100年後の君へ

昔書いたブログですが、時折更新しています。

従軍慰安婦問題に酷似する軍装マニアHPの主張

2014年08月20日 | 日本刀に関する虚偽を正す 軍刀HP批判

 杉田善昭刀匠の裸焼きにせよ、松田次泰刀匠の焼き刃土を刃先に置く焼き入れにせよ、古刀期の焼き入れ方法は現代刀における最先端の技法でもある。最先端と言っても、当ブログで紹介したそれらの技法は現代刀の世界では20年以上も前に解明され、実践されていた。私は21世紀以後、公私共に多忙になり、日本刀の研究に割ける時間が無くなってしまった。だから作刀方法に関する当ブログの情報は全て20年以上前のものである。現在ではもっと進んだ作刀方法が確立され、実践されているに違いない。
 例えば20年前の時点で、沸かしや鍛練にガスバーナーを使う方法を模索する刀鍛冶がいた。平安・鎌倉時代の古名刀の超絶的な地鉄の謎は鍛練過程における熱処理の仕方にあるのでは、と考えての事だ。ガスバーナーを使うと灼熱した鋼の中に更に微妙な温度差を作り出す事ができる。当然それは鉄の姿に反映される。その関係性が判ればガスバーナーを使わなくても同じ熱処理が可能になるだろう。
 先日引用した平成26年新作刀コンクールに関する日刀保の記事の中で、上林恒平氏が審査員講評として、「仮に今ここに長光や正宗が来ることができたら、今の材料で長光、正宗を作ると思います。また逆に、私達が古い時代に行くことができればやはり今の材料でかなりのものができるはずです。」「現代刀は、ここ何年かで大きく変わる予感がします」と言っているのは、このような現代刀匠の実力を指しているのである。
 21世紀になりインターネットが普及し、私はそうした現代刀匠の情報がネットで発信されると思っていた。それにより愛刀家の知識は一気に上がるはずだった。事実、あれほど世事に疎い杉田善昭刀匠でさえネットで情報発信を試みるなど、多くの刀匠や研ぎ師がネットの活用に意欲的だった。杉田氏の活動には松葉國正刀匠も加わっていたと記憶している。ところが彼らの意に反して、ネットでは日本刀に関する嘘が垂れ流され、一流の刀匠や一流の研ぎ師の発言の方が嘘吐き呼ばわりされるようになってしまった。そして一流の刀匠や一流の研ぎ師より、職人気取りで虚言を弄する素人騙しの悪党が受け入れられた(2011年4月3日「剣恒光(片山重恒))。町井某はその最たるものである。日本刀の世界は悪徳商人の天下になってしまった。私も愛刀家の一人として虚偽を正そうとしたが、多勢に無勢で、ネットでは嘘吐き呼ばわりされた。
 先日の日刀保の記事http://www.touken.or.jp/pdf/h26_new_meitou_gaiyou.pdfにある松葉刀匠の言葉、「日本刀は、人類の生み出し得た美術品の中でも際立って美しいと、今も深く信じてはいる。同時に日本刀という存在にまとわりつく偏見や禍々しい誤解にあまりにも多く遭遇し、刀鍛冶としての矜持は大きく損なわれた。そして、この国の美意識が今まさに消えようとしているのではないかという、じりじりとした焦りをも感じ続けている」とは、上記の経験を指していると思われる。悪党が大きな顔をし、本物が貶められ、真実を口にすれば嘘吐き呼ばわりされる。まるで中国である。

 このように日本刀文化を支える現代刀匠や愛刀家の発言を頭から虚妄なものと決め付ける「偏見や禍々しい誤解」には、実は発信元があったのである。
 軍装マニアのHPhttp://ohmura-study.net/index.htmlである。

 たかがマニアのHPと侮るなかれ。
 ここに書いてある内容が、今日多くの人々が持つ日本刀に関する間違った認識の根拠となっているのだから。
 例えばインターネットの質問サイトで日本刀に関する質問があると、大抵はこのHPの内容に基づく回答がなされる。「もっと詳しく知りたければ」と、このHPを勧める回答者もいる。
 しかしその中身たるや日本刀とは程遠いものなのである。
 日本刀を軍装品や藁束切りの玩具として規定し、伝統的な日本刀製作技術そのものを否定しているのだ。それも既存の文献から文脈を無視して都合の良い文章だけを切り貼りし、元の筆者が言っている事とは全く違う意味にしたり、検証不可能な大昔の情報を持ち出したりしてである。

 例えばこれだ。

>千代鶴さんは明治三十三年の刀剣会(後の中央刀剣会)に刀を出品した。
>当日、公開会を傍聴に行ったところ、鑑定員の間で次のような遣り取りがあった。
>本阿弥琳雅・・・「備前伝の作風だが、新作刀のようじゃないところがあります」
>松平頼平子爵・「あたしの考えでは、これは無銘の古刀に今の人が銘を切ったもので、出品者が我々の鑑定力を試されたように思いますな」と最後に言った。
>「そういう物なら、この作は出品作として記録には留めない事にしょう」と誰かが言い足し、千代鶴の新作刀の合評はそれで終わった。
>千代鶴さんは後年、楠瀬日年先生に、刀工の家に生まれながら刀を鍛(う)たぬ所以を尋ねられ、上記逸事を物語った後、「あたしはこの時以来、刀を鍛っておりません」と締めくくったという。(白崎秀雄著「千代鶴是秀」より)
引用元 日本刀の考察020「砂上の楼閣」千代鶴是秀の刀http://ohmura-study.net/020.html

 と、検証不可能な明治三十三年(何と1900年!)の話を持ち出し、

>千代鶴さんが50年も前に生まれていれば、間違いなく幕末の名刀匠になっていたと天田刀匠が評した人である。これは、刀剣界の愚かしさと空しさに対する千代鶴さんの無言の反抗であったと云える。

 と言う。そして天田昭次著『鉄と日本刀』慶友社から次のような引用をしている。

>天田刀匠が戦後鉋(かんな)などの刃物を作っている時、浅草の刃物店で目を見張る小刀を見つけた。それが千代鶴是秀の作だった。
>早速、伝(つて)を頼って教えを乞う為に訪問し、是秀作の鉋で宮内庁御用の大工が削った10メートルも繋がっている鉋屑を見せられた。天田刀匠は言葉を失い、「単なる刃物鍛冶では無い。名匠だと直感した」と述べている。
>思い切って鋼の事を尋ねたら「私のは大体、大正頃」との答えだったという。
>白崎秀雄著「千代鶴是秀」には、千代鶴や従兄の石堂秀一が使った鋼は英国のワーランデッド・スチール社製やトーマスとある。
>木屋の加藤俊男さんが千代鶴さんに聞いた話として「スウェーデンです。鋼屋の河合さんから炭素量1/100の物を目安にもらった。明治三十年代のある年の出来が良かったので有り金はたいて買い、残り少なくなったが今も使っている」と載っている。
>上記のように、刀匠達は自らの信念に基づき、鋼材の固定観念には囚われず、より良い日本刀を目指して全ゆる可能性に挑戦していた。
引用元 日本刀の考察5「南蛮鉄・洋鉄考」千代鶴是秀が使った鋼http://ohmura-study.net/005.html

 まるで千代鶴是秀が刀鍛冶として英国のワーランデッド・スチール社製の鋼やトーマス、スウェーデン鋼で刀を作っており、明治三十三年の刀剣会で古刀と間違われたかのような引用の仕方である。そして千代鶴が後の人間国宝・天田昭次をも感服させた名人刀鍛冶であるかのような引用をしている。
 ここで軍装マニア氏はわざと引用していないが、天田が浅草の刃物店で見かけた「目を見張る小刀」とは、日本刀の拵えに使う小柄用の小刀ではなく、「鉈豆形の切り出し」(天田昭次著『鉄と日本刀』慶友社 P.254)である。その切り出しに魚子(ななこ)が施してあり、天田は「まるで美術品だ」と感服したのである(同上)。魚子とは拵の縁頭に施される数の子状の微細な彫刻で、その作成には気の遠くなるような労力と時間が必要だ。一説には一日に7×7個しか彫る事ができず、そこから魚の卵に似た見た目との語呂合わせでナナコと呼ばれるようになったとも言われる。江戸時代には魚子だけを彫る職人「魚子師」がいた。そんなものが単なる切り出しナイフに施してあったから天田は驚いたのである。
 この箇所の軍装マニア氏の引用は極めて意図的な編集が加えられている。
 確かに天田の著書『鉄と日本刀』には、天田が千代鶴の鉋で削った鉋屑が10メートル繋がっているのを見て驚いた事が書かれている。だがそれはあくまでも鉋の話だ。日本刀とは関係ない。千代鶴が英国のワーランデッド・スチール社製やトーマス、スウェーデン鋼で切れ味抜群の鉋を作っていたからといって、それと日本刀を結び付けるのは無理がある。日本刀と鉋とでは刃物としての目的も使われ方も全く違う。凡そどんな刃物もその用途によって形態や材料が違うのは当然だ。切り出しには切り出しの、鉋には鉋の、包丁には包丁の、鉈には鉈の、髭剃りには髭剃りの、各々の用途に適った材料が使われるはずだ。千代鶴の鉋の材料がどうして日本刀の材料に結び付くのか。理解に苦しむ引用である。 

 軍装マニア氏は更に、

>「日本刀は砂鉄製錬の玉鋼から造られる」と殆どの刀剣書に書かれている。これは明治以降の刀剣界が創り上げた寓話に過ぎない。
>人力鍛錬しなければ使えない半完品の粗鉄(例えば玉鋼等)と、最早、鍛錬の必要が無い精錬された洋鋼を、鍛接の可否で比較する事自体が全くの筋違いである。
>それよりも、鍛錬という原始的精錬手法を唯一と妄信していることこそが問題であって、その為に意味不明の珍説・奇説が生まれた。
>刀剣界は「玉鋼至上神話」を創り上げる為に、臆面もなく、こうした珍説・奇説を平然と流し続けてきた。
>和鋼でしか日本刀は造れないとの主張は、刀剣界の詭弁である。

 と極論し、返す刀で南蛮鉄を称揚する。

>「江戸中期(元禄四年=1691)、天秤鞴(ふいご)の登場で、和鋼が安く市場に出廻り、南蛮鉄の品質が悪いから駆逐された」との説を見かけるが、これは無知からくる曲解である。
>寛永十年(1633)の鎖国令で鉄の輸入が止まった。以降、南蛮鉄を消費し続け、丁度この頃、国内在庫が尽き果てた。その為に、刀は和鋼でしか造れなくなった。
>これは正秀の「剣工秘伝志」でも明らかである。鎖国がなければ、その後の新々刀の地鉄は違った様相になっていた可能性が高い。
>南蛮鉄が刀に不向きなら、国内在庫が底を尽くまで新刀に使われ続けた説明がつかない。

 これが軍装マニア氏の主張だ。

 私は長年日本刀の世界に生きているが、「玉鋼至上神話」なんて聞いた事がない。軍装マニア氏が言う「日本刀は砂鉄製錬の玉鋼から造られる」とは文字通りの事実である。それがなぜ「明治以降の刀剣界が創り上げた寓話」になるのか。軍装マニア氏の主張こそ「意味不明の珍説・奇説」ではないのか。
 確かに「玉鋼」という名称が普及したのは明治以後である。しかし「玉鋼」に相当する鋼は中世、あるいは古代から存在している。踏鞴製鉄によって作られた鋼が「玉鋼」である。日本では室町時代中頃から踏鞴による製鉄が盛んになり、その方法で作られた鋼が今日「玉鋼」と呼ばれているに過ぎない。「玉鋼」が特に踏鞴製鉄で作られた鋼を指すのは、踏鞴製鉄では鋼だけでなく銑鉄やケラも出来るからだ。踏鞴製鉄は砂鉄から直接鋼を作る直接製鋼に適しており、我が国では室町時代中頃から踏鞴による鋼の生産が盛んになった。砂鉄から直接鋼を作る分、銑鉄の炭素量を下げるズク下げや錬鉄の炭素量を上げる浸炭などの手間が掛からず、鋼の大量生産に向いている。踏鞴製鉄の普及は戦乱によって武器に使う鋼の需要が増加したからだと考える研究者もいる。踏鞴製鉄あるいはそれに類した製鉄方法は、神話ではなく技術として、古代からある製鉄方法の一種なのである。
(参考「明治大学佐野ゼミナール「技術の歴史」http://www.sanosemi.com/htst/History_of_Technology/lecture01.htm
 「製鉄技術史1」http://www.sanosemi.com/htst/History_of_Technology/History_of_Iron_19990324.html#03
 「玉鋼至上神話」も何も、日本の刀鍛冶が日本で生産された材料を使うのは技術史的に言って当然だろう。それのどこが変なのか? 日本の刀鍛冶が日本で生産された鋼を使う。そんな当たり前の話が神話と思える軍装マニア氏は、どこの国の人なのか?
 また慶長以後、南蛮鉄(ウーツ鋼=インド製の鋼)で刀を制作する事が流行したのは歴史的事実だが、それは南蛮鉄が刀の材料として優れていたからではなく、舶来品の南蛮鉄で作った刀が珍重されたからである。
 「流行した」というのは「普及した」という意味ではない。今日でも刀鍛冶が普段使わない材料で刀を作ったり、変わった作業を行った場合、その旨を中心に切り付ける習慣がある。管見でも現代刀に「○○の山野に眠る古鉄を以って之を造る」とか「アフリカ喜望峰の砂鉄を以って之を造る」とか「アントニオ猪木氏と共に之を鍛える」等々の銘文を見た事がある。堀井俊秀作の「戦艦三笠砲鋼を以って之を作る」と銘した短刀は有名だ。江戸時代初中期を中心に「以南蛮鉄作之」と特筆した作品があるのは、当時刀の材料として国産の玉鋼が普及しており、南蛮鉄を使うのが稀少だった事を意味している。当時の刀は武器ではなくステータスシンボルとして作られていた。そのため南蛮鉄を使うのは武器としての優秀性を求めてではなく、作品のステータスを上げるため、悪く言えば商品価値を上げるためだった。「玉鋼至上神話」どころか、玉鋼は刀の材料としての優秀性とは関係なく、ありふれた有り難味のない材料だったのである。
 日本刀の世界に「玉鋼至上神話」など無い。軍装マニア氏の捏造である。ありもしない「従軍慰安婦強制連行」と同じだ。

 引用された千代鶴是秀(1874-1957)について。
 千代鶴が鉋作りに輸入品の鉄材を使っていたのは良いとして、刀を作った時もそれらの材料を使ったのだろうか。普通に考えれば刀を作る時は誰だって刀の材料、即ち玉鋼を使うはずだ。天田昭次の著書『鉄と日本刀』慶友社 P.254以下「千代鶴是秀さん 一度だけの出会い」によれば、「千代鶴さんも若い頃は玉鋼を使っていたとのことでした。」(同書 P.256)とある。天田が千代鶴に会ったのが1950年(同上)だから、千代鶴が引用エピソードの刀を打った明治33年(1900年)は26歳。十分「若い頃」と言って良いだろう。引用エピソードの古刀に間違われたという千代鶴の刀は玉鋼で作られていたと考えて間違いない。
 ところで千代鶴が作った刀は現存するのであろうか? 引用エピソードの刀でなくても良い。千代鶴是秀作の刀が現存していれば刀鍛冶としての千代鶴の技量が判断できる。そこから軍装マニア氏の引用エピソードについて、ある程度の考証が可能になる。しかし千代鶴作の刀が存在するとは聞いた事がない。従って刀鍛冶としての千代鶴の実力も引用エピソードの真相も不明としか言いようがないのである。
 更には、こう言ってしまえば身も蓋もないが、そもそも引用されているエピソードが事実かどうかも判らない。
 そもそも1950年に天田昭次が千代鶴に会いに行ったのは、刀鍛冶としての千代鶴に感銘を受けたからではなく、天田自身戦後の刀を作れない時期に鉋を作っており、鉋作りの職人としての千代鶴に注目したからである。天田は刀作りを教えて貰うためではなく、鉋作りを教えて貰うために千代鶴に会いに行ったのである。「私も下手ながら鉋をやっています。ぜひ教えて頂きたいと思って伺いました。」と言って(同書 P.255)。その上で天田は「刀の話はしませんでした」と言っている(同書 P.256)。
 それをどう捻じ曲げたら軍装マニア氏のように、

>上記のように、刀匠達は自らの信念に基づき、鋼材の固定観念には囚われず、より良い日本刀を目指して全ゆる可能性に挑戦していた。http://ohmura-study.net/005.html

 となるのか。
 前提となる事実や文献・史料が捻じ曲げられていては健全な議論は不可能である。

 このように軍装マニア氏のHPは、刀剣関係の書籍から片言節句や都合の良い文章だけを取り出し、それらを意図的に編集して予め用意された結論に結び付ける。そこに論理的な検証や事実関係の調査は一切ない。そして子供じみた空想に基づく自分が欲しい軍装品としての刀を偶像化し、それに合わない現実の方を否定するのである。現実を否定してありもしない珍説・奇説・虚偽を日本刀に押し付けるのだ。更にはその責任が日本刀や愛刀家や刀鍛冶にあるとすると主張するのである。これほど日本刀の姿を捻じ曲げているHPはない。こんなものは悪質な捏造である。
 しかし日本刀を知らない人が軍装マニア氏のHPを見たら、日本刀とはなんと下らない文化なのかと思ってしまうだろう。
 近年、新作刀コンクールへの出品者が激減しているのは、刀鍛冶を志す若者が減った事も大きな理由である。日本刀に強い関心があり、刀鍛冶になりたいと思っている若者が軍装マニアのHPを見たら、確実に日本刀が嫌いになる。軍装マニアのHPは、論理的には全く破綻しているが、プロパガンダとしては非常に成功している。このHPによって近年の日本刀文化が急速に衰退したのは確実である。

 日本刀に興味がある人、これから日本刀を勉強したい人は先ずは一般的な解説書を読むべきである。当ブログを含め、ネットには偏った情報が多い。そんな中、誰にでも安心してお勧めできる日本刀サイトがこれだ。

 おさるの日本刀豆知識 http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/index.htm

  軍装マニア氏と同じテーマを扱いつつ、反対意見も引用、提示して、極めて公正な内容となっている。
 軍装マニア氏の偏った日本刀観に対する是正が全て含まれているのである。
 その正確かつ広範な内容は、私など及ぶべくもない。本格的な日本刀論、日本刀HPである。当ブログを読んだ方は是非「おさるの日本刀豆知識」を、日本刀に興味を持つ人々に広めて頂きたい。
 特に「日本刀の材料」・南蛮鉄の項目では、「新刀期の助広など一部の刀工が南蛮鉄を使った作刀を残していることから、全ての日本刀が輸入鉄を使用して作られたというような、極端で誤解を招く記述をしているホームページもあるらしく、注意が必要です。」と言っている。溜飲が下がる思いである。
 しかもこの人は2006年に両目を失明しているそうである。私なら失明したら刀を思い出す事さえ辛いだろう。その状態でよくこれほど立派なHPを制作できたものだ。本当に頭が下がる。
 恐らくこの人の人生は日本刀と共にあるのだろう。日本刀から人生を学んだのだろう。それゆえ失明という困難に立ち向かう事ができたのだろう。そして自分に力を与えてくれた日本刀を、より多くの人に知って貰いたいと願っているのだろう。
 このHPこそ、日本刀精神そのものである。
 このような日本刀の持つ精神的威力こそが、日本刀を武器としてしか見れない軍装マニア氏には絶対に理解できない、日本文化の精髄なのである。

 軍装マニア氏が言う「玉鋼至上神話」は「従軍慰安婦強制連行」同様でっち上げである。
 そこに引用されている千代鶴是秀や天田昭次の言葉は意図的に捻じ曲げられ、従軍慰安婦強制連行の証拠とされる吉田清治証言、黄錦周証言と同じような形で使われている。千代鶴も天田も自分の言葉がまさかこんな不本意な形で利用されるとは思いもしなかっただろう。
 この他、軍装マニア氏のHPに引用されている日本刀関係の史料は全て、特定の結論=日本刀を否定する事だけを目的として歪められ利用されている。
 この手口は従軍慰安婦問題捏造と全く同じである。
 日本刀を語る振りをして日本刀を否定する。日本刀を否定する事で、日本の歴史、日本の文化、日本人の魂を否定する。
 極めて悪質かつ巧妙なやり方だ。
 日本人の誇りを否定する偽装日本人の活動は、こんな所でも行われているのである。

 







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平成26年新作刀コンクールの正宗賞

2014年08月08日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 今年の日本美術刀剣保存協会新作刀コンクールで河内国平刀匠が正宗賞を受賞した。正宗賞とは傑出した作品に出される賞で、過去数人しか受賞していない。

 日刀保のHPより PDFhttp://www.touken.or.jp/pdf/h26_new_meitou_gaiyou.pdf

 一見して判るように河内刀匠の正宗賞受賞作は裸焼きである。杉田善昭刀匠の作品を髣髴させる出来だ。瓜二つである。杉田刀匠が健在なら、河内刀匠の正宗賞受賞はなかっただろう。それは今般の河内刀匠の受賞作と平成9年に正宗賞の候補になった杉田刀匠の作品を比べれば一目瞭然である(「杉田善昭刀匠の想い出5」http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/4f334b8b6e1d6c3fcea7a6d1a46b9f63)。当時審査員だった藤代松雄(研ぎの人間国宝)は杉田刀匠の出品作を国指定の重要文化財・備中青江次直(延文三年十一月日)以上と評した。要するに国宝相当の出来という事だ。実際に国宝・重文の名刀を多数研いで来た藤代の言葉だけに重みが違う。そして杉田刀匠に自分の愛刀を注文した。また当時の日刀保理事もこの作品を欲しがった。しかし出品時には既に売れていた。今どこにあるか判らないが、今持っている人、また未来に持つ人々には大事にして貰いたい。後世必ずや国指定の名刀になり、我が国の宝、全ての国民の宝になるのだから。
 世の中不公平と言ってしまえばそれまでだが、杉田刀匠の死を待っていたかのような今年の正宗賞に、日本刀文化の凋落を見る思いがするのは私だけではないだろう。当HPで散々指摘している裸焼きの問題点にしても河内刀匠が克服しているとは考えられない。ただ河内刀匠が「受賞の言葉」で日刀保玉鋼について肯定的に言及している点は評価できる。同じ事は杉田刀匠も言っていた。

 当ブログは杉田刀匠を正当に評価しているつもりだ。中には辛辣な言葉もあるが、それは私が個人的に杉田刀匠を知っていたからに過ぎない。杉田刀匠の作品が今後千年二千年と高く評価されて行くのは間違いないし、氏が日本刀の歴史に残る人物であるのも間違いない。現代刀匠中、技術的には過去20年間で最高の実力を持った人物だった。
 氏自身、焼入れに関しては人間国宝や無鑑査刀匠より上だと自負していた。そして自分の技術を惜しみなく他の刀鍛冶に公開した。それが反感を買い、新作刀コンクールでは皆から悪し様に言われた。ところが口では裸焼きを悪く言う連中が、裏では必死に裸焼きを研究していた。職人の世界は他人の優れた技術を盗むのが当たり前なのである。その成果が今年の河内刀匠の正宗賞受賞という訳だ。
 
 河内刀匠の正宗賞受賞は杉田刀匠もあの世から温かく見ているだろう。しかし河内刀匠は「受賞の言葉」で、なぜ裸焼き、そして杉田刀匠について、一言も触れていないのか。
 河内刀匠は研究熱心な人で、自ら進んで他の刀鍛冶と技術交流していた。杉田刀匠とも技術交流している。河内刀匠は杉田刀匠の鍛練道場に何度も足を運び、裸焼きを実地に見学しているのである。それがあったからこそ今年の正宗賞受賞もあったのだ。人として何か言うべき事があったのではないか。

 それを思うと上掲記事から杉田刀匠の無念が伝わって来る。
 今は亡き杉田刀匠に代わり、私には氏の無念を伝える義務がある。

 杉田刀匠の技術は裸焼きだけではない。非常に困難とされる諸刃の剣の作り方にも氏独自の技術があった。もしかしたら現在では刀鍛冶の間で周知されているかもしれないが、諸刃の剣の焼き入れには特殊な焼き船を使う。通常の焼き船で諸刃の剣を焼き入れするとどうしても捩れが生じる。そこで「焼き筒」とでも呼ぶべき縦筒状の焼き船を使い、赤めた剣を垂直に突っ込むのである。それが杉田刀匠が開発した諸刃の剣の焼き入れ方法だった。
 河内刀匠はこの方法による剣の焼き入れを杉田刀匠から直接見せて貰っている。それを見た河内刀匠は大変驚いていたそうだ。
 ところがその後、刀匠会が主催する刀鍛冶を対象とした技術講習会で、講師を務めた河内刀匠は杉田刀匠から教えて貰った剣の焼き入れ方法を自分が発見した技術かのように伝授したそうである。
 その事を悔しそうに語った杉田刀匠の顔が私には忘れられない。

 職人の世界では技を盗むのは悪い事ではない。しかし人に教える技術ならその出自は明確にしなければならない。
 作刀界で指導者的な立場にある人物が後輩に教えを請う。一見謙虚なようだが、人間社会のルール、倫理は守らねばならない。
 河内刀匠には自分の方が格上という意識が強くあったようだ。杉田刀匠に対して、お前は格下だから、お前の物は俺の物、俺の物は俺の物、と思っていたのだろう。今からでも遅くはない。裸焼きと杉田刀匠について何かコメントすべきである。

 ところで今年の新作刀コンクールの出品作は29振りである(無鑑査出品を除く)。10年ほど前までは毎年100振り以上出品されていたから、三分の一以下にまで減ってしまっている。
 刀剣文化振興協会の新作刀コンクールの方も審査員・招待出品を除くと出品作は僅か15振り。
 二つの新作刀コンクールを合わせても44振りしかない。
 昭和29年に行われた戦後初の新作刀コンクールでさえ出品作は93振りである(『現代刀名作図鑑』刀剣春秋社 「戦後鍛刀界の歩み」佐藤寒山 p.6)。
 その半分以下とは・・・。
 もはやこれは刀剣界の問題ではない。日本経済全体の問題だ。新作刀の出品数から見ると、今日の日本は敗戦後の昭和20年代の日本より貧しくなっているのではないか。国民の生活はこれからますます貧困化し、日清・日露戦争前、支那事変前の経済水準に落ち込んで行く事が予想される。
 それだけに日本刀の精神だけでも守り通して行かねばならない。
 そのためには業者や職人にはびこる泥棒根性の一掃と、我が国の歴史を無視して意図的に日本刀を軍装品の一部として宣伝する軍装オタク、藁束切りの遊びに使う玩具の刃物と日本刀の区別も付かないほど呆(ぼ)けた老醜の排除が必要である。
 日本刀でなくても、どんな刃物でも、泥棒や老醜を斬ったら穢れになる。
 ストライクをぶち込んで撲殺したいものである。

上掲引用記事にある松葉一路國正刀匠の受賞の言葉、「芸術、文化、日本刀」は感動的である。是非読んで頂きたい。氏のような人あってこそ、我が国で日本刀文化が連綿と受け継がれて来たのである。
 その松葉刀匠を藁束切りのお遊びに使う玩具の刃物の視点でネタにしている腐りきった老醜のブログがある。正に玩具レベルの内容。そんな輩が日本刀を騙るから、世間一般の日本刀に対する誤解が増大するのである。馴れ馴れしい口調のおどけた駄文で始まるこの人物のブログは日本刀の格調とは程遠く、この人物の品性、知性がオモチャみたいなものでしかない事を示している。
 偽装日本人の跋扈を監視し批判する事。
 それは日本刀文化の存続と子孫に対する義務であり、日本人の良心に他ならない。)


後記
 記事中で腐りきった老醜と呼ばれている人物は、この後、日本刀以外の分野でも下賤な品性を示し、トラブルを起こした。どこに行っても悪臭を放つ、迷惑な輩である。




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