ひょんのいちにち

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行く末

2010-02-02 02:38:51 | 日記
今後のお話。

「周りが言うから」
今までそれで生きてきた部分は多かったと思います。
考えたこと、思ったことは誰かに伝えてきました。

でも、だれにもいってない、
私のひそかな思いが、
表に出てきてしまった、今、そんな状況です。

というのも、
今回の修士論文の研究は大学時代から続けている研究で、
この研究を続けてきた理由は、
養護教諭になった時に使えるからです。

養護教諭になるためにやってきた研究なので、
院生になっても研究に対しての熱意は冷めることはなく、
興味の赴くまま研究を進めてきました。
現時点で、修士論文に対しての思いは、
まだまだやりたいことがたくさんあったと、
後悔する気持ちよりも、
まだまだやりたいという気持ちのほうが大きい。

大学院一年の頃、
スクールカウンセラーになるにはどうすればいいのか、
調べた時期があります。
その時に、臨床心理士のことも一緒に調べました。
すごく興味のある職種だったので、
臨床心理士になるためにはどうすればいいか、
国家試験の受験資格のこと、
大学院のこと、
経験年数、
大学院に入るにはどこに行けばいいか、
大学院に入るための受験科目、
学費、学費は給料どれくらい溜めていけば
何年でたまるか、、、
そこまで調べ、考えたことのある、興味のある職種でした。
でもやっぱり、自分は養護教諭になる夢があるし、
お金かかるし、今更大学院いきなおしたいというのも無理、
国家試験受験資格貰うまでがとりあえず厳しい。
=自分の中ではあきらめざるを得ない分野。
そこまでの話だったのですが。

月末、教授に、
「臨床心理士になる気はないの?」
「研究これからも続けたいね。」
などの、お言葉をいただいた。
諦めていたし、自分にはその才能はないと思ったけど、
心理学を勉強している先生に臨床心理士を勧められたことは、
認められた感じがして嬉しかった。
でも私は養護教諭になるのが
今の夢なので、シフト変更の気はないと伝えました。

その数日後、
心療内科の診察があって、
ふとした瞬間に、
担当医の先生からも、
「臨床心理士になる気はないの」
と聞かれました。

さすがに、
こんな数日で偶然が重なるので、
なんとなく運命のようなものを感じてしまったのが正直な気持ち。

思い返せば、
養護教諭になるために書くの小論文にしても、
「これは養護教諭の仕事ではなくカウンセラーの仕事だ」と言われたり、
教授と試行錯誤やってきた、
修士論文の中での数名に対する分析作業にしても、
どこか本気になって取り組んだことを考えると、
なんとなくですが、自分の目指すべき場所は
最終的にメンタル的な分野の研究を続けることではないかと考えてしまいました。

でも、現実的に、
落ち着いて考えると、
心の基本は体、という部分もあるので、
体のことも知っていれば、
メンタル的な部分にも影響してきたりすることもあるし、
養護教諭を目指すという現時点での目標は変化なしです。

ひっかかるのは、
今年の採用試験落ちたら
臨床心理士にシフトを変えてもいいのではないか
という教授の言葉。

分析作業をやっているときに
私が一番苦痛だったことは、
教員を相手にした時、
「多分ひょんちゃんに話しても、
学校のことはわからないだろうけど」
という前提で話をされたこと。
そう考えると、
負けず嫌いの私の気持ちが本領発揮します。

現場に出ないと分からない話があるなら
見て確かめたい。
やっぱり、
養護教諭になることが、
私の今の一番の目標なんだと思います。

今回の論文を始めたきっかけも、
もとはと言えば、
学校の先生が苦しんでいるのを知ったから。
生徒を大事にするためには、
先生がいつも元気でないと、
生徒だって元気がなくなる。
学校はみんなが一生懸命に何かに取り組む場所。
そのためには、指導者が元気でないと。
研究の原点はそこです。

一般人対象に数名やってみたところ、
一般人に対しても、
私の知識のなさを実感したし、
社会のシステムを理解することも、
まだまだだと感じました。
人生最後の目標が臨床心理士。

そう思うと、
また一歩先の目標ができたことを
嬉しく思います。