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保科正之 継承される「ならぬことはならぬ」 産経新聞より

2012-05-17 | Twitter ツイッター 大東流合気柔術
保科正之 継承される「ならぬことはならぬ」産経新聞2012.5.12 07:59

写真は会津若松のシンボル「鶴ケ城」(会津若松市観光公社提供)

 世に「名君」と評される人物は多い。もし、「真の名君は」と尋ねられれば、私はためらうことなく会津松平家初代藩主、保科正之(1611~73年)と答える。しかし、明治以降、歴史の表舞台から消える。その原因が、いわゆる「薩長史観」によるものか否かは問わない。ただ、教科書に正之が取り上げられなかったことは事実である。

 正之は、3代将軍徳川家光の異母弟である。信濃高遠の保科家に養子に出され、高遠藩主、出羽山形藩主となった後、23万石の会津藩主となった。家光に厚遇され、家光の没後は4代将軍家綱を終生補佐した。

 家綱政権の「三大美事」といわれた「末期養子の禁」の緩和、殉死の禁止、幕府が大名の正室や嫡男を江戸屋敷に住まわせた「大名証人制度」の廃止は武断政治から文治政治への転換を進めた正之の功績である。また、玉川上水の竣工(しゅんこう)と明暦の大火に伴う江戸復興計画も正之が主導した。

 会津の藩政では、「社倉」を設置し、米を大量に貯蔵することで飢饉(ききん)に備える一方、藩士教育の礎を築いた。特に、「会津藩家訓十五カ条」に示された正之の精神は、会津藩士の6歳から9歳までの子供たちに与えられた「什(じゅう)の掟(おきて)」の中に継承された。「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」「虚言を言うことはなりませぬ」「卑怯(ひきょう)な振る舞いをしてはなりませぬ」などを掲げた「什の掟」は、「ならぬことはならぬものです」という文句で結ばれている。

 「ならぬことはならぬものです」の精神は、藩校日新館の教育でも具体化されて、現在でも「NN運動」として会津若松市のコミュニティー活動に取り入れられている。さらに、平成14年には「人をいたわります」「ありがとうごめんなさいを言います」「がまんをします」「卑怯なふるまいをしません」などの六カ条に「やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」を加えた「あいづっこ宣言」が策定されている。

 郷土の歴史と偉人の精神を受け継ぐことで郷土愛は生まれる。そして、郷土愛のないところに愛国心は育つことはない。(武蔵野大学教授 貝塚茂樹)

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