ひょんのいちにち

ゆっくりゆっくり
現実をみて
自分の場所を確かめる

やさしくいましょう

放置してます

2013-06-13 09:00:12 | 日記
久しぶりすぎてびっくりして、
まだなくなっていなかったことにちょっと安心する。


少しいろんなことがありすぎて、というか
目の前のことに集中していて、日記をゆっくり書くことが減っていた。

誰かに何かを伝えるとか、
自分のために文章を残すとか、
大事なことだったんだなと思っている。

一時期こうして日記を書くことについてお休みをしていたら、
書き残す、自分を残す、そのままにするのは大事だなと感じる。

書き残そうと思わなければ、
今の自分の状態もわからない、っていう
自分の鈍感さにも気づいてしまった。

140文字のツイッターでは、
済まないことがよくある。書ききれない。連投は嫌だ、というような。
まとめられない頭をまとめるには使い勝手がよいので、
まとめようとする努力をしながら続けたいけど、たいしたことはつぶやけない。
自分の発信は無関係で、
入ってくる情報量に勇気をもらい、元気づけられるほうが多いのかもしれない。

でもやっぱり表現の量が足りないので、こういう場を大事にしようと思い始めている。





最近は、勉強、バイト、勉強という一日が続いていた。
たまにお友達と会って遊ぶ。
ライブを見に行く。
ご飯を食べる。

勉強の量が減って質が変わった。
バイト始めたころは、バイトだけで心身ともに疲れていたけど、
だいぶ落ち着いて、出勤前後で勉強の時間をとれるようになった。
効率の良さ、みたいなものを覚えたのかもしれない。
限られた労力の配分を覚えた。

バイト先では、おばさまや子供たちといろんな話をして
よく笑う。怒りもする。
悲しい話も聞いたりする。
こういう自分の整理が、手におえないときもある。
それでも続くことがわかってきて、
手を抜いたりとか。
そこにいる人を楽しませるというのは
相変わらずうれしいし楽しいことだなと日々思う。

疲れた時は、
休むということを忘れてしまって、
身体も頭もがちがちになる。
マッサージに行ったりジョギングに行ったり散歩に行ったりしなきゃいけない。
勉強に手をつけずにそういう時間が増えると、
物凄く自由が利かなくなる。不便。
だからこまめに休憩するっていうのを覚えた。

社会的な責任のようなものから遠くにいる気がして、
申し訳ない気持ちになるときもあるけど、
自分の人生という点では一般の人の言うような
リスクを人以上に背負っているような気もする。
だからよいとかわるいとかでは全くない。
苦労はできるだけ少なくするほうがいい。
ただ諦められない自分のためだけに大事にしているものの価値が人それぞれなだけ。

なにはともあれ、働くというのは大変だけど、
生きていくには労働が必要らしい。

ここまで書いて思ったけど、文才は相変わらずなく、
文章能力も落ちているのではないかと思う。

また気が向いたら書こう。

できるだけ優しく、元気でいようと思う。
今度は料理の話をしようかな。