Shateiel~沈黙の天使~(タイトル仮。フラッシュバック注意)

虐待、暴力、性暴力。自分の感情を知りたい。過去を見つめて、ほんものの過去にしたい、、基本は吐き出し口で…

自分の感覚、感情などの見直しします。

2009年04月19日 19時31分19秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
2009.4.19
自分のブログのタイトルのみ読み返し、

こんなこと書いてたのか…、、?と思う書き込み、

内容をよく覚えてる書き込み、あまり覚えてない書き込み、

ネガティブ感覚のあらわれる書き込み、

ポジティブ感覚のあらわれる書き込み、

よく自分の感覚のぶれや揺れや動きを確認しつつ、

感覚と同化しないで、感覚や思考を、脇に置いて流れるにまかせる。

もう十分だと思える書き込みは、削除してみる。

しんどくなる書き込みは、特に中身や付属する感情も見直してみる。

・いろんなものの寄り集まってる一人の人間が自分だから、
いろんな書き込みがあって、当然だとは思うけれど、
それでも、その文の違いや感じ方の差に驚く。

・性虐待絵は、やりやすい吐き出しだったと思う。
なんで蜘蛛がすごく苦手なのか、蜂の黄と黒のインパクトが苦手なのか、
うっすらわかってきた。うまく言えないけど…、、性虐待に関わりがあった。

・あと、私は自分の知性に劣等感があって、
女は考えなし、からだだけ、脳無し、と思ってしまってる。よく言えば、直観がさえてる、とか、感覚的、美的、とか…
でもこの社会では、冷静に、落ち着いて、頭で行動しないと、イカレテルと思われ、自分もそう思うし、
イカレていれば、性虐待に遭う、と思っている。用心して頭で考えねば、と。

これぐらい。
読み返してみて、まだいろんなこと、穏やかに要らないものとして、消せないなと思った。
まだ残しておきます。いくつか、楽になったものは消しました。
結局、タイトルのみ見て、その内容を思い出し、しんどくなったものは、殆ど全然内容を読み進めて見直す気になれませんでした。
まだまだだと思う。

--------
2009.4.27
私は、知的に劣っている、と感じています。
私が男性であれば、私が賢ければ、
あの性虐待の時、どうにかできたのではと感じています。

私は感情に走ってしまいました。
性虐待を脅威に思い、それは自然だったのかもしれませんが、
はてしなく恐怖して、なにがなんだかわからなくなりました。

冷静に、落ち着いて、男性的で、強くあれれば、
もっと何かできたのではないか…いつもそう思います。

女性的なものは弱さだと考えてしまいます。

でもどうせ性虐待を受けるのであれば、私は自分が、
少年でなく少女でよかったと思いますが…

少年は強いもの、
少女は弱いものと、押しつけのあるような社会だから、
性虐待を受けた少年=弱い少年=女の子だ、とも思いこみかねない、これはかなり切迫したことだと思いました。

・自分が「肉体的(物質的)に」女性であることを、忘れてはならない。
(寒かったら服を着たり、怪我したら手当をするのと同じように。)

・「どうせ性虐待を受けたのなら、女の子の体でよかった、男の子だったらきっともっとつらかった、
私は女性の体にほっとしている」とか、
そういう風に、消極的に、自分の性別について思い込まなくても良い。

・それから、ネガティブな自分の書き込み、状態、フィーリング、思考、感情、感覚、その他に、無理に意識を集中し、膨らませたり、思い悩んだり、120%考えて問題解決しようとしたり、しなくても良い。

読み返しが辛い投稿から、自分が何を抑圧/回避しているか見分ける。

2008年12月28日 19時56分37秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
読み返すのがしんどい自分の投稿から、自分が何について大変だと思っているか、どういうことを見たくないと抑圧/回避しているか、見分ける。

・性虐待とは別の世界に生きてた人にことこまかに性虐待を語るだけで露出狂の性虐待だ。

・死が欲しい。すごく死が欲しい。

・「私は貴方を愛しているわ。心配しなくていいのよ」という声が聞こえる

・何書いてあるのか読むのが怖くてメールが開けない

うああ。。
読み返すのはかなりきつい、きついものばかりある
そのなかでかなりきついのを取り出してここに記録しとく。たくさんあるなあ…
でもまだ半分も読んでない。またあとで読むことにする

感情をなくした人間のほうが、悲しくないか…

2008年12月16日 09時09分07秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
私の傷は一瞬で至福に変容される。
私はそれをみたことがある。

でもそれを言い訳にしてはならない。
「汚された分だけ強くなるからいい、弱さと強さを学ばせてあげよう、
成長させてあげようそのためにはとことん堕落させるのが必需だ…」

性虐待されたほうは、確かに強くなる可能性がはなはだしくなる。
でも性虐待したほうは、鏡としてはね返ってきて死ぬ可能性まである。

どちらかといえば私のことより、私を性虐待した者のほうが心配なんだ。
感情をなくした人間のほうが、悲しくないか…

私は生きているけど、虐待者は死んでいるんだ。
でも私もすぐに生きながら死ぬ危険性があるし、
生きかえれる可能性も十割ある。

タイトル無 おおまかには性虐待のこと

2008年12月13日 10時54分59秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
「少年への性的虐待」リチャードBガードナー
P380~
「女性治療者を選択する場合」の項目より

「児童思春期に成人男性から性的虐待を受けた男性異性愛者を、私も何人か診てきた。親戚からの被害もあれば、赤の他人からのものもある。彼らは特に、性的虐待を受けてきた成人の治療経験をすでに持つ、女性治療者を望んでいた。それまで診てもらっていた男性治療者には、性的虐待の既往を打ち明けていなかったこともよくあった。彼らは自分が虐待を受けたことはわかっていたが、そのことを男性治療者に語ることには抵抗を感じていた。これは一部には、虐待のために自分の性的指向やジェンダーに疑念を持つことから来るようだ。前の治療者が男の子も性的に虐待されることなど本当にあるのか疑問視しているのを感じ取って、何も伝えなかったという場合もある。自分の性的指向やジェンダー・アイデンティティの混乱、ジェンダー役割への不安などに関する問いを口に出すことへの抵抗は、女性治療者との間ではずいぶんやわらぐようだ。同様に、子どもの頃性的虐待を受けた男性の多くは、女性の方が自分のことをよく理解してくれると感じる。虐待され、怯え、性的な被害者になるということがどういうことなのか、女性ならわかっているからというのだ。女性治療者はこの場合、男性患者が女性を希望することに喜んで、その「影」の面を見落としてしまうことがある。~略~女性治療者は、その男性の人生の中で女性がどんな役割を果たしてきたのか、性的虐待を受けた時はどうだったのか、その後の恋人や妻や他の女性との関係はどんな力動で動いてきたのかを探らなければならない。」

このように書かれている。

>児童思春期に成人男性から性的虐待を受けた男性異性愛者

これを、「児童思春期に成人女性から性的虐待を受けた女性異性愛者」と変更してみる。

そして私自身のこと(ブログ管理人H.K)として、文章を変更してみる。
(私は男女双方に性虐待を受けたがいっそう深刻なのは女性にされたものだった。私は女性)

「児童思春期に成人女性から性的虐待を受けた女性異性愛者を、私も何人か診てきた。親戚からの被害もあれば、赤の他人からのものもある。H.Kは特に、性的虐待を受けてきた成人の治療経験をすでに持つ、男性(的な)治療者を望んでいた。それまで診てもらっていた治療者(男女両方)には、性的虐待の既往を打ち明けていなかった。H.Kは自分が虐待を受けたことはわかっていたが、そのことを女性治療者に語ることには抵抗を感じていた。これは一部には、虐待のために自分の性的指向やジェンダーに疑念を持つことから来るようだ。前の治療者が≪女も性的に虐待する≫ことなど本当にあるのか疑問視しているのを感じ取って、何も伝えなかったという場合もある。自分の性的指向やジェンダー・アイデンティティの混乱、ジェンダー役割への不安などに関する問いを口に出すことへの抵抗は、男性的な(明晰さを持つ)治療者との間ではずいぶんやわらぐようだ。
同様に、子どもの頃性的虐待を受けた女性の一人であるH.Kは、女性の方が≪感情的だ≫と感じる。虐待され、怯え、性的な被害者になるということを、≪女性はあまりにも感情的にとらえすぎるだけで、話すことには筋が通っておらず、適切な情報や意見を与えてくれたり、落ち着きを持って対応してはくれない≫というのだ。」

このようになる。

男性が男性に性虐待を受けると、特に自分の女性的な面(被害者性。抗ってもどうにもならない感じ)を知ってしまうように
女性が(男女問わず)性虐待を受けると、特に自分の男性的な面(身体が反応するという点。加害者性)を知ってしまうように思われる。
女性の文化的・社会的ジェンダー役割と、女性が性被害に遭うことに矛盾がないから、どうみつくろっても男性が性被害に遭うほうがきついな…

女の自分「男性を崇拝視し女の自分に劣等感」男の自分「女性の胸のなかで泣きたくなる」

2008年12月12日 10時18分34秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
私は自分を含めて、女というものを軽蔑しているし
取るに足りない、話を聞くに及ばないものと軽視している
逆に男性というものを、異種族憎悪しつつ
自己自身の内面の異性性部分を憎悪し敵意を持ちつつ
男性を崇拝視し
女の自分に劣等感を持ち
なにがなんだかわからなくなる。

もし私が男だったらどう思うだろうか考えてみる。
まず上記の文をまるきり反対にする。

「私は自分を含めて、男というものを軽蔑しているし
取るに足りない、話を聞くに及ばないものと軽視している
逆に女性というものを、異種族憎悪しつつ
自己自身の内面の異性性部分を憎悪し敵意を持ちつつ
女性を崇拝視し
男の自分に劣等感を持ち
なにがなんだかわからなくなる。」

そして違和感のある部分を見定め調整する。

「私は自分を含めて、男というものを軽蔑しているし
意固地で幼稚だ、でくのぼうのバカだ、と絶望している(絶望というのは陶酔的かな…≪でくのぼうのバカだから、もうどうでもいい、と思ってる≫これがよりいいかな)
逆に女性というものを、過度に崇拝しているかもしれない
私は自己自身の内面の加害者性部分を憎悪している
私は女性に抱きしめられ、女性の胸のなかで泣きたくなる」

こんな感じかな…自分が男性であるとすれば。

こういうのって、「俺」「僕」に変えただけでもずいぶん感じ変わるけど…

「俺は自分を含めて、男というものを軽蔑しているし
意固地で幼稚だ、でくのぼうのバカだ、と絶望している(絶望というのは陶酔的かな…≪でくのぼうのバカだから、もうどうでもいい、と思ってる≫これがよりいいかな)
逆に女性というものを、過度に崇拝しているかもしれない
俺は自己自身の内面の加害者性部分を憎悪している
俺は女性に抱きしめられ、女性の胸のなかで泣きたくなる」

やっぱ隣の芝生は青く見えるのかな…?でも同じ芝生なんだよな。

対と補完と類似の意味をこの2つは持ち合わせている。

2008年12月06日 20時20分39秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
もし一冊だけ、≪男性≫に性虐待関連の本をすすめるとしたら
『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』だ。
これは最高にいい。
リチャード・B・ガードナー著。

女性に一冊すすめるのであれば
エレン・バス/ローラ・デイビス『生きる勇気と癒す力』だな。

もし上記のどちらかが気に入ったのであれば、
もう一方も気に入る可能性がおおいにあると思う。
この2冊は、対と補完と類似の意味を持ち合わせている。

最高だよ。

私は典型的なSAサバイバーだからさ…何かあったらここに答えが(暗喩的な意味でも)書かれているというのが最高に嬉しいんだね。

いい本を見つけると、あーアフィリエイトやりたいなとか思うんだけど、自分にはそういうのは向かないし、点数を付けられるようで嫌だから、やめておく。

だからもしここを読んでくれた人で読みたい本だなと思ったものがあれば、はっきり言わせてもらう「ぜひ図書館で借りてください。」3回借りるか、3度延長した場合、購入を考えればいいと思います。私は最初は図書館で性虐待関連の本を借りるのも嫌だったけれど、いやぁ慣れるものですね。

今回はほんとうに、この文章を誰か私に似たような人間が読むことを意識して書いてるんですね。しみじみそう思います。訪問者ランキングみます?

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2008.12.05(金) 253 PV 63
2008.12.04(木) 106 PV 34
2008.12.03(水) 147 PV 47
2008.12.02(火) 121 PV 41
2008.12.01(月) 113 PV 47
2008.11.30(日) 78 PV 28
2008.11.29(土) 53 PV 30
2008.11.28(金) 259 PV 64
2008.11.27(木) 35 PV 25
2008.11.26(水) 246 PV 54

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2008.11.23 ~ 2008.11.29 660 PV 217
2008.11.16 ~ 2008.11.22 108 PV 69
2008.11.09 ~ 2008.11.15 57 PV 48
-------------------------------------------------
こんな具合です。誰か常連さんが、それも自分によく似た同類の方やまったく真逆の方が来てくれて、暇潰し以上の感覚でもって読んでくれてると信じたくなるようなんですね。私は。はっきり言って暇潰しで読まれるのは嫌ですね、私は暇潰しで書いているのではない。もし暇潰しで読んでいるという方がいるなら、この世界で暇を潰す方法なんてごまんとあるのに私のブログを読む理由を問い直していただきたい…

…って強気で言えるような人間ではないんですけどね。きっとこのブログを自慰のおかず目的で読んでいる方もいらっしゃるんではないでしょうかね…私がそうなんですよねぇ。いやー、そういう気でなくて自分をなんとかしようとして努力して頭を痛くしながら読んでる場合でも、≪そういう気分≫になってしまうときってありますね。それはもう本にもしっかりと書いてございます。私も含めて皆様どうぞご安心を。一番自己自身が安心できればそれに越したことないんですがね…長くなりました。なんか生きる気なくしてましてね
少女革命ウテナをユーチューブで見まくってます。

もういいやもう投稿してしまえ

恐怖のわけを文章にする。

2008年12月01日 13時22分48秒 | ≪分析/解釈/再解釈≫
ローラデイビス エレンバス『生きる勇気と癒す力』
186ページ 項目『恐怖を認める』
引用
自分の恐怖を名づけることは、自己変革の役に立ちます。物事を名づけると、その支配力が弱まるからです。
~略~
ある女性は、彼女が癒されたとき直面しなければならない事を、書き出してみました。
~略~
このリストを眺め、彼女は自分が怖がっていた理由がわかりました。
引用終了
---
自分も癒しが進んだあと(過去のSA、性虐待の影響を全面的に認めたあと)に直面しなければならない恐怖を書き出すことにする。

1.親の100%の愛情を受けることを諦めなければならないこと。
2.自分の一切を自分で責任を持たなくてはならないこと。
3.被害者・犠牲者・精神病者であるという自己認識の喪失。
4.子ども時代を生きられなかったことをはっきり知らなければならない。
5.自己自身の本物の感情、認識、知性で生きなければならない。
6.全てにありのままの価値があることを認めなければならない。(これは今までの自分の間違いを知ることで、恐ろしい。
7.自分の身を守るために、嘘を付き続けるわけにはいかなくなること。
8.被害者として慎重に扱われるのではなく、健全な人間同士として対話し、成長しなければならないこと。
9.【8】の過程で、他者との自己との健全な違いや区別を理解していかなければならず、それに伴って健全に意見や感情をいい意味で戦わせなければならない場面もあること、相手もしくは自分が間違ったらそれをうやむやにせず健全に認めなければならないこと、しごく健全ではっきりした理由(ひとつには個々の使命・個性が違うという理由)により、ある仲間といつか別の道を進まねばならなくなるかもしれないこと。