現実を味方につけよ

今までに出逢った「真実」を伝えていきます

善と悪を分けない

2010-06-19 09:52:13 | 日記



さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール著)より



ほとんどの人は、肉体的な快楽や、物質的な満足によって自分が幸福になったり、恐れや欠乏が解消されたりすると信じて、それらを追い求めています。
しかし、これは「不満」と「欠乏」を出発点としており、手にする満足感は、いつもつかの間で過ぎ去ってしまいます。
『これ』を手に入れ、『あれ』から自由になったら、その時わたしはやっと幸福になれる・・・

恐れ、苦痛、欠乏、しがみつきなど強迫的な思考はわたしたちにこうささやきます。
「『ここ』からじゃ『そこ』にはたどり着けないよ。」さとりを開くには条件がある、と思考は言っているのです。その条件とは何かを得ることだったり、「何者か」になることだったりします。
要するに思考は「時間」が必要だと言っているのです。
さとりをひらくには、何かを見つけ、何かを解決し、何かを達成し、何かを手に入れ、何者かになり・・・という「時間」がなければダメだと言っているのです。


思考は時間が悟りを開くための条件だ、と言っているのですが皮肉なことに、時間こそが悟りを開く上で「最大の障壁」なのです。わたし達は自分がまだ完璧でないから、十分ではないから、という理由でいまこの時点の自分では「そこ」に到達できないと考えるのです。
しかし、真実は逆なんです。「いま」「ここ」だけが、わたし達が「そこ」に到達できる唯一の地点なのです。自分はすでに「そこにいる」と気づくことで「そこに到達できる」のです。
神を捜し求める必要など無い、と気づいた瞬間、わたし達は神を見つけるのです。

わたし達は、永遠に完全になどなれないのです。
思考を「ほんとうの自分」とみなしている限り、外界のものをよりどころにして、アイデンティティを作っています。
肩書き、所有物、ルックス、成功や失敗、信念体系など・・・自分と何の関係も無いもので「ほんとうの自分」を定義づけしているのです。思考がつくる「にせの自分」はもろく不安を感じているため、常にアイデンティティを捜し求めます。
しかしなにものも、永遠に満足させられません。なにかを渇望する感覚もなくなりません。恐れはいつもそこにあります。

思考からパワーを奪回すれば、思考は強迫的な性質を失います。
思考の脅迫的な性質というのは「決め付け」をせずにいられないことです。決め付けをすると「すでにそうであるもの」に抵抗することになり、痛みを生むドラマをこしらえてしまうのです。

「すでにそうであるもの」を受け入れると、もう思考から支配されません。
奇跡のような出来事に立ち会う、死に直面する、重病をわずらうなどの思考活動が妨げられる出来事がきっかけになります。
思考活動がストップすると、普段は思考の下に埋もれている「大いなる存在」が表面に現れ、真のコミュニケーションができる状態になります。

にせの自分は「すべてのものは分離している」という考えをよりどころにして、いつも口論、ドラマ、衝突に飢えているのです。
ところが、「にせの自分」のどんな挑発にも、さとりをひらいた相手はのってきません。
より高い視点からながめれば、出来事はどれもみんなポジティブでもネガティブでもありません。すべてはあるがままです。

人生には「良いこと」も「悪いこと」も存在しなくなります。
ところが思考は「良い-悪い」「好き-嫌い」を作らずにはいられません。
「アダムとイブは『善悪の知恵を授ける木の実』を食べたために、もはや『天国』に住むことができなくなりました」という創世記の記述は、まさにこの「思考の決め付け」のことを言っているのです。


改善できるような状況だったら、できることはすべてしなさい。それと同時に「すでにそうであるもの」を受け入れるのです。
古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス「あなたの運命に織り込まれた模様は、たとえどんなものでも受け入れなさい。それ以上にあなたの必要にぴったり適合したものはないからです。」
思考が要求や期待を抱かず、現実とのあいだにギャップがなくなったとき、心の葛藤も解消されます。


不幸な花や、ストレスにまみれた木を見たことがありますか?
気のめいったイルカや、心に問題のあるカエル、リラックスできない猫、憎悪の念を抱いた鳥に、出会ったことがありますか?
彼らから「いまに在る」ことを学びましょう。誠実に生きる姿勢を学びましょう。

物事に抵抗するのは思考のさがなのです。
手放すことを行なうのは内面だけでいいのです。「行動で状況を変えてはいけない」という意味ではありません。

なぜ、思考はいらだちを作ったのでしょうか?思考はネガティブ性が望ましくない状況をどうにか解決すると信じているからです。これはおおきな錯覚です。
ネガティブ性を作る代わりに抵抗をすべて手放しましょう。この「許し」をしていればわたし達は、はがねのごとく強靭でいられるのです。
思考が状況、自分自身、他者にレッテルを貼っていくプロセスを観察するのです。
自分が抵抗していくプロセスと、それに伴って発生するネガティブな感情をきちんと観察すれば、それがなんの役にもたっていないということがはっきりとわかるはずです。

思考は抵抗することが、強さの証だと信じています。ところが抵抗こそが、わたし達を、唯一のパワーの源である「大いなる存在」から切り離してしまうのです。
抵抗は弱さです。

思考はきっとこんな風に抗議するでしょう。
「にせの自分をやめるとは、なんて命知らずな!お前はきっと傷つくことになるぞ!」
思考は知らないのです。「手放すこと」によってのみ、人は「裸」になり傷つきやすくなります。
しかしそうしてはじめて「本当の自分」がカラを破ってすがたを現わし、「ほんとうの自分は決して傷つかない」ことを発見するのです。

いまにつながれば、過去は無力になり、自分がこれまでしたこと、されたことは「ほんとうの自分」という輝かしい本質を傷つけるどころか、それをかすりもしなかったのだと心の奥で気づきます。







私はずっとロスチャイルド・イルミナティとその手先を許せませんでした。
私が派遣制度で苦しい思いをしたのも、手先のトヨタの奥田の仕業だと知った時の怒りはすさまじいものです。
派遣制度をこの地上から永久に消す。そのために情報をどんどん集めました。

するとリチャード・コシミズ氏の動画に出会いました。
宇野正美氏の動画にも出会いました。
ユダヤ問題というものがあることを知りました。

アメリカを支配し、9.11で自作自演テロを起こしたロックフェラーも許せなかった。
なぜ、こんなにひどいことができるのか。こんなやつらを生かしておいてはいけない。
ロックフェラーを調べていくうちにその資金を出しているロスチャイルドの存在に出会います。

第二次世界大戦も彼らが意図的に起こした戦争で、フランス革命も共産革命もアメリカ独立戦争もあらゆる戦争は彼らが起こしてきたのだと知ります。
悪魔を崇拝し、自分たちのやりたいようにやって多くの人の命を奪ってきた。
中央銀行を乗っ取り、通貨を発行するだけで自分たちは国から利子を盗み取る。そしてその国民は重税で苦しむ。
このような人殺し・泥棒・詐欺師の連中を生かしておいてはいけない。

絶対に許せない・・・というのがわたしの思いでした。
しかし、わたしはずっと苦しかった。相手を許せないと思って生きていると苦しい。そして斉藤一人さんのCDに出会い「自分のために許す言葉を言おう」と思いました。

「小泉・竹中・奥田を許します。」
「ロスチャイルドを許します。」
「ロックフェラーを許します。」
そう言葉に出しているだけで、私のこころはすごく安らかになりました。落ち着きを取り戻しました。
そして、だんだんといいところもあると見えるようになってきたのです。





物事は悪い面だけ見るというのは片面しか見てないことになります。これはユダヤ問題も同じ。
ロスチャイルドの面々を見ればぶん殴りたくなりますが、
それをぐっとこらえてロスチャイルドがいてくれて良かったことはないだろうか?と考えた。
すると日露戦争の時に裏工作してロシアにはお金を貸さずにいてくれた。日本にはジェイコブ・シフがお金を貸してくれましたから戦費を用意できました。
これで日本はロシアに滅ぼされないですんだ。なんてラッキーなんだろう。ロシアに滅ぼされていれば今私たち日本人は生きていないかもしれない。
そう考えるとロスチャイルドさん、ほんとうにありがとう。


あと、小泉・竹中・奥田という何の情けもいらないような冷酷な人間を手先として使ってくれた。
彼らが手先として行動しながらも、どこかの障害者施設に寄付するとか、癌患者の予防のために自然農法にお金を支給するとか、小さい子供と母親のために子供手当てを支給するとか、善行も行なっていたらこれほど叩けなかったでしょう。

でもブッシュと共にユダヤ教の礼拝をし、万博ではサタニストのサインをし、逃げるように政界を出た。
息子は「この民主党のやり方は自民党と同じです!」とおまえが言うなつっこみまで入れることができるアホ。
売国新聞やテレビに出て「アメリカに出資しろ」と言う経済学オンチ。
イルミナティの手先と明らかにわかる卑劣な人相の奥田。
叩きやすい・・・いまだかつてこれほど叩きやすい連中がいただろうか?
彼らが善行を一切しないでくれてほんとうにありがたい。


自作自演の9.11テロ。わかりやすい。
これがなかったら今でも「アメリカが世界の警察」というニセ情報を信じていただろう。
誰の目にもバレバレな自作自演テロをしてくれたロックフェラー、ほんとうにありがとう。


「こんなことをしてはいけない」という反面教師としてロスチャイルドが選んだ手先というのはほんとうにありがたい存在です。
彼らと反対のことをすればいいのだから。

そしてロスチャイルドは世界中の人間をブタだと言い、悪魔を崇拝している。どれだけ他民族を殺しても、テロで死なせても平気な顔をしてコソコソと裏に隠れている。
・・・何の手加減もなく叩きやすい。ロスチャイルドさんほんとうにありがとう。
あなた方のおかげで正しい道がわかり、世の中を、経済をどのようにしていけばいいかがわかった。

ロスチャイルドさん、本当に心から感謝します。
そして、・・・・徹底的に叩かせていただきます。





彼らがいてもいなくとも、歴史の流れはやがてこうなることは必然です。
「ずる賢い人間」が「正直でまともな人間」を騙して、やれるだけのことをする・・・
力で奪うと非難されるから、裏で隠れてコソコソとやる・・・
世の中の情報量が増大し、真実が少しずつ明らかになっていく・・・

こうなることはある意味で仕方のないことでしょう?
だからわれわれはこれを受け止めて、やれるだけのことをやるしかない。幸いなことに反面教師である彼らのやり方を勉強すればいい。
彼らとまったく反対のことをすれば平和な世の中になることがわかります。だから彼らの政策を「反面教師」として生かさなければいけない。

人は「不完全」であるからこそ、完全を求めようとして色んなことにチャレンジするのです。この世の中が完璧な人だらけであれば、人間の向上はあり得ない。そして、物質としてこの世に存在している限り人間が完全になることはあり得ない。
我々は永遠に完全になることはできないのです。だから他人の不完全さを受け入れよう。ひとの欠点には目をつぶって良い所を伸ばしていこう。自分のまわりの人達に感謝の気持ちで接していこう。

思考のトリックに気づけるかどうかが運命を決めます。私はそれに気づいた。
肉体は傷もつきますし、老いてもいくでしょうし、死の瞬間も来ます。人は失敗もするでしょう、間違いも犯すでしょう、良かれと思ってやったことが裏目に出ることもあるでしょう。

「不完全さ」を受け入れ、「今、この瞬間」をすべて受け入れることができたら、われわれは思考が語っていたような弱い存在などではなかったことに気づきます。
「いま、この瞬間」我々はすでに完全無欠です。恐れるものは何一つない。
他人の、地球の、大自然の役に立つことをたんたんとやっていく。その結果、自分自身は人から喜ばれる存在になっていく。こんなに嬉しいことはない。
私は仕事でもそうですが、人の喜びのために行動できるようになると毎日が楽しくて仕方ないのです。以前、派遣で働いていた時は苦しくて仕方がなかった。まあ、イルミナティの奴隷制度ですからね。こんな制度は地球上から永遠に消し去ってしまうのが一番です。

しかし、反面教師として「悪」の連中のやり方を生かすことはできます。
楽しく仕事ができる環境はどうやって作ればいいか?株主としてユダヤ資本が会社の金を泥棒していくことを防ぐにはどうしたらいいか?社会が正しく平和に発展するにはどのような金融の仕組みが必要か?

そういった「まともな道」に行くための道具としては使える。これから徹底的に追求していきますから。

だからさんざん苦しめられましたけど、彼ら「悪」の存在にも感謝ですね。