栄養不足のため痩(や)せ衰え、脚気(かっけ)の傾向あり。寒さひとしお骨を噛む」。後に柴はこう回顧している。

 野良犬の死骸をも食べ、絶望的な境遇を必死に生き抜いた柴を支えたものは、「朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉(ろうぜき)を被りたること、脳裡(のうり)に刻まれて消えず」という会津武士の矜持(きょうじ)であった。

 「非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮かびて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余をあわれむがごとし」。齢(よわい)80を超してもなお、「懊悩流涕(おうのうりゅうてい)やむことなし」と書き残した言葉の意味は重い。(武蔵野大学教授 貝塚茂樹)

剣豪という生き方 東京書籍

2010-08-31 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
真の武勇とは何か。
現代から幕末、そして戦国時代へ、
剣豪たちの生涯、技、生と死を描き尽くす。
101人の壮烈な生き様を見よ!

そんなタイトルの本が、出版されます。定価1800円

実は48ページの佐々木只三郎は、私こと石川への取材で書かれています。そしてなんと、佐々木のイラストが、写真のように私に似せて書かれてしまったのです。(笑い
全体として真面目な本ですが、48ページはギャグです。

長刀(薙刀) 石山寺縁起絵巻

2010-06-04 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
この絵は「石山寺縁起絵巻」第二巻第二段のもの。(2010年6月3日 日本経済新聞夕刊 アニメのふるさと絵巻 十選 より転載)

片肌脱ぎの男が、薙刀を水車のように回転させ、仮想敵の剣を払い落としたり、小手を切る動作を行っている。刃の向きから察するに、下から上へ払い上げるのではなく、上から下へ落としている。この場面では両手の持ち変えを使っていないので、技ではなく片手で錬っているようだ。今日伝わる棒術・薙刀などにも、よく見られる動作。

ストロボモーションのような速度描法が貴重。

作者は右近将監(うこんしょうげん)高階隆兼ともいわれ鎌倉時代後期の筆。約280年前

目付けにいう肉眼

2010-05-27 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
 武の学びは、一眼二足三丹四力(いちがんにそくさんたんしりき)という。重要度の高い順番に配列し、それに従い養えという。何故だろう。理由は簡単、この差によって勝負が決したことの経験知であると思われる。
 実際の学びは、四力あっての三丹。三丹あっての二足。二足あっての一眼である。四から一へ遡るように訓練をした。もちろんここでいう二足とは跳躍力ではない。ここでいう一眼をは肉眼(動体視力)と心眼のこと。

 なぜ一眼なのか、目付けが最重要なのかを考えたい。

 見ることの機能に、二つある。一つは、関心のある部分に焦点をあわせ実際に見る機能。一つは関心の無い部分の焦点をはずし、消す作業。なぜだろう?
 被写界深度とは焦点が合う奥行きをいうが、人間の眼は中心しか焦点が合わない。周辺部分では焦点が合っているかどうか、それすらもわからない。我々は見たいものしか見ていないのだ。人間は必要ないものを視野から消す作業をしている。だからその人が何を考えているか、関心があるかによって、見える世界は異なる。

 相手が剣を構えているとする。仮にこちらが相手の剣に捕らわれたとすると、相手の肘や肩、体軸に出る初動を見逃すのはもちろんのこと、相手の気配を感じることはできない。剣の他がまったく見えていないからだ。
 沢庵禅師が「病葉(わくらば)」に喩えたのがこのこと。一本の木を見た時、変色した病葉に捕らわれると樹木全体が見えない。なにごともなく樹木全体を見ていれば、病葉がどこにあるかは自然に見えてくる。被写界震度が深くなった状態(全体に焦点が合った状態)、遠山の目付け、蜻蛉の目、というのは同じこと。

 ここまでは、ほぼ肉眼の説明といえる。武道にいう心眼、これはいきなり宗教的悟りの境地のように語るのは誤りであると思う。その一歩前に、意と形の一致が出来ていることによって、感じる世界がある。
 
 身体使いが錬れている。技術の根本を掴んでいる。上から4行目で「もちろんここでいう二足とは跳躍力ではない。」といったのはこのこと。力と技術を消して、意と形を一致させることが出来る。こうして初めて感じる世界が、心眼の初歩的なものと思われる。

心技体の美

2010-04-13 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
 写真は日本経済新聞2010年3月17日(水曜日)朝刊に掲載されたもの。私はこの写真に釘付けになり、美しさに心打たれた。表題には「豊ノ島 走った 粘った 土俵際、脚に食らいつく」とあった。
 写真左は大関 魁皇。苦しみに満ちた表情。右足の甲は、完全に返って死に体になっている。
 関脇 豊ノ島は渡し込むように左手で大関の右ひざ裏をつかみ、食らいついた。土に着かないように身長170センチの小さな体が水平になり、爪先が伸びきっている。豊ノ島の体が土に着くのが早いだろうか?と言う一瞬である。
 行司は勝負を見切ろうと、一文字腰に体を沈めている。腹には懐剣が垣間見える。この懐剣は、指し違えた時(軍配を負けたほうに上げてしまうこと)に切腹をも辞さない覚悟の象徴であるという。

 最近の相撲界は、某横綱の暴力事件から引退劇・理事選挙など、醜聞に事欠かなかった。基本的に人間であれば金と欲の問題は、綺麗とか汚いの問題ではなく、必要範囲か逸脱かの間尺でみるべきであると思う。しかし財団法人という公器であれば、より公正さが求められて当然である。土俵の外のことはほどほどで良く、土俵の中でさえしっかりしていれば良いなどというのは、時代感覚を逸脱しているともいえる。

 しかしそれでもこの相撲、大関・関脇・行司の心技体、実に見ごたえがあり美しい。久々納得の勝負を見させていただき、気持ちが奮い立った次第です。

桜と野球と武芸

2009-04-20 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
 アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、世界の名所の一つ。毎年3月末から4月のはじめにかけてシーズンには、盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れ、パレードやその年の「桜の女王」が選ばれます。しかし、桜の楽しみ方はやや日本とは違う様子です。同じことは日本と西欧のスポーツや武芸のあり方の違いと、似ています。
 ワシントンでは、桜の話題は満開と時だけです。満開の時、盛大に楽しんで、それで終わりです。ところが日本では、蕾から桜前線北上の話題、満開はもちろん、散る桜、葉桜までを楽しみます。今では少なくなりましたが、落ち葉は落ち葉焚き。江戸時代は堤防を作る時、桜を植えました。根が深く張るだけではありません。花見の季節大勢の人々が堤防を歩き、土を踏み固めたのです。全てに価値があります。満開だけが美しく、楽しいのではありません。
 アメリカのベースボールを日本から見ると、ホームランが一番楽しいことと思っている。バーンと大きく打って、選手はゆっくりとベースを回り、観客が声援を送る。これが野球最大の面白みだと思っていた、最近までは。こうしたベースボールの行き着いた先は、ホームラン以外の技の大切さを見失いました。パワーを求める結果、筋肉増強のトレーニングとステロイド。巨大なスタジアム、一部の選手の高い年俸、放映権料の暴騰。選手によるストライキ。
 日本人は「何でも道にしてしまう」と揶揄されることがあります。野球に「道」をつけることが良い悪いは別にして、日本の野球は、ベースボールとは違うものになりました。WBCで出した日本野球の結果や大リーグでのイチロー選手の活躍に、多くの人々が気付きました。
まずヒットを打ち、全力で一塁ベースへ走る。
投手の癖を見抜いて、二塁へ盗塁。
打者はバントで三塁へ走らせてもいい。犠牲フライで、ホームベースを狙わせてもいい。
 小技を緻密に積み重ねる。全てを全力で。バットやグラブを、選手は自ら丁寧に手入れをする。ベンチやグランドに、ガムやゴミを(欧米人のように)はき捨てることはない。すると全てが、楽しいことに気付く。ホームランだけが美しく、楽しいのではない。

 さて最後に武芸の話です。たとえばフェンシングと居合の比較です。前者になく後者にあるものに、抜きつけ・納刀・礼法があります。大刀を振り回すのが、美しく楽しいのではありません。もちろんフェンシングにも体使いと足構えがあるのであって、居合とどちらが優れてるとかの話ではありません。こうして様式とともに意味を伝えてきた日本の先祖は、個性があり誇りに思ってよいのだと思います。

枝垂れ桜

2009-04-10 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
春秋を 極めてしだれ 桜かな

稲畑 汀子(いなはた ていこ)、高浜虚子の孫にあたる。
 「春秋」は、春夏秋冬から春秋を取り、歳月を表わす。年齢をもいう。この俳句ではどちらの意味にも、取ることが出来る。
 この老木の桜は、その「春秋」の深いところまで到達して、その奥の境地から花を咲かせているというのである。
 はたしてその桜を見ている人は、どの境地から何を見ているのであろうか。答えは
西行桜(http://ichirakusai.blog.so-net.ne.jp/archive/c21223-1)

江戸しぐさ・EDOSHIGUSA

2009-03-20 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
江戸しぐさに「肩引き」があります。人とすれ違う時に、右肩・右腕を後へ引いて、互いにぶつからないようにするしぐさをいいます。現代的視点で考えると、人と人が正面から行き交う時は、お互いに軽く左右に避けようとするので、運悪く顔が鉢合わせになったりするものです。
これを、「込み合う江戸の町で、互いを人間として尊重し思いやる挨拶しぐさでした。この殺伐とした世の中で、人々がお互い気持ちよく暮らすために、この江戸の“粋”な習慣である江戸しぐさを復活させたいものです。」などの言われ方もしています。こうした話は分かりやすく、いいことだと思います。しかし当時の商人道・武家社会を考えると、現実は違うものだったと思います。

当時の江戸の町は人口密度が世界一であったと言われており、日本中から身分・生活習慣や言葉(方言)の異なる人々が大勢集まり暮らしていました。長屋の間には狭い道が縦横に走り、そこが町人の通行路になっていました。前から歩いてくる人は、どこの誰から分からず、しかも狭い道をすれ違おうとするのです。いったい何が起きるか分からない、危険な状況に過ぎません。もしかしたらいきなり刀を抜きつけられたり、懐から短刀を抜き出すかもしれません。侍は左側に帯刀しているのですから、江戸社会の通路は左側通行になるのは当然のことです。もし右側通行であれば、すれ違う者の刀剣が触れ合って、一発触発になります。仮に刀剣を持っていないとしても、心臓のある左半身を守るべく、右半身を強く引いてすれ違うのは、生理的な反応でもあります。
江戸の通路ですれ違うとき、サッと右肩を引きお互いがぶつからないようにするのは、相手を尊重するのでもなんでもなく、元来は単なるリスク管理の必要上のことに過ぎなかったと思います。

同様のことは江戸しぐさの「七三の道」(道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は他の人のためにあけておく)・「蟹歩き」(もっと狭い道では、完全に横になって顔と顔と合せる格好で通り過ぎること)にも言えます。「しぐさ」は仕草ではなく思草と表記します。江戸しぐさは礼儀作法ではなく、リスク管理の思想だったのでしょう。

室礼 しつらい SHITSURAI

2009-03-03 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
「室礼(しつらい)」とは部屋を調度で装飾することです。
(「調度(ちょうど)」とは日本の伝統家具のことです。)

私たちは室礼をハレの日、例えば正月、ひな祭り、端午の節句、七夕などの日に施します。

私たちは室礼を施すとき、自然と調和した芸術的な調度を用います。

そうすることで、私たちは現代的で機能的なインテリアには無い、独特な芸術的精神の表現の重要性に気づかされます。

このような室礼は、私たちに自然の恵みに対する感謝の気持ちを起こさせ、かつ感動を与えてくれるのです。


�上記文章の英訳

室礼 しつらい SHITSURAI

'Shitsurai(室礼)' is decorate the room with 'Chodo(調度)'.
( ‘Chodo’ is Japanese traditional furniture.)

We make ‘Shitsurai’ on the day of some celebration, for example, Shogatsu (the first day of new year), Hinamatsuri (the day of girl’s festival), Tango no Sekku (the day of boy’s festival), Tanabata (Japanese star festival) and so on.

We make Shitsrai using artistic furniture that harmonizes with nature.

And so we can realize importance of expression of special artistic spirit which is not in modern useful furniture.

Such Shitsrai makes us gratitude to the blessing of nature, and we are impressed.

Today is Hinamatsuri (the day of girl’s festival).

立春:りっしゅん:RITSHUN

2009-02-05 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
今日、2月4日は立春。
暦の上では、五月初旬の立夏前日までの、春に入る。
寒さはまだ厳しいが、不思議と気分は高まってくる。
立春は俳句の季語として、そんな人の心の投影として、使われることが多い。
立春の空
立春の波
立春の木

Today(4th,Feb.) is the day of RITSHUN.
RITSHUN is the first day of spring in calendar.
Japanese season enter spring from RITSHUN to the day befor RITKA(立夏).
It is cold still.
But Japanese mind become active little by little.

RITSHUN is used as a KIGO in HAIKU.
KIGO is the word of season.
People use RITSHUN with spring mind in HAIKU.

For example.
立春の空 The sky on RITSHUN
立春の波 The wave on RITSHUN
立春の木 The tree on RITSHUN

床の間:とこのま:Tokonoma

2009-01-08 | Japan Traditional culture日本の伝統文化
A happy new year
This is a Japanese traditional room in January.

The center space is called Tokonoma for Kakejiku.
The red sun is drawn in the Kakejiku.
It is rising.
Where is it rising from?
You can freely imagine it rising from the sea or the mountain range.

The Bonsai is an Ume tree which has many white blossoms.
And Ume is a kind of Japanese apricot tree.