早速、家に帰ってから河井寛次郎の「手考足思」を読んだ。
どういうわけか速読がしづらい。
読み手にゆっくりと読ませるようなリズムがある。
無論、陶工としての専門用語もあるし、今では使われないような昔の感じもある。
例えば体。
體という言葉が使われている。
骨偏に豊。
この本ではじめて知ったが、実にしっとりとした言葉である。
豊な骨が体。
昔の人はいい言葉を使っていたようだ。
読み書きをするだけで伝わってくるものがある。

序文には芳賀徹という人が書いている。
東京大学の教授だそうだ。
「工作人」という言葉を河井寛次郎は使っている。手を働かせてモノを作り出す人、の意味だろう。
工作人は陶器でも木工品でも藁製品でも、いい物に出会えば、いつ、どこで、誰が、よりも、
まずそれがどのようにして作られたかを問わずにはいられない。
それが工作人の発する最初の挨拶だという。
本書に収められた文章のすべてをとおして、
陶工寛次郎のこの「どうして」の問いを一つ一つの物に投げかけている。
手の人としてその美の秘密を考えつめてゆく。
河井寛次郎 「手考足思」 Vol.2 へ続く
どういうわけか速読がしづらい。
読み手にゆっくりと読ませるようなリズムがある。
無論、陶工としての専門用語もあるし、今では使われないような昔の感じもある。
例えば体。
體という言葉が使われている。
骨偏に豊。
この本ではじめて知ったが、実にしっとりとした言葉である。
豊な骨が体。
昔の人はいい言葉を使っていたようだ。
読み書きをするだけで伝わってくるものがある。

序文には芳賀徹という人が書いている。
東京大学の教授だそうだ。
「工作人」という言葉を河井寛次郎は使っている。手を働かせてモノを作り出す人、の意味だろう。
工作人は陶器でも木工品でも藁製品でも、いい物に出会えば、いつ、どこで、誰が、よりも、
まずそれがどのようにして作られたかを問わずにはいられない。
それが工作人の発する最初の挨拶だという。
本書に収められた文章のすべてをとおして、
陶工寛次郎のこの「どうして」の問いを一つ一つの物に投げかけている。
手の人としてその美の秘密を考えつめてゆく。
河井寛次郎 「手考足思」 Vol.2 へ続く
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