100年後の君へ

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杉田善昭刀匠の想い出22 杉田刀匠の死と平成26年新作刀コンクールの歴史的意義

2015年09月03日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 当ブログで平成26年新作刀コンクールの正宗賞を批判してから一年以上になる(2014年08月08日「平成26年新作刀コンクールの正宗賞」http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/d96b3f3b205a0b4d573cd807f39045e6)。この記事を書いた時は故杉田善昭刀匠を冷遇していた日刀保が、杉田刀匠の自殺を待ってましたとばかりに河内國平氏の裸焼きの作品に正宗賞を授与した事に義憤を禁じえなかった。しかし正宗賞とは日本刀の歴史に刻まれる賞である。批判するだけでは能がない。もっと積極的に、平成26年新作刀コンクールの正宗賞とは何だったのか、そして裸焼き中興の祖たる杉田善昭刀匠の存在とは何だったのか、その意味を日本刀の歴史という大きな文脈の中で考え直してみたい。

 杉田刀匠が刀剣界で冷遇されたのは裸焼きだけが理由ではなかった。アスペルガーの人はしばしば孤立したり、イジメの対象となるという。杉田刀匠がそうだった。
 私が土置きする焼入れをオファーした時、杉田刀匠は「そんな物を作れというのですか!」とまるで犯罪を唆(そその)かされたかのような強い拒絶反応を示した。土置きする焼入れは刀作りの王道である。オファーされて怒るような事だろうか??? 
 確かに裸焼きは土置きする焼入れに比べて難しい。苦労して作った実感は格別である。そこで氏が裸焼きに誇りを持つのは良い。しかしだからと言って土置きする焼入れを否定するのは間違っているのではないか?
 それに作品の評価は鑑賞によって決定される。氏のように十振りも二十振りも失敗して漸く一振り作れても、鑑賞者が観るのは作品だけである。刀鍛冶が浪費したエネルギーは関係ない。いくら苦労して作っても、鑑賞の段階で低く評価されれば、その作品は下作なのだ。そんな事は刀鍛冶なら誰もが承知している。しかし氏は日本刀制作のかかる現実に背を向け、自分だけの世界に引き篭った。
 この頃から私に対する氏の態度が変化した。私が刀について何か言うと、氏は「それは鑑賞の立場から、という事ですね」と、私の意見を仕切るようになったのだ。自分の意見や立場を仕切られるのは気分の良いものではない。私は氏の変化に驚くと同時に寂しく感じた。また「どうせ言っても判らないだろうけど・・・」と、私を軽侮しているとも取れる物言いをするようになった。こうなると相互の人格の尊敬の上に成り立つ人間関係は崩れてしまう。私は氏から距離を置き、ビジネスライクに接するようになった。
 今にして思えば氏の態度は典型的なアスペルガーの症状だった。だが当時の私はそこまで思い至らず、氏の人格を疑った。氏に対して好意的に接していた私にしてこうだったのだから、土置きする焼入れで精魂込めて刀を作っている多くの刀鍛冶、日刀保関係者、真面目に日本刀と向き合っている多くの愛刀家が氏の言動に接すれば、強い不快感を覚えたと思われる。氏は裸焼きの正当化のためなら、常識も伝統も、他者の立場や感情も、全て無視したのである。

 この後、氏から手紙が来た。私信ではあるが公平を期すために氏の言葉を掲載すべきだろう(青字)。文中で素焼きとあるのは裸焼きの事である。氏は裸焼きという語感を嫌っていたのである。
 「○○様の並々ならぬ刀剣に対する思い入れに感心するばかりです。またよく御研究され、大変参考になります。言われるように土を用いて素焼きの欠点を補い、また美的なものを付加して行く事は非常に大切であると思います。歴史的にもそのように改善されて来たのでしょう。長船の刀工達がそれを成し遂げたのだと思います。そしてその方法が世に伝えられ、長船と言えば名刀の代名詞にまでなったのだと思います。
 さて、素焼きの方法を採用してより一番初めに思いついたのは焼刃土の併用なのです。それを機会ある度に、研師にも刀鍛冶にも、また愛刀家の皆様にも問い掛けて来たのです。特に親しい刀鍛冶にはかなり深い所の秘伝まで教え、各自研究してくれと。なぜなら独りでの研究では時間的にも経済的にも限界があり、とても解決策が見い出せそうになかったからです。しかしながら今だに誰も名案が浮かばず、私も同様なのです。
 ○○様が言う安綱の作風にしても、焼刃土を用いれば似たような物は出来るでしょう。しかし不用意に用いたのでは今日行われている方法と同じ物になってしまいます。」(杉田刀匠のある日の手紙より)

 今改めて読み返しても、裸焼きに執着する氏が自分の信念を再確認しているような文言である。悪く言えば自己正当化である。特に安綱云々の件(くだり)は一般的な土置きをする焼き入れ方法に対する氏の子供っぽい抵抗にも見える。現実は逆だ。今日の鍛刀界では杉田刀匠とは無関係に作刀方法の研究が進み、多くの刀鍛冶が独自の焼入れ方法を研究して、一部の刀鍛冶は古刀の再現に成功している。無論安綱のような古名刀の再現には未だ距離があるが、杉田刀匠が行き詰まったレベルは焼刃土を使って克服しているのである。刀鍛冶は皆努力している。杉田刀匠だけが努力していたのではない。今回は触れないが、氏が自殺した理由の一つは、裸焼きに執着したために鍛刀界の進歩に取り残された氏の、慙愧の念だったのではないかと私は思っている。

 杉田刀匠存命時、良くも悪くも裸焼きは杉田刀匠個人に結び付けられていた。氏の情熱に絆(ほだ)された者は裸焼きを支持し、氏の病的な面に嫌悪を感じた者は裸焼きを否定した。氏に一、二度会って話を聞いただけなら誰もが氏の裸焼きへの情熱に感銘を受ける。しかし氏とある程度付き合い、裸焼きへの拘りが病的なものであると判ると、大抵の人は氏と距離を置く。これは氏にも裸焼きにも不幸な事であった。
 学問的な刀剣研究は作者と作刀方法を区別して考えなければならない。ところが裸焼きに関しては杉田刀匠個人に対する印象がそのまま裸焼きへの評価になってしまっていた。氏に共感する者は裸焼きを支持したし、そうでない者は裸焼きを否定した。作刀方法としての裸焼きと人間としての杉田善昭の評価が混同され、純粋な研究ができなかったのである。
 そうした意味において、今日、軍装マニア氏や渓流詩人氏が特定の作者と材料・作り方を結び付け「斬鉄剣」なる漫画的なネーミングで持ち上げているのは、日本刀の学問的研究を妨げる如何わしい行為と言わざるを得ない。

 90年代初頭、杉田刀匠の裸焼きで古名刀の謎の解明は一気に進んだ。しかしアスペルガー傾向のある杉田刀匠の存在が多くの人々の反感を招き、裸焼きは冷静に評価されなかった。杉田刀匠と裸焼きはセットで刀剣界から冷遇された。それによって杉田刀匠は経済的にも精神的にも不遇を託(かこ)ち自殺した。
 氏の自殺について、語弊があるかもしれないが次のように言う事ができるだろう。
 一般的には自殺は家族や関係者にとって大きな不幸である。しかし日本刀の歴史から見れば氏の自殺には大きな意味があったと私は思う。氏の自殺によって平成26年新作刀コンクールで河内國平刀匠が裸焼きで正宗賞を受賞でき、裸焼きが作刀方法として一人立ちできたからだ。歴史的には杉田刀匠のTake off(死亡)によって裸焼きのTake off(出立)が実現したと言えるだろう。
 平成26年、裸焼きは杉田善昭の手を離れ、日本刀の歴史に大きく羽ばたいた。それが平成26年新作刀コンクール正宗賞の歴史的意義である。






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