100年後の君へ

昔書いたブログですが、時折更新しています。

「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで4 正宗は裸焼きだった(杉田善昭談)

2016年07月23日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 平成二十八年新作刀コンクール審査員講評で宮入法廣氏が言っているように山城伝にも相州伝にも裸焼きの作品がある。しかし刀は一振り一振り全て違うので、同じ作者の作品でも裸焼きの物もあれば土置きした物もある。どのような焼入れで作られたかはあくまでも個別的に判断しなければならない。
 山城伝は概ね土を使っているようだが、旧重要美術品・鳥養国俊は明らかに裸焼き、国宝・後藤籐四郎吉光も裸焼きである。来国俊の作風は一般的には直刃が多く、籐四郎吉光も通常は直刃だが、上記の作品は裸焼き特有の乱れ刃となっている。しかし直刃だからといって裸焼きでないとは言い切れない。
 故杉田善昭刀匠は90年代後半、数人の刀匠達と協同で熱田神宮境内で奉納鍛錬を行い、裸焼きで焼入れをしている。その時の焼き刃は鎌倉時代を想わせる直刃調の小乱れだった。また杉田刀匠は裸焼きで来国俊や籐四郎吉光そっくりの直刃の短刀を作った事もある。その短刀は地の一部に鍛接面が現れてはいるものの本科に迫る崇高美を湛えた名品だった。私が買いたいと言うと「試作品だから」と言って売ってくれなかった。研究用として手元に置いておきたかったのだろう。あれが自殺に使われたのかもしれない。今どこにあるのだろう。刀屋に買われ(事実上盗まれ)、銘を消され、鎌倉時代の古刀の極めが付けられて高く売られたかもしれない。
 相州伝では広光と秋広の皆焼(ひたつら)は誰が見ても裸焼きだが、正宗、貞宗も裸焼きで作っている。裸焼きは相州伝の極意だったのだろう。相州伝の祖とされる国宗は備前鍛冶出身と伝えられ、明らかに裸焼きだ。
 しかし一口に相州伝と言っても、広光・秋広と正宗・貞宗の地刃は大きく異なる。刀格の差も歴然としている。その違いは偏に技術力の差である。裸焼きは作者の技量によって全く別の作品になるのだ。広光・秋広も名人ではあるが、裸焼きを完全にはコントロールできなかった。彼らの作品は自然の猛威を思わせる激しい皆焼となっており、自然美の段階に止まっている。その点、正宗・貞宗は裸焼きを完全にコントロールし、自らの理性に焼き刃を従わせる事ができた。自然美を超えているのである。美学的には自然美を超えた所に理性の美があるという考え方がある(ヘーゲルなど)。その点正宗・貞宗の作品は正に理性の美。思わず頭が下がるような、深い道徳性を感じさせる作風となっている。
 国の指定品(国宝・重要文化財)に限定して言えば、正宗は殆ど裸焼きである。しかし国宝・中務正宗、国宝・九鬼正宗は土置きしているかもしれない。国宝・包丁正宗、国宝・不動正宗は裸焼きの特徴が顕著。国宝・城和泉正宗、国宝・日向正宗、重文・石田正宗に見られる雲上の放電のような稲妻と地景が一体となった驚異の景色は裸焼きの上を行く焼入れ方法によるものである。
 故杉田善昭刀匠は「正宗は裸焼きで尚且つ油で冷却したのではないか」と言っていた。確かにあれだけ激しい沸、地景を現出させるには刀身を極めて高温に熱する必要があり、水や湯で冷却したのでは刃が割れてしまうだろう。もし油を使って冷却したなら、焼入れした直後、刀身に付着した油が炎を上げて燃え上がったかもしれない。 想像するだに凄まじい光景である。
 貞宗は土を使っているかもしれない。しかし今日行われている土の置き方ではなかったはずだ。貞宗も基本は裸焼きだったと思われる。国宝・伏見貞宗、国宝・寺沢貞宗、重文・幅広貞宗、等、貞宗の多くは明らかに土を使っているが、刃淵の多彩な変化は裸焼きを基本としていると考えられる。国宝・徳善院貞宗、重文・物吉貞宗は純然たる裸焼きである。
 その他相州伝の国指定品では、行光、義弘は土を使っているようだ。則重には裸焼きと土置きした物がある。国宝・分部志津は明らかに裸焼き。国宝・へし切り長谷部も裸焼き。国宝・江雪左文字は土置きしている。左文字短刀の国指定品も土を使っているようだ。しかしこれらの相州伝も基本は裸焼きで、意図する作風に応じて土置きや油による冷却を行ったのではないだろうか。

 また地刃に正宗との共通性が見い出され、作風上正宗が模範としたのではとの説(本間順二)がある国宝・童子斬り安綱は裸焼きである。童子斬りは裸焼きと土置きを併用して作られたのではないか。私は杉田刀匠に「童子斬りを写して下さい」と頼んだ事がある。しかし氏の答えは「安綱の作風にしても、焼刃土を用いれば似たような物は出来るでしょう。しかし不用意に用いたのでは今日行われている方法と同じ物になってしまいます」(杉田刀匠のある日の手紙より)と消極的だった。氏は一文字風の自然美を追求しており、私の依頼はお門違いだったようである。

 美濃伝にも裸焼きと思しき物が多々ある。
 また新刀期では石堂系の鍛冶が一文字風の裸焼きを多く残しているが、国広、南紀重国、繁慶には相州伝の裸焼きと思われる作品がある。しかし国広も重国も繁慶も土置きした作品が大多数であり、裸焼きはごく例外的である。どのような焼入れをしたかはあくまでも個別の作品においてのみ言える事である。一つか二つの作品を見て「誰某は裸焼き」と短絡してはいけない。
 ただ言えるのは古刀でも新刀でも国の指定品には裸焼きが多いという事である。それらの作品が指定された当時、裸焼きなど誰も知らなかった。戦前から刀剣商・鑑定家として活躍し数多の名刀に接していた研ぎの人間国宝藤代松雄でさえ、杉田善昭刀匠によって初めて裸焼きの存在を知ったのである。それにもかかわらず国指定品に裸焼きが多いという事実は、裸焼きは誰が見ても一味違うという証左であろう。また作者としても裸焼きには特別の気合いが入ったと思われる。

 刀屋で売られている時代刀も焼入れ方法の観点から見る事で、鑑定書に惑わされずその良否を判断できるようになるだろう。
 



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「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで3 杉田善昭刀匠に捧ぐ

2016年07月22日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 先ず銘記すべきは焼入れ方法で名刀ができる訳ではないという事である。土を使うと名刀ができないという事はないし、裸焼きをすれば名刀になるという事もない。全ては作者の腕次第だ。
 ただ技術的に裸焼きは非常に難しいとは言える。下手な鍛冶が裸焼きをすれば日本刀の品格からは程遠い下品な刀になってしまう。古刀期でも実用本位の数打ち物には下品な裸焼きが多い。
 同じ事は材料にも言える。いくら良い鋼を用いても腕が悪ければ鈍刀にしかならない。
 材料や焼入れ方法はあくまでも日本刀の周辺要素でしかないのだ。切れ味や美術性も然り。しかしそれらの周辺要素が合わさって高度に融合した時、名刀が現象するのである。
 だから作者も鑑賞者もあらゆる周辺要素に心を開き、偏りなく刀を見なければならない。
 間違っても「これが日本刀の本質」と思いなして刀に接してはいけない。そう思った時点で人間の脳は新たな情報を受け付けなくなるからだ。
 脳が新たな情報を受け付けなくなると、当ブログ記事を「薬物中毒」とか「おバカさん」としか情報化できなかった軍装マニア氏や渓流詩人氏のように、自分視点でしか物事を判断できなくなる。これこそが、彼らが物事の本質を見る事ができない最大の原因である。刀を見る目も必然的に偏向したものになるだろう。偏向した刀剣観の者に日本刀を語る資格はないのだ。

 平成二十八年新作刀コンクール審査員講評で宮入法廣氏は「古い刀を精査すると備前伝だけでなく相州伝・山城伝など広範に裸焼きの特性を利用していることがわかります」と述べている。これこそ30年近くもの間、杉田善昭刀匠の裸焼きが否定され続けた理由であった。裸焼きは新作刀コンクールだけの問題ではなく、日本刀全体の在り方、日本刀の歴史に関わる問題だからである。
 日刀保で裸焼きが問題視されていた頃、私が日刀保中枢の関係者複数から直接聞いた話では「裸焼きを認めると日本刀の解説書は全て書き換えねばならなくなる」「日刀保の鑑定書が間違っている事が明らかになる」「無銘の古刀の極めは殆ど信用できなくなる」だから裸焼きを認める事はできないとの事だった。
 「裸焼きを認める事はできない」と言うのは単に新作刀コンクールで杉田刀匠の技術を認めるか否かではなく、日本刀における裸焼きという技法そのものの存在を認める事ができないという意味だった。裸焼きの存在が周知されると従来の鑑定方法、鑑定基準が根底から覆され、日刀保の鑑定書を根拠に商売している刀屋は大混乱になる。鑑定書はただの紙切れになってしまう。刀剣業者には本物のヤクザが多いので、そうなったら何をされるか判らない。それゆえ日刀保は裸焼きをうやむやにしたのである。
 一人裸焼きをやっている杉田刀匠は我流刀鍛冶という事で放置しておけば全て丸く収まる。
 そのせいで杉田刀匠は自殺に追い込まれた。全ては日刀保と刀剣業者どもの保身のせいである。

 その日刀保新作刀コンクールの審査員講評で裸焼きが公然と議論される時代が来るとは・・・。

 先生。先生が自殺したのは2012年。あと4年我慢すれば生ける伝説になれました。注文が殺到したでしょう。しかし精神的に限界だったのでしょう。少なくとも私は先生の死に敬意を表します。

 その杉田善昭刀匠は本年度新作刀コンクール審査員講評における宮入法廣氏より更に突っ込んだ発言をしていた。曰く「正宗は裸焼きだった」と。(続く)
 

 

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「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで2 裸焼きと焼き刃土の問題

2016年07月21日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 「平成二十八年新作名刀展の概要」(日本美術刀剣保存協会HP内PDF)の審査員講評で宮入法廣氏が裸焼きについて、当初は否定的だったが条件の設定次第で焼き刃をコントロールできることが判り、現在では肯定的な立場であると述べている。
 今日は裸焼きと焼き刃土を使った焼入れに関する当ブログの見解を過去記事より抜粋する。
 
 長光と景光の焼入れについて
・平成27年新作刀コンクールの審査員講評で、吉原義人氏は、「はだか焼きの刃紋は、水中に入れた刀身から発生する気泡によって冷却温度が調節され刃紋が出来るもので、全く作者の美意識の入れられない刃紋です」「皆がこれをやったら、刀の個性がなくなってしまいます」「長光も景光もそれぞれちゃんとした個性的な刃を焼いています」と言っている(『刀剣美術』701号 日刀保HP内PDF)。
・吉原氏は「皆がこれをやったら、刀の個性がなくなってしまいます」と言うが、裸焼きで作られた刀はどれ一つとして同じ物はない。水中に入れた刀身から発生する気泡によって冷却温度が調節されるからこそ、作者の作意を超えた自然な焼き刃になる。全て個性的である。
・また吉原氏は「長光も景光もそれぞれちゃんとした個性的な刃を焼いています」と言うが、長光も景光も裸焼きの作品を作っている。例えば国宝「津田遠江長光」や国宝「小龍景光」がそうだ。
・裸焼きは日本刀とは何かの大問題に通じている。
以上2015年07月07日「裸焼き☆永遠の物語り・概念編 杉田善昭刀匠の想い出16」

 裸焼きと鋼の感度に関する杉田善昭刀匠の言葉
・「そもそもこの焼入れのヒントを掴んだのは、自分の鍛えた鋼の正確な感度が知りたかったからです。そしてすこぶる感度の良い鋼に鍛え上げないと駄目だと気付いたのです。基本的に強い刃が入ればそれで良かったのです。丁子であろうが互の目であろうが小乱れであろうが、それは後の問題です。正直な所、この焼入れを発見した時点において、一文字の実物は一度も手に取って観た事がありませんでした。後日自分の作る刀に共通点を見い出したに過ぎません。刀を作る者としては誠に不勉強で恥ずかしい話ですが、それが全てです。」(杉田刀匠のある日の手紙より)
以上2015年07月05日「裸焼き☆始まりの物語り 杉田善昭刀匠の想い出15 」
・「土を用いて素焼きの欠点を補い、また美的なものを付加して行く事は非常に大切であると思います。歴史的にもそのように改善されて来たのでしょう。長船の刀工達がそれを成し遂げたのだと思います。そしてその方法が世に伝えられ、長船と言えば名刀の代名詞にまでなったのだと思います。」(杉田刀匠のある日の手紙より)
・「素焼きの方法を採用してより一番初めに思いついたのは焼刃土の併用なのです。それを機会ある度に、研師にも刀鍛冶にも、また愛刀家の皆様にも問い掛けて来たのです。特に親しい刀鍛冶にはかなり深い所の秘伝まで教え、各自研究してくれと。なぜなら独りでの研究では時間的にも経済的にも限界があり、とても解決策が見い出せそうになかったからです。しかしながら今だに誰も名案が浮かばず、私も同様なのです。」(杉田刀匠のある日の手紙より)
以上2015年09月03日「杉田刀匠の死と平成26年新作刀コンクールの歴史的意義 杉田善昭刀匠の想い出22」

 裸焼きを知ると刀の観方が変わる
・大包平を筆頭とする古備前の作風について杉田刀匠は、「古備前は地鉄の感度が悪いから、ああゆう焼刃の低い作風になった。焼刃土は焼き入れ促進剤だから、古備前は刃先の部分だけに土を置いて焼いたのでしょう」と低評価だった。因みに現代刀匠の松田次泰氏は焼き刃土を併用する方法で作刀している。
焼刃土は焼き入れ促進剤である。これは杉田刀匠による刀剣学上の大発見である。一般的には焼刃土は焼き入れ緩衝材であり、刃の部分に薄く、地や鎬地の部分に厚く塗る。それによって焼き入れ時の冷却温度が調整され、刃の部分は硬く、地や鎬地の部分の部分は柔らかく焼きが入る。ここまでなら現代科学でも解明されている作刀理論だ。
・しかし日本刀独特の鍛錬方法で入念に鍛えた和鉄には現代科学では未解明の何かが生じ、焼き刃土と不可思議な親和性を示すのである
・恐らくは鍛錬によって物理的に鋼の組織が整序され、鋼内の自由電子の流れに秩序がもたらされるのだろう。その自由電子の秩序化された流れによって、鋼に微弱な磁性が生じ、それが焼刃土と反応する。それゆえ土を置いた方が焼きがよく入るのである。
古名刀の多彩な地刃の働きは、鍛錬された鋼の組織によって刀身内部の自由電子の流れに秩序が形成され、そこに磁性が生じて焼き刃土と反応した結果、創り出されているのだ。(日本刀の制作と鋼の相転移に関しては2013年10月7日「杉田善昭刀匠の想い出 番外編 鋼の錬金術」http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/0ca4df28d55667605337f91c5a253265参照)
以上2015年07月10日「裸焼き☆永遠の物語り・理論編 鍛錬と鋼の感度と焼刃土及びチタンの問題 杉田善昭刀匠の想い出17」

 改めて長光と景光の焼入れについて
・確かに鎌倉時代の一文字と備前長船は裸焼きをやっている。でもその中で今日まで残っている作品はごく一部だし、名刀となると更にそのまたごく一部である。今日、鎌倉時代の一文字と備前長船は時代が上がる古刀という事で珍重されているが、世間に出回っている重要刀剣クラスの物と国宝級のそれとではまるで別物である。旧重要美術品でも現在の国宝指定の作品と比べれば遥かに劣っている。一文字にせよ備前長船にせよ、裸焼きで国宝指定になっている作品は同銘同時代の他の刀とは別物なのである。それらは何十万分の一、何百万分の一の傑作、マスターピースである。マスターピースとは全ての職人が模範とすべき作品、模倣しても許される作品、という意味だ。
・吉原氏が言っているのは、津田遠江長光や小龍景光が裸焼きで作られているとしてもその美は裸焼きでは再現できない、という事だろう。
・再現とはコピーではない。いわゆる写しである。先人が残した美を相続し、可能ならば更に発展させる。それが日本文化の美意識であり、日本刀を世界に通じる文化財にしている。だが裸焼きではそれができない、それが吉原氏の言いたい事だろう。
・「作意を超える」のと「作意が反映されない」のとでは大違いだ。
津田遠江長光や小龍景光は、土置きして焼けばどんな刃紋でも焼ける名人が、敢えて自らの作意を超える作風に挑んだ畢生の大作だったと考えられる。だから数百年後の新新刀期でも現代でも、マスターピースとして、一流刀匠の写しの対象とされているのである。
以上2015年07月07日「裸焼き☆永遠の物語り・概念編 杉田善昭刀匠の想い出16」

 その他関連記事
2015年08月14日「平成27年新作刀コンクール審査員講評より 今求められる新作刀コンクールのルール作り」
2015年07月02日「平成27年新作刀コンクール審査員講評で想い出す吉原義人の裸焼き批判と杉田刀匠の裸焼き中毒 杉田善昭刀匠の想い出14」
2015年07月05日「裸焼き☆始まりの物語り 杉田善昭刀匠の想い出15」




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「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで1 刀剣学の時代は始まったが・・・

2016年07月20日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 「平成二十八年新作名刀展の概要」(日本美術刀剣保存協会HP内PDF)を読んで。

 先ず主催者挨拶で「本展は刀剣類に関する伝統技術の保存とその向上を図り後世に伝承していくとともに文化財としての刀剣への関心を高めていくことを目的としております」と言われる。
 これまで日本刀と言えばあくまでも骨董品であり、一部の国指定品を除いて文化財という位置付けはされていなかった。新作刀に至っては刀剣扱いさえ、されなかった。
 武器でも骨董品でもなくあくまでも文化財。
 だからこそ日本刀は学問の対象たり得るのだ。
 その意味で主催者挨拶で「文化財としての刀剣」という言葉を使ったのは評価できる。

 そして審査員講評。
 宮入法廣氏が「平成二十八年新作名刀展の概要」で裸焼きについて次のように述べている。引用青字

 最初は私もこの「はだか焼き」による作品は、作家の美意識の外にあるとして否定的でした。しかし私自身この技法を取らなければならない必要性に迫られ「はだか焼き」の技法を探り続ける中で、条件の設定次第では焼刃をコントロールできることがわかり、 今は肯定的な立場を取っています。
 古い刀を精査すると備前伝だけでなく相州伝・山城伝など広範に「はだか焼き」の特性を利用していることがわかります。焼き刃土を置く従来の焼入れ法を以てすれば、自在に刃を焼くことはできますが、古刀のような趣きのある刀は絶対に表現できません。今までの土置きに頼る焼入れ法に限界を感じているのは私だけではないと思います。今の技術では今の刀しかできないのです。「刀作りはこうでなければいけない」ということから離れることによって、新しい展開が見えてくるのではないでしょうか。「はだか焼き」をコントロールできれば、自ずと評価は定まると思います。


 やっとこの時代が来たか――。
 それが「平成二十八年新作名刀展の概要」を読んだ感想である。
 故杉田善昭刀匠は製作と鑑賞が車輪の両輪となり、日本刀の研究が際限なく高まっていく事を願っていた。その氏が裸焼きを世に問うて以来、30年近くもの年月が流れてしまった。
 これまで日本刀と言えばあくまでも骨董品であり一部の国指定品を除いて文化財という位置付けはされていなかった。
 現代刀匠がいくら立派な作品を作っても、刀屋では現代刀というだけで二束三文。愛刀家は見向きもしなかった。現代刀は鑑賞の対象にもされていなかったのだ。 
 裸焼きは無視されるか、邪道な技術のように言われた。
 ネットにおいては悪質なプロパガンダが横行し(軍装マニア)、真実を語ると「おバカさん」(渓流詩人の言葉)と侮辱された。
 自殺者も出た(杉田善昭刀匠その人)。
 やっと文化財と呼ばれるようになった新作刀。やっと正しく評価されるようになった裸焼き。
 今ようやく日本刀を製作と鑑賞の両面から刀剣学として研究する時代が来たのだ。

 しかし、遅きに失したと言わざるを得ない。

 現代の日本の経済状況は30年前とは違う。現代刀匠が刀作りだけで生活できる時代ではない。
 材料についても30年前は古刀期とは比べ物にならない優秀な鋼がいくらでもあり、多面的な研究ができた。が、90年代の鉄鋼業界統廃合で多くの優秀な鋼材が廃版になった。
 否。現代刀匠を取り巻く環境は同じく経済的、物質的に恵まれなかった昭和二十年代、三十年代の刀鍛冶より不利である。昭和二十年代、三十年代は日本は貧しいながらも未来への希望を持っていた。しかし今の日本に明るい未来は見えない。没落の時代である。
 そんな時代に日本刀を作り続ける現代刀匠の苦労は大変なものだろう。
 実作者たる彼らにどんな励ましの言葉を掛けても軽いものにしかならない。
 ただ言えるのは、この時代に彼らが日本刀を作り続けているその事が、日本の精神を世界に示す事であり、日本の歴史そのものを未来に繋げているという事である。




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