現実を味方につけよ

今までに出逢った「真実」を伝えていきます

調和

2010-05-23 14:18:50 | 日記
さて、「受け」ができないということについてもう少し掘り下げてみたいと思います。
普通の人だと嫌なことは受け入れられない。だから目の前の嫌なことから逃げようとする。
これが極端な人もいます。ノイローゼという状態の人ですが、いろんなことが嫌なのでできる限り現在の状況を拒否するという極端な精神状態になってしまったというケースです。
この「受けがまったくできない人」の状態が理解できれば、なにかわかるかも知れません。

ということでなぜ、そうなるのか?原因を探っていきましょう。





神経が図太くなる本 (桜木健古 著)より


性格学では「気質+反応=性格」という方程式があります。
反応とは外界との心理的、行動的な関係の仕方で、これが後天的に形成される部分です。
だから、気質は変えることもできないし、その必要もありませんが、反応の仕方は変えることができる。

反応の仕方とは、砕いて言えば「心の姿勢」ということですが「外界と調和できるか、できないか」ということです。
誰に対しても心の壁や対立感情を意識しない人は、外界と調和ができている、すなわち心の姿勢が正しいわけであり、これまで述べたような他人と和合できない気にし屋は対人的な適応ができない人たちです。
彼らが対人的な和合のできるようになることを、性格改造というわけです。

神経質と言う気質は先天的のもので、これ事態は善でも悪でもありません。いや、他の素質に比べ、特別に創造的な才能を内包しているのです。
「感受性が強い」ということです。これはまさしく才能ではありませんか?
感受性は鈍いより鋭い方が良いに決まっているからです。問題はこの「感じやすさ」が外界との関係においてどう発現されるかという一点にあります。
心の姿勢がゆがんでいると、せっかくのこの才能が実在性の無いものを描き出すと言う「悪用」にばかり用いられる。



小心と似て非なるものに「細心」という概念があります。こまかいところに配慮や観察力が行き届く、という意味です。
感受性強く想像力豊かという素質が、主観の世界の中で活躍すると、根拠の無いクヨクヨ=すなわち小心となりますが、これが客観的な対象の世界に向かって発露されると「細心」と言う才能になる。
対人関係であれ、仕事の上であれ、「こまかいところに注意がとどく」ならこれすなわち創造能力の豊かさに他ならないはずです。

小心と細心の別れ道が、恐れの有無、外界との調和か不調和か、想像力の善用か悪用か、にあることはもはやおわかりでしょう。
「小心であって細心でない」ひとつの人間像を描いてみましょう。


28歳の男性に「話したいことがある」とはがきを出したのに、2週間も返事がない。
用件は、かれの方の依頼で私が奉仕的にやってあげたことなのです。
はがきが着かなかったのかと重ねて連絡したら「何日にお伺いする」と返事が来た。遅れたことのいいわけには自分ひとりの都合だけを書いている。しかもその日にちというのが、返事が着いた日の翌日、さらに驚くべきことに時刻が指定していない。
どうでしょう、このでたらめ!気がきかない、という程度ではない、細心の反対の極地です。

その自分中心の態度はよくわかっていましたから、教育のために、予定はなかったのに外出してやろうと計画した。会社の寮から2時間以上かかるのですから、徒労によって少しは感じるだろうと思ったのです。
昼ごろ家をあけるつもりでいたらなんと11時にやってきた。親しい仲でさえ訪問を遠慮する時間です。
神経質な人が主観の世界に立てこもると、相手の立場という客観的な対象には、このように無神経になる。面白い現象です。
こんなことでは社会人失格と言うべきですから、コンコンとさとしてやると、恐縮した顔色の底に「口やかましい人だ」といわんばかりの反発がチラチラと見える。外界との調和がまったくない、対人関係の音痴なのです。

夕食のあと、酒が好きと言うから1杯のみに連れていった。店へ入ってまもなく「もう帰らなくては」とソワソワし始める。
聞いてみると門限も用件もあるわけではない。ただ、知らぬ土地にいることが落ち着かない、とにかく寮に帰りたいということだけらしい。それなら付き合いを断ればよかったはずです。
今にも立ち上がろうとするから、「ここは駅前なんだ。時間評を見てから間に合うように行けばよい。」と時間の使い方を教える。すると次の電車まで30分ほどある。
ここでその小心が病的に発揮されて、1分おきに腕時計を除いている。いわゆる神経質、人から嫌われる典型です。
15分もたつと、いたたまれずに立ち上がってしまう。「プラットフォームまで2分で行けるんだ。」と無理に引き据える。
私とマダムのおしゃべりが彼に興味の持てるテーマに入ると、時計をのぞくことをすっかり忘れて、自分が話の中心になってしまう。ハッと我にかえって時計を見ると電車はもう出てしまっている。
ほんとうにその電車に乗るべきなら、ヨモヤマ話などで時を忘れるのがどうかしている行為です。
他の客がギョッと振り向くような大声をあげ、顔には人生の大失策をやらかしたような、悲しみと悔恨の色がいっぱいに広がる。「電車は何本もあるんだ、次のに乗ればいい。」とどやしつけて落ち着かせる。幼児をあつかうようなものです。
次の電車が来るまでの間、例の如く時計ばかりのぞいていましたが、15分前になると有無を言わせず立ち上がってしまった。私が勘定を払うのももどかしく、アタフタとドアを開け急ぐ。
駅に来てみると待合室で待てばいいのに、寒風のさらすホームへ追われるみたいに立っている。電車が着くその場所に立ってしまわないことには、安堵感が得られないらしいのです。

どうですか、このすさまじき青年像!
彼は完全なノイローゼなのですが、それだけに「小心にして非細心」の典型を体現しています。
彼の心から恐れがなくなり、小心が細心へ、主観の妄想が客観的な配慮へと完全に転化されたらどうなるか。
「人が変わったようになる」のは当然のこと。その人生はただ楽しく、行動力は何倍にも増すに違いないでしょう。

失敗を恐れる小心な人に事業の成功はあり得ない。配偶者の心と身体に細心な注意が届くなら夫婦生活は調和しないわけにはゆかない。友情関係も同じ。職場での対人関係はなおさらでしょう。
感じやすさが内にこもるか、外へ向けられるか、人生の成否、幸と不幸はこの1点にかかっていると言えます。






私が以前大学で出会った友人は、うまく表現できないのですがキラキラと輝いているのです。それはオーラとでもいうのか、雰囲気というのかわかりませんが。
どんな状況でも肯定的に受け取る、笑顔でいつも返事をかえす。普通の人とは反応がまったく違うのです。
苦労して現役で大学に行った私とは違い、その友人は4浪して大学に入ったのですがまったくあっけらかんとしたものです。
何度か会話するうちに「ああ、私とは生まれた環境が違う。この人は愛されて育ったんだな。」とわかりました。

私は経済的に苦労したことはありませんでしたが、精神的には辛い幼児期を過ごしました。
だから、ものごとを慎重にかつ警戒心を持ってとらえる。上記のようなノイローゼになったことはありませんが、こんな雰囲気を出すと初めて会うような人は警戒するでしょう?
その「受け」がまったくできない私と違い、友人はなんでも受けができているのです。表情で言葉でわかる。
嫌な出来事を聞いて「良かった~」なんて言えますか?ありえないでしょ。


私が物心ついたころからの記憶ですが、私の父親は目を見て話をしてくれないのです。
一度も子供である私に目を合わせてくれない。私は理解に苦しみました。
私自身が「愛される価値のない存在」なのだろうか?どうして父親は私を見てくれないんだろうか。どうして話しかけてくれないのだろうか。
私は父親とキャッチボールをしたこともありません。私はいったい父にとってなんなのか?


その受け入れてもらえない分を母親にかまってもらうことで満たそうとしました。
しかし、私の母は私の存在を「そのままでいい」と受け入れてくれることはなく、常に「もっと頑張れ。」と言う人でした。
「頑張って勉強して、いい大学に入って、いい会社に入って・・・」といういわゆる受験勉強の世代を育てた頃の親でした。
私はいつまでたっても愛されることはありませんでした。

「良くやった。」ただその一言が欲しかった。でもいつも「次はもっといい点数を取れ。」
「他人より抜きん出なさい。」と言われて育ったのです。
私は勉強ができて、他人より優れていることを要求されました。
私は常に頑張っていなければならず、自分の実力以上のものを出さなければならず、期待に答えなければならなかったのです。
息苦しさを押し殺し、努力・努力・努力・・・
「大学に行けば仕事はなんでもある。なにがなんでも大学に行きなさい。そしていい会社に入りなさい。」
そして頑張って勉強をして、大学に入ったあたりから「いったい何のために生きているのか?」と自分の存在に疑問を持ちはじめます。

「いったい自分はなんなんだろう?」
・・・燃え尽きてしまった。もう他人の期待にこたえるのは嫌だ。
もう必要以上に努力するのは嫌だ。もう社会の要求に素直に従うのは嫌だ。


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


何をするにも面倒くさい、できるだけ人と関わりたくない。俺のことはほうっておいてくれ。
もうどうでもいい。冗談じゃない。人と比べて競争に勝つこと、人と比べて試験で勝つこと、人と比べてより努力をすること。
もうごめんだ。俺はなんにもしたくない。生きる意味も見失ってしまった・・・

そんな大学時代を過ごしました。
そして、ちょうど卒業する頃には「超氷河期」と言われる就職難。求人は大幅に落ち込み、100社面接を受けても落ちるという有り様でした。
「大学に行けば仕事はある」って親も世間も言ったじゃん?なんだ、全部嘘だったのか・・・
世間に対する悔しさ、社会に対するうらみから私の心はゆがみ、人と調和して生きることは難しかった。
いわゆる利己主義に取りつかれ「金さえ稼げばいいんだろう!好き勝手なことばかりいいやがって。」という価値観でしたから、人と調和できないのも当たり前です。



そんな私が心のゆがみを無くし、今では他人と調和して楽しく生きることができているのですから人生わからないものです。

人と話しをすることが楽しくて仕方ない。仕事が楽しくて仕方ない。
そしてできるだけ人に親切に生きよう。これが今の私のモットーですが、こんな風に外界と調和できなかった人間が、調和できるようになるのです。
不思議なことです。しかし、この謎が解ければ誰かの役に立つのではないか?
同じように調和ができない人はたくさんいる。その人たちが幸せに生きるためには一体どうしたらいいか?

普通、「調和できる人」は一生そのまま調和できる、「調和できない人」は一生調和できない、と考えてしまいます。
しかしこれは間違いです。人は変われる。人は強くなれる。
誰でも「受け」ができる状態になれるはずなんです。それはどうしたらいいのでしょう?