過去に生きる者たちへ

昔書いた記事

古刀期の焼入れ方法と残留応力ゼロの刀

2013年11月04日 | 天田昭次「鉄と日本刀」

 物事には多面性がある。単細胞な人は物事の多面性を一面的にしか理解できない。
 刀の強度が材料のみに規定されると思い込むとそれ以外の発想ができなくなり、玉鋼より電解鉄の方が良い、それよりそこら辺の鉄屑を溶かした方が良いと、まるで北朝鮮国営放送のようにブログで延々と同じ主張を繰り返す。猿がマスを覚えると死ぬまでカキ続けるというが、そういう人は幼稚な主張を死ぬまでカキ続けるに違いない。
 因みに同一条件で制作すれば、玉鋼で作った刀の方が電解鉄で作った刀より強度が上である(京都大学エネルギー科学研究科)。

 今日、自家製鋼に取り組んでいる刀鍛冶は、強度ではなく美しさを追求している者が殆どである。美しさの追求とは無関係にただ単に電解鉄やそこら辺の屑鉄を使っている者は、その方が玉鋼より安上がりだからだろう。安っぽい拵えに入った打ち下ろし数十万円の居合い刀に玉鋼など使えないからだ。玉鋼は1kg8千円。一振りにつき最低10kgの玉鋼が必要になる。それに炭が十数俵。日本刀制作に使う炭は高価で、炭代が一振り当たり十数万円もかかる。その他諸費用を合わせると、一振りに付き、材料費が30万円は必要になる。自家製鋼だとその3倍位のコストがかかる。それに研ぎ、白鞘、ハバキ等の代金が加わえれば、作品がそれ相当の金額になるのは止むを得ない。新品で数十万円程度の居合い刀では、安くて粗悪な鉄と炭を使わなければ割が合わない。勿論心鉄を入れるなんて手間のかかる事はしない。そんな下手物をさも名刀みたいに言う人は、商売が絡んでいるのかもしれない。

(注 極端に脆い現代刀は玉鋼を使っていない粗悪品か、玉鋼に混ぜ鉄をした物である。混ぜ鉄は玉鋼の節約や鍛え肌を強調するために行われるが、大抵は鉄滓と同じ悪影響を及ぼし、鋼内に電位差を生じさせる。これによって刀身が脆くなるのである。榎本貞吉の刀は畳を掠っただけで切っ先が大きく欠ける事で有名だったが、鍛え肌を強調するために混ぜ鉄をしていた。新新刀期の直胤が荒試しに弱かったのも混ぜ鉄が原因である。そのように何事にも理由がある。原因も究明せず、現代刀は悪い、直胤は大偽物、「斬鉄剣(商品名)」が本物、と扇情的に宣伝する輩は非常に胡散臭い。)

 力学的には、刀身が折れるという現象は、刀身内部の応力によるものと理解される。

 応力とは作用反作用に基づく動力学的概念で、外的エネルギーに対して物体内部に生じるエネルギーの事である。
 刀で堅い物に打ち込むと、物打ちではなく刀身の下部が折れる事がある。それは材質が原因ではなく、刀身下部に応力が集中するからである。例えばうどんを長く伸ばして乾燥させたものを地面から水平に持ち上げると自重でポキッと折れる。その時うどんは手で持っている付近で折れるだろう。なぜならうどん内部に生じた応力が手元に集中するからである。刀が腰で折れるのは、それと同じ原理である。
 現代では刀の応力は簡単に測定できる。工学的な装置がなくても大体の応力分布は検査用の塗料で判る。それで自分の刀のウィークポイントを予め知る事ができるし、様々な方向から刀に力が加わった時の応力分布の変化を調べる事もできる。業者の悪質な宣伝に騙されず、自分の刀は自分の目で判断すべきである。

 日本刀の歴史は強度追求の歴史ではなく、刀身内部の応力減殺の歴史なのである。

 刀の素材的な強度は鋼という物質によって限界付けられており、いくら弄っても大して変化しない。そんな事より刀身内部の応力を減殺する方が刀の折損防止に効果的なのである。刀身内部の応力は、皮鉄と心鉄や刃鉄と棟鉄の組み合わせ、焼き入れ方法、波紋の構成によっていくらでも調整できる。
 そうして開発された方法が、硬度(炭素量)の異なる鉄の組み合わせである。
 刃鉄、心鉄、皮鉄、棟鉄を組み合わせる本三枚や四方詰めは、異なる硬度の複合体として刀身内部の応力を減殺する。甲伏せは飛行機のモノコック構造のように応力を分散させる。
 また、樋はハニカム構造に通じている。
 昔、『刀剣美術』誌に、樋の有無による刀身強度の違いを数学的に検証した論文が掲載されていた。それによると、「樋は刀身強度を低下させるが、刀身の重量が同じなら樋のある刀の方が表面積が大きいので強度がある。例えば同じ重量なら、棟を大きく削いだ菱型状の刀身より、樋を掻いた刀身の方が強度がある」、といった結論だったと記憶している。しかしこれはあくまでも机上の計算による静力学的な見解だ。
 焼入れした後で樋を掻いた刀ならこの論文の計算結果に近づくかもしれないが、火造りの段階で樋を造形した刀ならこの論文の結論とは異なってくるだろう。
 焼き入れ前に造形した樋は、動力学的に刀身内部の応力を減殺する最良の構造だと思われる。どこかの研究室で是非検証して欲しいものである。その場合、今日単なる飾りと思われている二筋樋や添え樋にも、応力減殺上の積極的な意味が見出されるだろう。
 但し焼き入れした後に樋を掻くのは前出の論文が指摘する通りの結果になると思うので感心しない。これもどこかの研究室で検証して貰いたい。

 さらに興味深いのは、人間には物体内部の応力を感じ取る力があるらしい事である。

 神社仏閣の虹梁には彫刻や装飾が施されている。虹梁の装飾は建物が大型化するに伴って発生した。建築工学的には、建物が大型化すれば建築素材に生じる応力も増大する。社寺の虹梁はそこで発生している応力をなぞるように描かれているのである。
 これは、高所にある巨大な物体を下から見上げると人は不安を感じるから、その不安感を減殺するために装飾が施されるようになった、と解釈されているが、その装飾が梁の内部の応力分布と一致している所が興味深い。つまり、人間は梁に生じた応力を直感的に感じ取るから不安になる、だから応力に合わせて装飾を施す事で心理的な安心感を得ている、という事なのである。
 同じ事が刀の刃紋にも言えるだろう。
 直刀時代には直刃しかなかったのに、刀に反りが付くと乱れ刃が焼かれるようになった。最初は静謐な直刃より乱れ刃の方が馬上から斬り下す太刀の躍動感に相応しいという装飾的な意味合いだったのだろう。しかし焼き刃が構成する硬度の波が実際に刀身内部の応力減殺に有効だったから、以後乱れた刃紋の美が追求されるようになったと考えられる。また映りは明らかに応力減殺のために焼かれたものである。
 
 そこから古刀の焼き入れ方法についての推理が可能だ。

 日本刀は精神的にも技術的にも直刀を踏まえて誕生した。ところが今日一般的に行われている焼入れ方法では、直刀を作るのは難しいのである。なぜなら焼き入れによってどうしても反りが生じてしまうからだ。だから現代刀匠は直刀を作る時、火造りの段階で内反りに作り込んでおき、焼きが入ったら直刀になるようにしている。だが古代の直刀がそんな作り方をしていたとは思えない。技術史的には先ず直刀が作られ、次に反りのある刀が誕生している。つまり直刀時代の焼き入れ方法では反りが生じていなかったと考えられるのである。

 これは刀身内部の応力の観点からも極めて重要である。

 刀身を先天的に弱くする最大の要因は、焼き入れのエネルギーの残留応力である。これは焼き入れのエネルギーに対する反作用ではなく、焼入れで刀身に反りが付く事で生じる鋼の分子間結合のストレスである。この残留応力が分子レベルで刀身に負荷を掛けており、その刀が存在する限り付いて回る。
 今日一般的に行われている焼き入れ方法だと、焼入れで生じる反りは定寸で1cm位。それでも焼き入れ時や焼き入れ後に刃切れが起きる事がある。焼き入れ後の刃切れは厄介で、焼入れの翌日発生する事もあれば研ぎ上げた後で発生する事もある。これは刀身の焼入れ残留応力によるものである。つまり今日一般的に行われている焼入れ方法で作られた刀は、使用で生じる応力だけでなく、先天的な残留応力をも余分に持っているのである。そのような作り方で平安・鎌倉時代の反りの深い太刀を写すと、火造りの段階で付ける反りの残留応力も加わって、焼き入れ後の刀身にはかなり残留応力が存在するだろう。実用には適さないかもしれない。因みに裸焼きだと3cm/定寸もの反りが生じるので、刀身内部の残留応力は極めて強いと考えれる。

 現代より遥かに粗悪な鋼を使っていた古刀期の刀鍛冶が、かなり強靭な刀身を作り得たのはなぜか。
 それは古刀期の刀鍛冶が直刀譲りの焼入れで、反りが付かない方法を行っていたからだろう。
 それなら焼入れによる残留応力ゼロなので、極めて強靭な刀身になる。
 恐らくその方法は今日一般的に行われている焼き入れ方法とは全く異なり、刀身の刃側に土を厚く置き、地や棟に行くに従って土を薄く置いて、焼き入れしていたはずだ。古刀に多く見られる映りはこの方法で意図的に焼かれたと考えられる。実際、この方法で焼入れしている現代刀匠(松田次泰氏等)の作品は古刀っぽく見えるから、古刀の焼き入れ方法は残留応力ゼロの、反りが付かないやり方で間違いないと思われる。

付記 上記の考え方は、動力学的な作用反作用の概念の枠内での、一面的な見方に過ぎない。反りが付かない焼き入れ方法には、動力学的な残留応力ゼロ以上の、もっと積極的な作用がある。熱力学的に見れば、刀身が折れたり曲がったりするのは基より、外的な力に対して刀身内部に応力が生じる事自体が、刀身エントロピーの増大と見做せる。反りが付かない焼き入れ方法で鋼を刀身へと相転移させたエネルギーは、動力学的な残留応力としてはゼロのように見えるが、実は刀身というシステムのエントロピー増大を鋼分子のレベルから抑制するエネルギーに転化しているのである。
 エネルギーは必ず何らかの仕事をする。今日一般的に行われている作り方だと、焼き入れのエネルギーは刀身に対してネガティブな残留応力として作用し続ける。一方、反りが付かない焼き入れ方法だと、焼き入れのエネルギーは刀身の形態を分子レベルから維持するエネルギーになるのである。だから曲がった刀身が一晩寝かせておくと元に戻るという現象もあり得ない事ではではないだろう。


 関連記事 2013年10月7日「鋼の錬金術 杉田善昭刀匠の想い出・番外編」http://blog.goo.ne.jp/ice-k_2011/e/0ca4df28d55667605337f91c5a253265


 参考文献

・「日本刀の焼入れ条件と材料が刃文と残留応力に及ぼす影響 : シミュレーションと実験結果」 京都大学エネルギー科学研究科

・「人間が好むデザイン」 日比野治雄 『人間科学の可能性』放送大学教育振興会2003 






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