飄評踉踉

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声の現象

2009-12-10 19:28:22 | アニメ
美少女戦士セーラームーン、5人のセーラー戦士が12年ぶりの再会に感激!ファンも感動!

先日、「水樹奈々と誕生日が同じ人間」氏から「声優史は松田咲實以前と以降で区別できるのではないか」との意見を拝聴しましたが、そのような歴史区分からすれば、『セーラームーン』(*1)は松田以降のアニメと声優の流れを決定付けた作品といえます。
というのも、『セーラームーン』は幾原邦彦氏の外連味あふれる演出とアイドル声優ブームをパッケージした作品であるところ、『セーラームーン』の成功により、アイドル声優に外連味を加えて演出する手法が確立したように見えるからです。「水樹奈々と誕生日が同じ人間」氏からは、上記意見と同時に、「『畸形的なものでありつつもそこにはジャンルの全体と分かちがたく結びついた形式による美が存在すること』が声優に妥当するのではないか」との意見も拝聴しましたが、声優版「形式による美」は『セーラームーン』によって普及したのではないかというのが、私の見方です(*2)。
とはいえ、『セーラームーン』とその主演声優が後のアニメに残した功績が小さくないのも事実です。よく指摘されることですが、旧『エヴァ』で三石琴乃を葛城ミサトに起用したことは、返す返すも英断でした。三石琴乃の声が「naiveであり続けた月野うさぎ」を想起させるため、14歳時のトラウマを引き摺っているという葛城ミサトのキャラクターにはリアリティがありました。また、2009年の話題作『サマーウォーズ』にも(良い意味での)『セーラームーン』的な要素を垣間見ることができます。
このように、90年代アニメも古典として歴史になりつつある現在、90年代のブームを影で支えた松田咲實氏の証言はいよいよ貴重になるものと思われます。『声優白書』の文庫化が難しいのであれば、吉田豪氏あたりにインタビューをとってきて欲しいものです。

(*1)『セーラームーン』は大澤真幸氏に「『オウム的な要素』をいくつも備えている」と言われたとおり(増補『虚構の時代の果て』76頁)、かなりトンデモな作品でした。若い女性の中には「幼少期に『セーラームーン』を好んで観ていました」と言う人も多いですが、そのような声を聴く度に私はちょっと不安な気分に襲われます。
(*2)『セーラームーン』の主演声優陣を初めとして、90年代に台頭した声優にはクセのある声の持ち主が多かった(ように私には聴こえる)ということも、「畸形的な」演技の普及に寄与してしまったのではないかとも考えられます。


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