2009.4.19
自分のブログのタイトルのみ読み返し、
こんなこと書いてたのか…、、?と思う書き込み、
内容をよく覚えてる書き込み、あまり覚えてない書き込み、
ネガティブ感覚のあらわれる書き込み、
ポジティブ感覚のあらわれる書き込み、
よく自分の感覚のぶれや揺れや動きを確認しつつ、
感覚と同化しないで、感覚や思考を、脇に置いて流れるにまかせる。
もう十分だと思える書き込みは、削除してみる。
しんどくなる書き込みは、特に中身や付属する感情も見直してみる。
・いろんなものの寄り集まってる一人の人間が自分だから、
いろんな書き込みがあって、当然だとは思うけれど、
それでも、その文の違いや感じ方の差に驚く。
・性虐待絵は、やりやすい吐き出しだったと思う。
なんで蜘蛛がすごく苦手なのか、蜂の黄と黒のインパクトが苦手なのか、
うっすらわかってきた。うまく言えないけど…、、性虐待に関わりがあった。
・あと、私は自分の知性に劣等感があって、
女は考えなし、からだだけ、脳無し、と思ってしまってる。よく言えば、直観がさえてる、とか、感覚的、美的、とか…
でもこの社会では、冷静に、落ち着いて、頭で行動しないと、イカレテルと思われ、自分もそう思うし、
イカレていれば、性虐待に遭う、と思っている。用心して頭で考えねば、と。
これぐらい。
読み返してみて、まだいろんなこと、穏やかに要らないものとして、消せないなと思った。
まだ残しておきます。いくつか、楽になったものは消しました。
結局、タイトルのみ見て、その内容を思い出し、しんどくなったものは、殆ど全然内容を読み進めて見直す気になれませんでした。
まだまだだと思う。
--------
2009.4.27
私は、知的に劣っている、と感じています。
私が男性であれば、私が賢ければ、
あの性虐待の時、どうにかできたのではと感じています。
私は感情に走ってしまいました。
性虐待を脅威に思い、それは自然だったのかもしれませんが、
はてしなく恐怖して、なにがなんだかわからなくなりました。
冷静に、落ち着いて、男性的で、強くあれれば、
もっと何かできたのではないか…いつもそう思います。
女性的なものは弱さだと考えてしまいます。
でもどうせ性虐待を受けるのであれば、私は自分が、
少年でなく少女でよかったと思いますが…
少年は強いもの、
少女は弱いものと、押しつけのあるような社会だから、
性虐待を受けた少年=弱い少年=女の子だ、とも思いこみかねない、これはかなり切迫したことだと思いました。
・自分が「肉体的(物質的)に」女性であることを、忘れてはならない。
(寒かったら服を着たり、怪我したら手当をするのと同じように。)
・「どうせ性虐待を受けたのなら、女の子の体でよかった、男の子だったらきっともっとつらかった、
私は女性の体にほっとしている」とか、
そういう風に、消極的に、自分の性別について思い込まなくても良い。
・それから、ネガティブな自分の書き込み、状態、フィーリング、思考、感情、感覚、その他に、無理に意識を集中し、膨らませたり、思い悩んだり、120%考えて問題解決しようとしたり、しなくても良い。
自分のブログのタイトルのみ読み返し、
こんなこと書いてたのか…、、?と思う書き込み、
内容をよく覚えてる書き込み、あまり覚えてない書き込み、
ネガティブ感覚のあらわれる書き込み、
ポジティブ感覚のあらわれる書き込み、
よく自分の感覚のぶれや揺れや動きを確認しつつ、
感覚と同化しないで、感覚や思考を、脇に置いて流れるにまかせる。
もう十分だと思える書き込みは、削除してみる。
しんどくなる書き込みは、特に中身や付属する感情も見直してみる。
・いろんなものの寄り集まってる一人の人間が自分だから、
いろんな書き込みがあって、当然だとは思うけれど、
それでも、その文の違いや感じ方の差に驚く。
・性虐待絵は、やりやすい吐き出しだったと思う。
なんで蜘蛛がすごく苦手なのか、蜂の黄と黒のインパクトが苦手なのか、
うっすらわかってきた。うまく言えないけど…、、性虐待に関わりがあった。
・あと、私は自分の知性に劣等感があって、
女は考えなし、からだだけ、脳無し、と思ってしまってる。よく言えば、直観がさえてる、とか、感覚的、美的、とか…
でもこの社会では、冷静に、落ち着いて、頭で行動しないと、イカレテルと思われ、自分もそう思うし、
イカレていれば、性虐待に遭う、と思っている。用心して頭で考えねば、と。
これぐらい。
読み返してみて、まだいろんなこと、穏やかに要らないものとして、消せないなと思った。
まだ残しておきます。いくつか、楽になったものは消しました。
結局、タイトルのみ見て、その内容を思い出し、しんどくなったものは、殆ど全然内容を読み進めて見直す気になれませんでした。
まだまだだと思う。
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2009.4.27
私は、知的に劣っている、と感じています。
私が男性であれば、私が賢ければ、
あの性虐待の時、どうにかできたのではと感じています。
私は感情に走ってしまいました。
性虐待を脅威に思い、それは自然だったのかもしれませんが、
はてしなく恐怖して、なにがなんだかわからなくなりました。
冷静に、落ち着いて、男性的で、強くあれれば、
もっと何かできたのではないか…いつもそう思います。
女性的なものは弱さだと考えてしまいます。
でもどうせ性虐待を受けるのであれば、私は自分が、
少年でなく少女でよかったと思いますが…
少年は強いもの、
少女は弱いものと、押しつけのあるような社会だから、
性虐待を受けた少年=弱い少年=女の子だ、とも思いこみかねない、これはかなり切迫したことだと思いました。
・自分が「肉体的(物質的)に」女性であることを、忘れてはならない。
(寒かったら服を着たり、怪我したら手当をするのと同じように。)
・「どうせ性虐待を受けたのなら、女の子の体でよかった、男の子だったらきっともっとつらかった、
私は女性の体にほっとしている」とか、
そういう風に、消極的に、自分の性別について思い込まなくても良い。
・それから、ネガティブな自分の書き込み、状態、フィーリング、思考、感情、感覚、その他に、無理に意識を集中し、膨らませたり、思い悩んだり、120%考えて問題解決しようとしたり、しなくても良い。