現実を味方につけよ

今までに出逢った「真実」を伝えていきます

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さとりを開く

2010-06-05 19:52:27 | 日記
この本は最高の本です。ぜひ買って読んでみてください。
この本に書かれている内容こそ、私が伝えたかったことの核心部分です。
あなたにこの内容を伝えることができることを、私は本当に奇跡だと思います。

いろいろな所でこのブログを知り、見てくださるようになったみんなに幸せになってもらいたい。ずっとそう思って来ました。そのきっかけになれば私はほんとうに幸せです。
心からこのブログを立ち上げて良かったと思っています。




さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール著)より


熊沢蕃山にまつわるこの話しをご存知ですか?蕃山はかなり長いこと「さとり」の探求をしましたが、さとりは得られずにいました。
そんなある日のこと、蕃山が市場を歩いていると、肉屋の主人とお客の会話が耳に飛び込んできました。

お客「あなたのお店で、一番上等の肉をくれませんか?」
そう言われた肉屋の主人はこう答えたのです。

主人「わたしの店の肉は、ぜんぶ一番ですよ。」この言葉を聞いたとたん、蕃山はさとりを開いたのです。
「すでにそうであるもの」を受け入れた時、すべてのものは一つ残らず全部極上になるのです。
これが悟りを開くことなのです。






今、この瞬間を幸せだと受け入れるか、不幸だと思うかは自分の考え方次第です。
人から嫌なことを言われても「自分はこんな嫌なことを言わないように注意しよう。」と反面教師として生かすこともできますし
生活に苦しい状況が続いても「今後、このような苦しい生活をしないように工夫しよう。」と改善のきっかけにすることもできます。
要は考え方なのですが、人それぞれ「今」を受け入れられる許容量があります。不幸な経験や苦しい体験をしたことのある人は許容量が大きい。
逆にそこそこ何も問題なく生きて来れた人ほど、ちょっとしたことで文句ばっかり言ってしまいます。

雨が降ってきて嫌だなと認識する人と、恵みの雨が降ってくれて良かったと受け取る人ではストレスの感じ方もまったく違ってくる。
誰だってストレスを感じないで楽しく生きたいです。
ではどうすればいいのかというとただ一点。

自分が自分でないこと」に気づくことが必要なのです。





哲学者デカルトは「われ思う、ゆえに我あり」という名文句で究極の真実を表現したと、確信していたに違いありません。しかし「わたしは在る」ということを「わたしは考える」ということと等しくする・・・つまり思考活動によって自分のアイデンティティをを確立する、という初歩的な誤りをおかしているのです。
自分の思考をコントロールできない人は(ほとんどの人がそうでしょう)「人間はみんな、離れ離れなのだ」と信じて生きています。
「さとり」とは「すべてはひとつであり、完全である」という境地にいることです。それゆえにすべてとつながっている。
さとりをひらくと、もう自分の思考に振り回されなくなるのです。

思考を「ほんとうの自分」とみなしていると、レッテル、決めつけなどの「くもりガラス」を通して、世界をながめます。すると、すべてのものがゆがんで見えます。
ひとつ質問させてください。好きなときに、思考を止められますか?

Aさん「ええっ、なにも考えない状態になることですか?ほんの一瞬ならなんとかなるかも知れませんが、それ以上は無理ですよ!」

では思考が主人になりすまし、あなたが「しもべ」になっているのです。自由への第一歩は、自分の思考は「ほんとうの自分」ではない、と気づくことからはじまります。
思考は意見する、推測する、判断を下す、比較をする、文句を言う、好き嫌いを言う、といったことを休みなくおこなっているものです。

思考が、状況に適したことを言っているかというと、必ずしもそうとは限りません。つい最近の出来事や、はるか昔に起こった出来事を再現したり、これから起こりそうな状況のリハーサルをしていたりもします。
たいていは「なにか良からぬことが起こるのではないか?」と悲観的な見方をしています。
もちろん思考が状況に即した事を言っている時だってあるでしょう。






わたし達が普段いろんなことを「思って」生きていますが、この思考が「自分自身ではない」と気がつけばさとりをひらくきっかけとなります。
思考というものは、過去の経験と照らし合わせて現在の状況を解説しています。
「こんな悪いことが起こるんじゃ」とか「試験にうまく合格できるだろうか?」とか不安を感じることは誰しもあると思いますが、その不安は「思考」が作り出しているのです。

このカラを破るのは至難の業です。なんてったって、毎日朝から晩まで思考は活動し、「これはいいこと」「これは悪いこと」と目の前のことを常に判断しています。
そして、自分自身が悪い状況にならないためにどうすればいいか?もっと幸せになるにはどうしたらいいか?ということを常に頭の中で描き続けます。
イメージや未来を予想したリハーサルのような形で考えることもあります。

しかしよく考えてみれば頭の中で描いた内容と、いま目の前にある現実やその後の展開はまったく関連性がありません。
関係があるのは頭の中の「過去」です。
自分が苦しい目にあったとか、似たようなことが過去にあったとか、他人がそうなった状況を見たとかいう頭の中にある幻をもとにして「いま」を見ています。
思考は「過去」を基準に「未来」を見ているため、一番肝心な「いま」を見ていないのです。
その結果自分の行動は「過去を基準に」ゆがんでしまい、いま目の前にあるものを間違って認識してしまいます。

たとえば、「このカレーは辛え!」という昔のギャグを思い出してあるカレー屋さんに入るとします。
そこで甘口カレーを食べると以外においしい。
「もう少し辛さが強ければこのカレーはもっとうまいはずだ」と思い、次回来る時は少し辛めのカレーを食べようと心に決めます。

2週間ほどして、よし少し辛口のカレーを食べるぞ!と注文する。
その時の「辛口カレー」は過去の「甘口カレー」を基準にたぶんおいしいだろう、と予測しているわけですね。
誰が火を吹くほどの超激辛カレーだと思いますか。誰が3分の1も食べれずに残すと思いますか。
俺の750円を返してくれ!と後悔したのはいったいどこの誰ですか?


 








「さとる」とは思考を超えること


「にせの自分」はたえず考えることによってのみ、生きられるのです。
思考力は人間にとって「サバイバルのための道具」です。情報の収集、保管、分析、ほかの思考に対する攻撃や防御です。
思考の主な仕事は、感情的な「痛み」と闘い、取り除くことです。これが思考が休むひまなく活動している理由の一つです。ところが思考に痛みを解決させようとすること事態、無理な話なんです。なぜなら、思考そのものが「痛み」をこしらえている「張本人」だからです。
思考とひとつになり、それを「本当の自分」だと思い込むのをやめない限り、「痛み」から解放されることはありません。


思考は「いま、この瞬間」を嫌っているので、いつもそこから逃げようとしているのです。
思考を「本当の自分」とみなすほど、苦しみは増すばかりです。でもそれは見方を変えると「いま、この瞬間」をあるがままに受け入れるほど、痛みや苦しみはなくなる。
なぜ、思考は「いま、この瞬間」に抵抗するのでしょうか?その理由は、思考は過去・未来という時間の概念無しには機能できないからです。そのため、思考は時間のない「いま、この瞬間」を脅威に感じているのです。時間と思考は、互いに離れられないのです。
自分に痛みを与えたくないなら、「時間の概念を捨てること」です。「いま、この瞬間」以外は存在しないという事実を、心の奥からさとることです。

「いま」以外の時に何かを経験したり、行なったり、考えたり、感じたりしたことがあるでしょうか?
禅の真髄は「今という名のカミソリの刃の上を歩くこと」に凝縮されます。寸分のすきまもないほど「今に在る」と、ほんとうの自分でないものは消えてしまいます。
「苦しみ」が存在するには時間が必要なのです。苦しみは「いま」の中で生きのびることができません。

「不安」「緊張」「ストレス」はたくさんの未来といまの欠如が原因です。
「罪悪感」「後悔」「怒り」「不満」「悲しみ」「恨み」はたくさんの過去といまの欠如が原因です。
わたしたちは、完全に「いまに在り」同時に不幸でいることなどできません。

行動そのものに、焦点を当てるようにしましょう。「いま」をあるがままに受け入れるのです。
「いま、この瞬間を尊重したとたん、不幸と苦悩はすべて消え去り、人生は喜びと安らぎと共にスムーズに流れ始めます。もう未来に満足感や達成を求めたりはしません。物事の結果に執着しなくなります。失敗も成功もわたしたちをおびやかしたりしません。
物事の結果に執着しないため、恐れを感じることはありません。

「いま、この瞬間」わたしたちはすでに完全無欠なのです。




「わたしは不幸だ」という気持ちを溶かそう


問題なのは、あなたが「すでにそうであるもの」に抵抗しているという事実です。あなたが「いま、この瞬間」を敵に回しているということです。
声に出す、出さないは別として、あなたは誰かや境遇や環境について愚痴をこぼしていませんか?
文句を言うということは必ず「すでにそうであるもの」を拒否していることを意味します。

「許し」とは、一切の不満、心の痛みを手放すことです。不平不満が無益で「にせの自分」を助長するだけだと気づいた瞬間、変化は起こります。
許すことは「人生に抵抗しないこと」。人生をあるがままに受け入れ、全身で受け止めて生きることです。
執着心と抵抗が、わたしたちを「ほんとうの自分」や万物から切り離してしまう元凶です。
抵抗は「すべては分離している」というニセの自分の意識を助長します。すべてが別々の形を持つ「目に見える世界」にしばられるようになります。

沈黙こそが、音を音にさせているのです。沈黙はあらゆる歌、さらにその中のすべての音符、あらゆる言葉に不可欠です。
「目に見えない世界」はこの世に沈黙というかたちで存在しています。







あなたは不幸ですか?
幸せな人ってなかなかいませんね。いろんなことに文句を言っている不幸な人は多い。
もちろん文句を言わざるを得ないこともありますよ、たとえば小泉・竹中・奥田のせいで派遣で働いていたのにイキナリ解雇されたとか。
三井住友から資金を借りていたのに急に返せと言ってきたとか、みのもんたがサタニストのサインをテレビでやらせるとか。
言うべきときは言わなければいけない。自分が生きることができない状況を作り出している連中は徹底的に叩かなければいけない。

でも世間の人ってそれ以外の簡単なことで腹を立てていることが多いです。
些細なことで毎日毎日文句を言っている。不平不満が頭をよぎる。
その頭の中でささやく声って、いつからあるんでしょう?
いつから「なんでこんなとこにぞーきんがあるんだ」とか「あの店員は態度がむかつく」とか「百貨店の電話対応がなってない」とか、ささいな他人のことに文句をいい始めたんですか?
いつから「もっと頭がいい人間に生まれたかった」とか「自分はどうしてこんなに太りやすいんだ」とか「もっと金持ちだったら良かった」とか、ささいな自分のことに文句をいい始めたんですか?

頭の中の声、それが思考です。
思考は常に不平不満をいいます。それは「自己保存」のためです。
思考そのものは「いま・この瞬間」には生きることができない。過去に戻ったり、未来へ行ったりしていることで思考は存在し得るのです。
いまをあるがまま受け入れてしまえば、思考が停止します。思考の存在意義がなくなってしまう。だから常に不安や心配事をして未来に向かい、後悔や怒りなどで過去を思う。
いま、目の前のことが大嫌いなんです。それが思考の性質なんですね。
その思考の性質を理解して、ほんとうの自分のしもべとして使っているならその人は幸せなんですが、思考そのものを自分自身だと勘違いしてしまう。
これが常に文句を言っている人の現状です。だから、幸せでいるためには「ほんとうの自分」に気がつかなければなりません。

そのためには何も思わなければいいんです。
死にそうな目に逢うと思考は停止しますね?不平不満を言っている時間がない、考えている時間がない。なんとしても自分を守らなければならない・・・その瞬間に遭遇すると思考は停止します。




・・・え?そうそう死にそうな目に逢うことがないって?
じゃあ、海外旅行へ行きます。今まで見てきた日本の風景とはまるで違う・・・こんな建物は見たことがないし、人種もまったく違う。すごいな、これは・・・その瞬間に遭遇すると思考は停止します。

え?海外旅行へ行くお金がないって?
う~ん、じゃあ奇跡に出逢いましょう。自分が今まで経験したこともない奇跡に遭遇する・・・その瞬間に思考は停止します。


・・・
わかってますよ、そう奇跡に逢う事もないって言うんでしょ。
だからとにかく「思考」を止めてください。そうすれば頭の中から不幸や不安や不平不満や悩み、苦しみ、心配事などが全部消えてなくなります。
わかっちゃいるけどやめられない・・・なんとかしろよ!もっといい方法ないのかよ。という声まで聞こえてきそうですがその気持ち、わかります。
私がそうでしたから。

自分の頭の中で繰り返し再生される不満や不安を止めることができない。ほとんどの人がそうだと思います。
じゃあ、さとりは開けないじゃないか・・・そうではありません。

上に書いたようにたとえ海外旅行へ行っても「慣れて」しまえばまた再び思考がはじまります。
たとえ奇跡に出逢ってもじきに「慣れて」しまい、普段どおり頭の中を不平不満が占拠しはじめます。
死にそうになって思考を止めることができても3日もすれば思考の愚痴がはじまります。

もっといい方法があるんです。裏技みたいでしょ?
思考を止めるのではなく、思考が止まる状況にすればいいんです。


それは「空間を見ればいい」んです。




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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-07-23 14:44:24
それでは空間に囚われている事になります
思考も自分、それ以外も自分です
不完全な思考のあなたも完全で尊きものです

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