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昔書いた記事

天田昭次 『鉄と日本刀』 3 自家製鉄刀の不明朗さ

2015年06月12日 | 天田昭次「鉄と日本刀」

 一、天田作品に対する歪んだ評価

 天田昭次『鉄と日本刀』1 http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/9034dc9be3459f8e8c4632fee721eddb
 天田昭次『鉄と日本刀』2 http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/9994824bda5ad875030700ccfcc51924
の続きである。
 これらの記事を書いた当時、ハンドルネーム渓流詩人という人がブログで天田昭次を持ち上げていた。この人は当ブログを「おバカさん」と侮辱した人物である。誰が「おバカさん」なのかは当ブログを読めば判る事である。
 渓流詩人氏は藁束切りに使う玩具の視点から今日日本刀の材料として広く使われている日刀保玉鋼を否定し、それを使わず自家製鉄を行っている天田昭次を称揚していた。天田が自家製鉄を行っていたのは藁束切りに使う刀を作るためではなく、あくまでも美術工芸品として美しい刀を作るためだった。藁束切りに使う刀を語る渓流詩人氏が美術刀剣を追求する天田を引き合いに出すのは矛盾している。渓流詩人氏は日刀保玉鋼を否定するために天田を持ち上げていたに過ぎなかった。軍装マニア氏と同じやり方だ。
 当然渓流詩人氏は天田の作品について考察する事はしていないし、天田の自家製鉄を考察する事もしていない。それでも日本刀を知らない人が読めば「人間国宝の天田昭次が日刀保玉鋼を使ってないのだから、日刀保玉鋼は悪いのだろう」と思ってしまう。
 更に渓流詩人氏は天田の著書をダヴィンチコードになぞらえるなど荒唐無稽な扱いをしていた。
 天田の著書とは『鉄と日本刀』慶友社2004である。
 この本は作刀技術や製鉄技術の専門書ではなく天田の自叙伝である。鉄作りの暗号が秘められている訳がない。勿論専門家が読めば天田の言葉に「へ~、そうなんだ。で?」と思う部分はあるかもしれない。だが素人の渓流詩人氏には別世界の話だ。だから渓流詩人氏は天田をダヴィンチコードばりに謎めかして持ち上げるしかなかった訳だが、狸(たぬき)が神輿を担ぐようなもので、胡散臭さがプンプンしていた。それでも当時は軍装マニア氏のホームページの影響もあり、渓流詩人氏の胡散臭さに気付かぬ人も多かった。
 そんな時に私が日刀保玉鋼や自家製鉄に関して真面目な考察をしても、軍装マニア氏や渓流詩人氏に影響された一部の人々に曲解される懸念があった。事実、渓流詩人氏は当ブログに見当はずれな批判を向けていた。私は自家製鉄も鍛刀道の一部である以上、日本刀文化として真面目に考察されねばならないと考えている。藁束切りの次元で語られて良いものではない。それゆえ私は以後日刀保玉鋼や自家製鉄の話題には触れなかった。
 日本刀は作者が心血を注いで作る高度な芸術品である。藁束切りの道具ではない。私は武道修行の一部としての試し斬りは否定しない。しかし試し斬りそれ自体が目的となれば最早年寄りの自慰行為でしかない。そんな事に日本刀を使って貰いたくない。それは陶芸の人間国宝や一流作家が作った抹茶茶碗を便器に使うようなものだ。自分の金で買った物なら何に使おうと勝手だろ、という話ではない。作者やその物に関わる人々の心、またそれを大切にする日本の文化を汚す行為である。
 すると今度はそんな年寄りの自慰に擦り寄る爺専ホストみたいなのが出てくる。藁束切り専用の刃物まで作られている。更には椅子の足を斬ったりオモチャの鉄砲弾を斬ったりして性能をアピールすれば、外国人や日本刀を知らない人々はそれが日本刀だと思ってしまう。
 3、4回折り返しただけの刀身に油焼きで刃を付け、オモチャの拵を被せた粗悪な日本刀モドキ。それでも藁束が切れるから喜んで買う人がいるらしい。それが60万円だそうだ。藁束切りの刃物なら日本刀の外見を真似るなと言いたい。刀身に赤や青のペンキでも塗って区別して欲しい。

 二、天田作品の現実

 天田に話を戻そう。
 例えば裸焼やそれに類する焼き入れ方法で作った作品なら一目でそれと判る特徴がある。しかし天田の作品には「これぞ自家製鉄」という際立った特徴がない。天田が自家製鉄で作ったという作品は日刀保玉鋼で作られた他の現代刀匠の作品と比べて特に違った所がない。肝心の地鉄も現代刀の水準を超えたものとは言えない。
 天田以前の人間国宝の作品は明らかに他の現代刀匠とは異なる出来栄えを示していた。新作刀コンクールの展示会場では、姿や地刃の冴えにおいて、明らかに他の出品作より上だった。天田以前の人間国宝も自家製鉄をやっていた。同時に日刀保玉鋼も使っていた。彼らの作品が材料の違いで区別される事はなかった。あくまでも作品の質が問われていた。つまり彼らは特別な材料を使ったから人間国宝になったのではなく、作品が良いから人間国宝になれたのである。しかし天田以後の人間国宝は作品の質において他の現代刀匠より格段に上ではない。むしろ独創的な作風や技法を追求する一部の現代刀匠の作品と比べると影が薄い。
 天田は様々な伝法を試み、それらに合った製鉄方法を研究していた。しかし材料の問題ではなく作品そのものの出来として、相州伝でも備前伝でもそれを専門にやっている刀鍛冶から天田の作品はあまり評価されていなかった。新作刀コンクールの展示会場で天田の作品を指差し、「私はこんな刀は作りたくありませんね」と言った刀鍛冶もいる。刀鍛冶は誰しも自分の作品に信念を持っているから偏見はあるだろう。しかし備前伝や相州伝に限定すれば天田より上手な現代刀匠は少なくない。
 また天田以前の人間国宝は一門の長として多くの弟子を育て、日本刀文化の継承と発展に貢献している。が、天田はそれほど多くの弟子を育てていない。
 そして天田は、どういう原材料を使ってどういう製鉄方法で作った鉄が、具体的にはどの作品になっているか、全く公表していない。自家製鉄が作品とどう関係しているのか不明なのである。これでは自家製鉄と日本刀の関係を科学的に検証するのは不可能である。そもそも自家製鉄は多くの刀鍛冶が行っているありふれた作業であり、天田の自家製鉄だけがどうして人間国宝即ち重要無形文化財の対象となったのか判らない。
 新作刀コンクールで正宗賞を三回取ったら人間国宝という説もある。しかし月山貞一は正宗賞二回で人間国宝になっているし、天田以前に正宗賞を三回取っていた大隈俊平は人間国宝ではなかった。ところが天田が人間国宝に認定されると不思議な事に大隈も人間国宝にされた。天田が三回目の正宗賞を取ったのが1996年(平成8年)で、人間国宝になったのが翌1997年。大隈が三回目の正宗賞を取ったのが1978年(昭和53年)で、人間国宝になったのが天田と同じ1997年。大隈はなんと19年も放置されていたのである! 正宗賞を三回取ったら人間国宝というのは大嘘だ。
 とは言え、天田の作品が真面目に作られた名刀なのは間違いない。
 しかし作品の出来と自家製鉄を結び付ける具体的な証拠がなく、作品の質が自家製鉄に由来するのか、作刀技術に由来するのか判断できない。腕が良いから良い作品ができたと言われればそれまでだ。作品だけから自家製鉄の優秀性を認める事はできない。実際、天田の腕なら日刀保玉鋼を使っても同程度の作品を作る事ができただろう。やはり天田においても作品の質を決定付けているのは材料ではなく、作刀技術、取り分け鍛錬と焼き入れという事になる。




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