ひょんのいちにち

ゆっくりゆっくり
現実をみて
自分の場所を確かめる

やさしくいましょう

大丈夫であるように

2013-06-26 10:37:28 | 日記
どうしょうもなく腹の立つことや、
理由もなく悲しくなることがある。

この時期は特に多い。

だけど、何年目かで気付いたことがある。

もう大丈夫であるようにここにいることしかできないのです。

抑うつ感の強い人や、
自尊心の低い人は、
自分の行動はほとんど受動的で、
自分に対して残念に思うことが多い。
受動的なんだから目標を毎回達成して
自分の達成感を味わうような感覚もないし。

自尊心の高い人は、
能動的で、自分の行動が
よりよく、大丈夫なように動いている。
だから失敗しても、それでも大丈夫なように行動する。

これだけでだいぶ日々の生活の安定が保たれる。

あと、そんなに簡単に周りや自分の感情に振り回されることもないし、
そういう点でも自分のことを待ったりとか信じる力が強いのだと思う。

知らないよりましだったな、こういうの。
勉強してなきゃ、腹立って何にも生かせずに
受動的に何かチャンスが起きるのをまったりとか、
もったいないよな。
時間がというより、経験が生きていないことが。

できるだけ、大丈夫なように
現時点で大丈夫なように動ければいいと思うのです。

生活

2013-06-20 15:56:04 | 日記
何だろう。
調子の良い日、悪い日、の違いって。

そんなことに惑わされずに、
やることはやる。

私は何度もその「決まり」とか「決意」「意志」で乗り越えるわけですけど、
調子の悪い日の区別がつかない。

今まで生きてきて、腰が調子悪いなんて思ったことがなかったんだけど、
ここ数日、腰の不調を感じることが多い。

マッサージ屋さんを今月から新しくしたんだけど、
肩こりがすっっととれたおかげで、
腰の痛みが目立つようになった。
いいのか悪いのか。。。

しかし作業効率も上がったようなので、
あとは腰をどうにかできればと思う。

1つのことに集中しだすと、
いつのまにか1時間、2時間も過ぎているから
同じ姿勢も長いことしてしまっているんだと思う。

集中していていいことだ!とか
前なら思っていたけど、今は
ずっとこの先もこの調子だと、
体がいくつあっても足りないと思う。

まだ若いのに、とか、まだ若いんだからとか
言われがちだけど、
だから今のうち、基礎体力というか、
基礎的な健康は守らねば。

実は4月、よからぬ菌にやられて1カ月も動けなかった。
身体に対する危機感とか、
そんなんも全部持ってかれてて、
判断力も落ちていたし、
心身ともに病気だったと思う。

健康大事。
生活を維持するのって大変だから、
よい加減で手を抜いていくところもないとなとほんとに思う。
そこまで真面目じゃないから、
あまり大声で言ってはいけないけど。
こういうことも、自己管理に含まれているなら、
真っ先に会社では自己管理がなってない!とか怒鳴られるんだろうなと思う。

早めに休む、
質の良いものを食べる、
適度な運動。

これだけなのになかなか難しいのは何故だ。

相変わらず自分のコントロールと向き合い続けようと決心している次第なのです。

おなか

2013-06-17 20:33:48 | 日記
先日、食べ物のことを書いて、とてもすっきりした。

食べ物を美味しく食べるということはよいこと。
健康にもつながるものね。

毎日毎日食べ物を美味しく食べるという習慣は
意外と難しい。
食事を楽しいと感じることも、
忙しいと忘れるし、
一人暮らしをしていたら、
美味しいもまずいも楽しいも、ない。
というような負のスパイラルに陥ることもあるもの。

友達と会っても外食で
しかも無難な外食で済ませたりとか。
お金もかけずに適当にお腹を満たすというような流れもよくある。

だけど、よく考えたら、

おいしい!

と言ってしまうような食事と人物は大体ぴったりとあっている。
美味しいコーヒーを知っている人、
美味しいお寿司屋さんを知っている人、
美味しい定食屋さんを知っている人には素敵な人が多い。

なので私も、
できるだけおいしいものを知ろう。
外食じゃなくても、調理法でもいい。

食べることに対して、
量に関しても質に関しても、
できるだけ身体においしいものを知ろう。

何事も、バランスだけどね。

今日、姉の家にずっと我慢してたドーナツをもって行った。
美味しいね、って言いながら食べれたことが幸せだった。

それに、冷やし中華を作ってあげたら、思いのほかおいしくて、
一人で食べるときよりもずっと、
お腹もいっぱいになった。
一人でご飯食べるときの倍以上の時間をかけて食べたような気がするし、
量だって、いつもならこれじゃ足りないと思うくらいだったけど、
今日はおいしく、ちょうどよく食べれた。

それでも食べたいときはあほみたいに食べたい。
暴食したくなるほどストレスがたまっているようなんだけど、
そんな時もお腹いっぱい食べてもいいような
野菜がいっぱい入ったお味噌汁とかでごまかしたりとか。
よく噛む!とか。
ここで踏みとどまることで、
余計な、太ってしまったことや肌荒れなどのストレスを避けられるのかもしれないし。

話がそれたけど、
健康でいるのは難しいけど、
健康でいようと何か少し工夫するのはとても大事。
長生きしようとかそういうことじゃなくって
今もってる最大限の力を発揮するには、
こういうのが大事。

幸せでいようとすることも大事だ。

私たちは本当の幸せが何かってことを知らないけど、
あきらめちゃいけないのです。
って、宮沢賢治が言ってたような気がする。

なにはともあれ、
今のところ自分のお腹は筋肉がたくましい状態を保っているので、
あとは肩こりを直すべく、
身体のメンテナンスができたらいい。

最近はキュウリがブームで、
お豆腐も結構な頻度でお世話になる。
あとはヨーグルトとメープルシロップ。
明日からメープルシロップははちみつに変えようと思う。
はちみつのおいしさを知ってしまったので、
ほどほどにいただく。

以上、なんだかどうしょうもない記事になった。

食生活

2013-06-15 11:09:27 | 日記
食べることが大好きだから
食べるものには気を使っている、
とは言い難い食生活をすることもある。

毎日毎日自分で何か食材を使って料理するとなると、
心に余裕がないときにはとても大変なことに感じる。

そんなときこそ、
できるだけ手間をかけて
美味しい料理を食べて元気を出したい。

料理に慣れたり、
食べるものになれたりすると、
だんだん複雑なものを作るのが面倒になるときもある。

たぶん、ひと手間、をどんどん足せば、
どんどんおいしくなるんだろう。

たとえば高野豆腐の味付けは、
だしがちゃんとついているのを買えばとても楽だけど、
微調整をしながら自分でかつおだし、しょうゆ、みりんを調合することもできる。
この「加減」が絶妙にできたときはやっぱりおいしい。

ポテトサラダも、ドレッシングを使えば楽だけど、
コンソメや塩コショウの加減と、
入れる材料も時々によって違う。
ゆで卵とツナ、キュウリがベストだと思っているけど、
時によっては魚肉ソーセージとキュウリになったりもする。
これだけで味の調合は変わる。

簡単、とはいっても、
オクラをゆでて刻んだり、
豆腐に乗せるミョウガを刻んだり、
納豆に入れるネギを刻むのも面倒なことがある。
それでもやっぱり、
するのとしないのとではだいぶ食事の質が変わる。

コンソメスープやトマトスープは
ぶった切って放り込む、
これだけでいいのでだいぶ楽。
おまけに体も温まる。
夏は食欲も落ちる。(私はあんまりないけど)
薄着が多いにもかかわらず冷房をかけている場所が多く、
体が冷えることも多いので(よくある)
できるだけ温かいものを食べるように心がけたい。

たぶん、食事がおろそかになっている時期って、
こうやって料理に手間をかけていないことが多いかも。
お弁当やパン屋さんのパンを買って来る日が続いて来たり、
味の濃いものを食べ続けたり。
野菜の量も減っていたり。

朝、キウイやリンゴを食べる習慣だけでも、
包丁を使って何かを切ることで一日をスムーズに始める切り替えにもなるし。
夜まで何もできなかった一日でさえも、
夕飯に気合を入れれば次の日の原動力にもなる。

切ったり火を使ったり、
人間の初期の文明を日常生活に取り戻そう。
ガス台やレンジもいいけれど。
自分の加減を信じる習慣も大事だ。

料理には失敗、成功、うまさ、手間、ごまかしのきくきかない、
人生が詰まっている気がする。

放置してます

2013-06-13 09:00:12 | 日記
久しぶりすぎてびっくりして、
まだなくなっていなかったことにちょっと安心する。


少しいろんなことがありすぎて、というか
目の前のことに集中していて、日記をゆっくり書くことが減っていた。

誰かに何かを伝えるとか、
自分のために文章を残すとか、
大事なことだったんだなと思っている。

一時期こうして日記を書くことについてお休みをしていたら、
書き残す、自分を残す、そのままにするのは大事だなと感じる。

書き残そうと思わなければ、
今の自分の状態もわからない、っていう
自分の鈍感さにも気づいてしまった。

140文字のツイッターでは、
済まないことがよくある。書ききれない。連投は嫌だ、というような。
まとめられない頭をまとめるには使い勝手がよいので、
まとめようとする努力をしながら続けたいけど、たいしたことはつぶやけない。
自分の発信は無関係で、
入ってくる情報量に勇気をもらい、元気づけられるほうが多いのかもしれない。

でもやっぱり表現の量が足りないので、こういう場を大事にしようと思い始めている。





最近は、勉強、バイト、勉強という一日が続いていた。
たまにお友達と会って遊ぶ。
ライブを見に行く。
ご飯を食べる。

勉強の量が減って質が変わった。
バイト始めたころは、バイトだけで心身ともに疲れていたけど、
だいぶ落ち着いて、出勤前後で勉強の時間をとれるようになった。
効率の良さ、みたいなものを覚えたのかもしれない。
限られた労力の配分を覚えた。

バイト先では、おばさまや子供たちといろんな話をして
よく笑う。怒りもする。
悲しい話も聞いたりする。
こういう自分の整理が、手におえないときもある。
それでも続くことがわかってきて、
手を抜いたりとか。
そこにいる人を楽しませるというのは
相変わらずうれしいし楽しいことだなと日々思う。

疲れた時は、
休むということを忘れてしまって、
身体も頭もがちがちになる。
マッサージに行ったりジョギングに行ったり散歩に行ったりしなきゃいけない。
勉強に手をつけずにそういう時間が増えると、
物凄く自由が利かなくなる。不便。
だからこまめに休憩するっていうのを覚えた。

社会的な責任のようなものから遠くにいる気がして、
申し訳ない気持ちになるときもあるけど、
自分の人生という点では一般の人の言うような
リスクを人以上に背負っているような気もする。
だからよいとかわるいとかでは全くない。
苦労はできるだけ少なくするほうがいい。
ただ諦められない自分のためだけに大事にしているものの価値が人それぞれなだけ。

なにはともあれ、働くというのは大変だけど、
生きていくには労働が必要らしい。

ここまで書いて思ったけど、文才は相変わらずなく、
文章能力も落ちているのではないかと思う。

また気が向いたら書こう。

できるだけ優しく、元気でいようと思う。
今度は料理の話をしようかな。