先週、渋谷シネマヴェーラで今村昌平監督の『豚と軍艦』を見てきたので、そのことについて書いておこうと思います。
1 本作の舞台は横須賀です。時代設定は本作の公開年からすると1960年頃のはずですが、終戦直後にも見えなくもないです。というのも、子供たちの「ギブ・ミー・チョコレート」現象も当然のように描かれていたからです。その中で非常に印象的だったのは、横須賀市民がみな米兵への憧れを抱いている状況が描かれていた点です。横須賀は黒人兵が多かった横浜と比べて白人兵が多かったことから、豊かなアメリカの印象をより強く横須賀市民に残していたのでしょう。すなわち、横須賀には「『アメリカ』を欲望していくような次元」(吉見俊哉「ベースとビーチ」東京スタディーズ収録)があったということですね。1960年頃であれば横須賀の外では反米活動としての60年安保闘争が行なわれていた時代ですから、そういった点では軍港街らしさを感じさせられました。
2 本作における実際の主たるテーマは「主人公がヤクザから脱却できるか」という点です(これは「アメリカからの脱却」になぞらえているんでしょう)。そして、ヤクザから脱却する手段としてあげられていたのは「川崎に行って職工になる」というものでした。たしかに、人口ピラミッドがきれいにピラミッドを描いていた当時であれば、職工として真面目に働けば年金でそれなりに豊かな老後を送れたはずです。とすれば、川崎で職工になるというのは、当時としてはなかなかベストな職業選択といえそうです。もっとも、そのような選択をした人が多かったために、川崎などの工業地帯は大都市化し、そのためにこれらの地域の生活環境が悪化し、それによって少子化が進んだわけですが・・・。
このように少子化を都市問題として説明するのは半ば常套手段的とも思えますが、「女性機械論」者の柳沢伯夫大臣にとってはそうではなかったみたいですね。
3 総括すると、本作は、話の流れは分かりにくい点があるものの、上記のようにその時代性や地域性を踏まえながら見ていくとなかなか味わい深い作品です。また、最近の映像作品で用いられるような手法も多々見られるので、それらを探しながら見るのも面白いかもしれません。
さて、シネマヴェーラでは来月から『ナインティーズ:廃墟としての90年代』をやります。暇がある人はぜひ行きましょう!
1 本作の舞台は横須賀です。時代設定は本作の公開年からすると1960年頃のはずですが、終戦直後にも見えなくもないです。というのも、子供たちの「ギブ・ミー・チョコレート」現象も当然のように描かれていたからです。その中で非常に印象的だったのは、横須賀市民がみな米兵への憧れを抱いている状況が描かれていた点です。横須賀は黒人兵が多かった横浜と比べて白人兵が多かったことから、豊かなアメリカの印象をより強く横須賀市民に残していたのでしょう。すなわち、横須賀には「『アメリカ』を欲望していくような次元」(吉見俊哉「ベースとビーチ」東京スタディーズ収録)があったということですね。1960年頃であれば横須賀の外では反米活動としての60年安保闘争が行なわれていた時代ですから、そういった点では軍港街らしさを感じさせられました。
2 本作における実際の主たるテーマは「主人公がヤクザから脱却できるか」という点です(これは「アメリカからの脱却」になぞらえているんでしょう)。そして、ヤクザから脱却する手段としてあげられていたのは「川崎に行って職工になる」というものでした。たしかに、人口ピラミッドがきれいにピラミッドを描いていた当時であれば、職工として真面目に働けば年金でそれなりに豊かな老後を送れたはずです。とすれば、川崎で職工になるというのは、当時としてはなかなかベストな職業選択といえそうです。もっとも、そのような選択をした人が多かったために、川崎などの工業地帯は大都市化し、そのためにこれらの地域の生活環境が悪化し、それによって少子化が進んだわけですが・・・。
このように少子化を都市問題として説明するのは半ば常套手段的とも思えますが、「女性機械論」者の柳沢伯夫大臣にとってはそうではなかったみたいですね。
3 総括すると、本作は、話の流れは分かりにくい点があるものの、上記のようにその時代性や地域性を踏まえながら見ていくとなかなか味わい深い作品です。また、最近の映像作品で用いられるような手法も多々見られるので、それらを探しながら見るのも面白いかもしれません。
さて、シネマヴェーラでは来月から『ナインティーズ:廃墟としての90年代』をやります。暇がある人はぜひ行きましょう!
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