100年後の君へ

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源清麿と杉田善昭

2016年02月28日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 今回は5年前の当ブログ記事の補論及び再録である。5年の時を経て漸く刀剣界でも疑問視されるようになった軍装マニアHPの誤謬。即ち軍刀の観念でもって日本刀を語る誤り。日本刀を武器として語る誤り。なぜそんな誤りを犯すのか。また当時の刀剣初心者達が軍装マニアHPの誤謬に踊らされた事の背後にあるものは何か。今回再録した記事には、それらに対する私の端的な見解が述べられている。そして後に「杉田善昭刀匠の想い出」を通して語られる私の日本刀観の原型ともなっている。

 この記事を書いた時点で杉田善昭刀匠は健在だった。

 私が杉田刀匠に会った時の第一印象は「源清麿みたいな人だな」であった。勿論、江戸時代の源清麿がどんな人物だったかは判らない。だが杉田刀匠に会った時、真っ先に源清麿もこんな人だったのだろうと思ったのである。だから私は杉田刀匠の最期も何となく予感していたと思う。
 清麿は大酒呑みだったと言われている。大酒呑みと言えば豪快なイメージがあるが、要するにアルコール依存症だ。杉田刀匠はあまり酒は飲まなかったが、言わば裸焼き依存症であった。
 アルコールにせよ何らかの性癖にせよ、依存症になる人は精神的な問題を抱えている事が多い。単なる仕事上のストレスとか人間関係のストレスではなく、トラウマのようなもっと深刻な問題である。
 今回の再録記事で触れているように、清麿は武士になりたいと思っていた。また剣術も修行したようである。しかしある時点で己の分を弁え、刀鍛冶として生きるようになった。
 立派な人間になりたい。心身共に強くなりたい。美しくありたい。
 清麿の生き様にはそんな願いが強く感じられる。

 また清麿は美男子だったようだ。
 強く、美しく、尊敬される人物になりたいという願いは、彼のトラウマに由来していたのではないだろうか。
 多分、清麿は子供の頃に虐待されたのだろう。性的虐待だったと思われる。
 当時、衆道はそう珍しくなかったとは言え、意思に反してレイプされたらそのトラウマは一生消えないだろう。
 だから清麿は人一倍、立派なもの、尊敬されるもの、強いもの、美しいものへの執念を持ち続け、それが彼の作品として現象したのである。

 杉田善昭刀匠も美男子だった。
 私が最初に会った時、氏は独身だった。そして自分の作品をタダで研いでくれる研師がいると言っていた。それを聞いた私が同性愛を直観した事は誰にも責められないはずだ。
 それが裸焼きに依存する原因になっていたのかもしれない。
 杉田刀匠の最後の作品は清麿写しだったそうである。
  
 2011年4月19日「源清麿の刀剣芸術」http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/2646abd74b291613570670743bad2136
 愛刀家の間で清麿は別格だ。新新刀でありながら古名刀並みに人気がある。私もご多聞に洩れず清麿に魅かれ、一時は清麿を買うために貯金をしていた事もある。
 とは言え清麿だと脇差でも5千万円はし、1億円あったとしても傑作は容易に入手できるものではない。私が現代刀に詳しくなったのは、清麿の本科は手に入らないので、とりあえず代用品という事で現代刀の清麿写しを見て回ったからだ。
 従って現代刀の清麿写しは腐るほど見たが、どれも本科とは似ても似つかず、私にとっては清麿への思いを汚すものでしかなかった。
 だから現代刀に対して最初から冷めた目で接する事ができ、無鑑査だから、人間国宝だからという要素も関係なく、冷静な評価ができた。

 清麿の魅力は刀を完全に芸術品として作っていた所にある。何にも似ていない彼独自の作風である。だから今日でも清麿写しが作られる。芸術においては他者に模倣されるマスターピースを作った者が天才と呼ばれる。その定義に従えば清麿は紛う方なき天才なのである。
 清麿は左文字に私淑していたとか、志津に倣ったとも言われるが、作風からして似ているとは思えない。
 私は清麿の代表作旧重要美術品・窪田清音の清麿と、国宝・江雪左文字が並べて展示してあるのを見た事があるが、両者を繋げるのは無理があった。
 古刀である江雪左の方が焼き刃も地鉄も精緻で断然洗練されており、いかにも名刀然としているのに対し、清麿の方は焼き刃も鍛えも粗雑で原始的な印象を受ける。
 一歩間違えばただの汚い刀。だがそれは全て計算し尽くされた表現である。
 荒ぶる焼き刃や原始的な地鉄の鍛錬も、実は清麿の繊細な感性によって意図的に表現されたものである。これが現代刀匠には絶対に真似できない所である。現代刀匠が清麿を写すと、写し物特有の小奇麗なものになってしまい、清麿の本質である生命力が全く感じられなくなってしまうのである。

 生命力こそが芸術の原点であり目的だ。
 私が思うに、清麿の想いは日本刀の原点にあったのだろう。作風から、相州伝というより古伯耆安綱や古備前友成を極端にデフォルメした感じさえ受ける。
 恐らく日本刀の原点とは清純な鉄をもって自然の荒ぶる力を表現する事なのだろう。鉄の静と自然の動との統一。そこに並外れた美が生じるのである。
 清麿にとって鉄とは自然を写す鏡だったのである。

 鉄とは物質が恒星の中でエネルギー的に最も安定した状態に落ち着く事でできた物質だ。その鉄が超新星爆発で惑星の材料になる。つまり鉄とは宇宙で最も安定した物質であるが、同時に自然界のダイナミズムを担う物質でもある訳だ。日本刀とはかかる鉄によって宇宙の静と動を表現した芸術品なのである。それを神道芸術と言っても良いだろう。古伯耆や古備前時代の刀鍛冶は明らかにそれを意識して刀を作っていた。
 一方で東日本大震災を見ても判るように、宇宙のエネルギーは自然界の荒ぶる力として、生命を奪い去る殺生力でもある。
 刀の持つ武器の面は宇宙の殺生力を表現しているのである。
 だから日本刀はその始原からして芸術なのである。
 それが刀の形式を採ったのは、刀が宇宙の実相を表現するのに最適だったからに他ならない。
 芸術の表現手段として刀を利用したものが日本刀なのであり、武器が芸術品になったのではない。

 しかし日本刀を武器と見て、武器だから美しいと倒錯する愚か者はいつの時代にもいる。現代も例外ではない。
 そうした愚か者に限って己を知らない。
 己を知らないとは、この世で他人に使われ、使い古されて醜く老い、いずれ壊れてゴミ扱い、最後に残るのは死体だけ。その動かし難い現実から目を背ける事である。
 己を直視するのは恐ろしい事だ。勇気がいる。
 己を直視できない弱者が幻想に逃げる。現代社会ではナンセンスな武士や旧日本軍に憧れ、現実逃避し、自分自身から逃げる。例えばこんな具合に。http://yomi.mobi/read.cgi/hobby8/hobby8_knife_1163046657
 こういう弱者にとっての刀とは自分の幻想にリアリティーを与えてくれるアイテムなのである。だから武器としての性能が何よりも重要になる。
 彼らは切れ味抜群のご自慢の愛刀を目の前で唾をかけるなり小便をかけるなりしておちょくられた時、どういう反応を示すだろう。
 1億万円賭けてもいい。彼らは威力たっぷりのはずの武器としての刀を手にして、怒りの表情さえ示しもしないだろう。哀訴笑いして媚びるだけだ。戦う意志と能力がない者が武器を持った所でそんなものである。それがまた現代の平均的な日本人でもある。
 幻想の中では武士や軍人。でも現実には怒り戦う事もできない東亜病夫。
 己を直視することから逃げ、武器に頼る者など、そんなものである。
 美から逃げた日本刀も同じだ。
 その意味では数十万円以下で手に入る「臆病刀」は、そんな彼ら向けに作られた玩具に他ならないのである。

 清麿は口では武用専一と言いながらも、自らの内なる芸術家の本能によって刀を単なる武器に止めておかなかった。そんな抑えようもない情熱が清麿の作品には漲っている。それが日本刀の歴史において別格の人気を誇っている所以だ。これ程の芸術性がある刀は他に正宗ただ一人である。
 己の弱さを直視し、だからこそ現実に挑むことでその弱さと戦う。それが武の心だ。
 清麿には武の心があった。しかし清麿にとっての不幸は彼の現実が芸術だった事だ。

 彼が自殺したのは、酒の飲み過ぎで卒中を起こし、身体が不自由になり、刀が作れなくなったので生きている意味がなくなったからとも言われている。
 それは彼が厠(かわや)で腹を切って自殺したとされる伝承からも首肯できる。
 糞溜めが、刀を作れなくなった己に相応しい死に場所だと思ったのだろう。

 時代が違うから今日の価値観で清麿の自殺の是非を問うても意味はない。
 ただ一つ言えるのは、清麿の自殺の仕方は当時美徳とされていた武士の切腹作法に則ったものではなかったという事だ。
 武士を志したものの挫折し、刀鍛冶になった男が、最後は芸術家として死んだ。その最期に武士への憧れは微塵もない。
 己を直視している。
 だから美しいのである。






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