うそつき村があったとさ。

村できたえられながら、発見と遊びの日々。

洗濯の話。

2024年09月12日 | 大体メモ帳

 

 

 

うつくしい夕暮れとなった。廊下の西の出っ張り窓から西の帆柱山、皿倉山方面。18時53分。

 

8月の終わりは18時半ごろ日が沈んでいた。いまは18時15分ごろ、ちょうど夕食の時間に重なって日が沈むところを見ることができない。

 

看護大学の臨地実習にみえていたYさんはきのう、実習を終えられた。おとといとさきおととい、2日も続けてYさんと先生と3人で外歩きができたこと、忘れがたい。

 

きょうは(も)ちょっと失敗。だいたい3、4日ごと洗濯をしている。14時の入浴後、コインランドリーをのぞくと2機とも作動中。洗い初めてから乾燥が終わるまで2時間かかり、残り時間の短かった右側の洗濯機に合わせて30分後に行くと、洗濯は終わっているのにできた洗濯ものをまだ取りにみえていなかった。

 

またしばらくしていくと、なまけものよりすこし早くみえた女性が洗濯を始められるところだった。

 

左側の洗濯機の残り時間に合わせて、約1時間後に行く。今度は使わせてもらえる。洗剤の袋の口の閉めかたがわるくて粉がちょっと外袋にこぼれていた。それをちょっとといつもとちがうところに置いた。洗濯ものを入れてテレビカードで270円支払い、洗剤を忘れて洗濯開始。洗濯機は一度動き出すととまらない。

 

18時35分、洗濯終了。洗剤なしの洗濯、よく洗えていた。

 

 


装具、新旧

2024年09月09日 | 大体メモ帳

 

 

 

10時からリハビリ。リハビリを終えて病室に戻ると、ちょうど、あたらしい右足首の装具が届いた。3本のテープの先を右から回して左側の3カ所のマジックテープにくっつけるタイプ。高さも高くなり、これまで足首のすぐ上までだったのが5~6センチ高くなった。

 

装具会社のNさんの説明も終わるころ、看護大学のYさんが大学の先生とみえた。11時半、Yさんの臨地実習の一環として、おふたりはなまけものを病院の敷地内での散歩に連れだしてくださった。

 

入院して43日目、初めて建物の外に出た。日中最高気温34度ぐらい。先生は日傘をさしておられた。リハビリ室から見える小さな神社をすぐそこに見ながら、そちらへは行かず、病院の敷地内をだいたい一周。歩行器で歩きやすいよう、Yさんが地面のでこぼこなどに気をつけてくださった。

 

あたらしい装具も歩きやすかった。久しぶり外気に触れたこともありがたかった。

 

画像2、3枚目はこれまでお世話になった借りものの装具と着圧ソックス。

 

8月1日(木)に手術を受け、即リハビリが始まったのだったと記憶する。だから、週明けの5日から白い窮屈な着圧ソックスを両足にはき、右足に装具を着けたのだったろう。

 

装具は20年前の製作、男性用に作られたといい、かなり幅が広かったが、マヒしてだらんとした右足首をL字型に固定してくれた。

 

血栓予防の着圧ソックスは入院中は両足とも着用し、自宅にもどれば着けなくてよいとリハビリのN先生が説明された。

 

 

 

 

 

 

 


ヤツデ

2024年09月08日 | 大体メモ帳

 

 

 

日曜日。6時、起床。しばらくして看護師が巡回にみえた。よく眠れましたか、とたずねられた。睡眠時間は1日にたぶん6時間ぐらい。

 

8時、朝食。

 

9時、看護師がみえて室内テーブル、ベッド柵など拭いてくださる。血圧100ー60、体温36・2度。

 

10時、冷房のない渡り廊下を通り、売店へ。行きがけ、ヘクソカズラの花に小さな虫がきていた。すりガラス越しなので姿がよくわからない。虫がガラスに近づくと、虫とわかるのだった。

 

売店にて新聞とバナナ1本購入。

 

帰り道、渡り廊下と向こうの建物のあいだに伸びているヤツデと目が合った。40センチくらいの高さだろうか。この春よりあとに出たらしい2枚の葉のうち、1枚が枯れていた。

 

11時ごろ、バナナをおやつに。12時、昼食。15時、入浴。16時からすこし歩行器ウォーキング。17時、夕食。

 

新聞の書き写し、きょうはあわせて2時間ほど。

 

 


五日月

2024年09月07日 | 団地と周辺

 

 

 

土、日曜日はリハビリがない。

 

朝食のあと、9時過ぎ、冷房のない渡り廊下を通って売店へ新聞とスティック糊を買いに行く。レジの横にあったどら焼きもひとついただいた。甘いものを買うのは入院以来初めてだった。昼食のあと、お茶のおともにした。

 

このしばらく、守恒のYさんが用意してくれていたレポート用紙に新聞記事を少しずつ書き写している。きょうも書き写し少々。

 

15時に入浴を申し込んでいた。入浴時間は30分。時間前に行ってみると誰も使っていず、20分早くに入ってゆっくり髪を洗った。

 

19時過ぎ、何となく廊下の端の出っ張り窓からのぞくと暗くなった空に細いお月さま。国立天文台のページに五日月とあり。

 

 


渡り廊下

2024年09月06日 | 大体メモ帳

 

 

 

6時、廊下点灯。起きてトイレへ行き、廊下の西の端の出っ張り窓からのぞくと、下の地面やアスファルトが濡れていて、水たまり2つ。空は薄雲。

 

金曜日は体重測定日。スタッフステーションの前の体重計で54・7キロ。

 

9時半、臨地実習の学生Yさんが測定。体温36・1度。血圧104―61。

 

9時50分、看護師巡回。服薬確認。体温35・8度。血圧89―51。

 

11時、業者さんが右足首の固定装具採寸にみえた。白い紙に足を置いて輪郭を写し、あと3カ所ほど採寸。来週月曜納品、代金3万5千円とのこと。11時10分~12時、お休みのN先生に代わって別の先生によるリハビリ。きょうの主な予定ふたつが終わった。

 

午後、学生Yさんが見えて、話したり、歩いたり。1階に下りて売店への少し暑い渡り廊下にも足を伸ばした。

 

17時半から入浴。その前にと守恒のYさんへ洗濯洗剤購入のお願いの電話。電話が長くなり、17時41分終了。あと19分では入れまいととりやめた。

 

 


きょうのメモ

2024年09月04日 | 大体メモ帳

 

 

 

きょうもきのうとそう変わりない。ようでまた違っている。

 

リハビリは、病室からリハビリ室までの往復を杖で歩いた。基本的訓練のあと、杖でリハビリ室3周、杖なしで2周。階段の上がり下り。

 

病室からリハビリ室までの距離は、リハビリ室1周の3倍あるとN先生が言われるので、きょうはリハビリ室9周分を杖で歩いたことになる。そう疲れはなかった。

 

午後、ベッドのシーツと布団カバーと枕カバーの取り替えがあった。廊下で待っていて、取り替えが終わって戻ると、業者のお二人、直前になまけものがしていた通りに布団を八つ折りにして、向きもまったく同じに置いてくださっていた。(なまけものは日中、テーブルに向かうとき、八つ折り布団を座布団のように使っている。)

 

夕方、ドクターがみえた。マヒが長くなりそうなので、あさって、右足首を固定する装具の採寸をしましょう、と話された。

 

 


残照

2024年09月03日 | 大体メモ帳

 

 

 

6時過ぎ、廊下の西の端の出っ張り窓から、朝焼け雲すこし。空、灰色。北側の小さなグラウンドの向こう、大きな白い犬2匹と歩く人。犬と人、大きさが同じぐらい見えた。

 

看護大学の学生Yさんがきのうから臨地実習にみえている。9時前、Yさんがやってみえてなまけもののベッド周り、テーブルなど拭いてくださった。10時前にみえて、病状や病院生活などについて質問があり、10時からのリハビリにも一緒した。

 

リハビリは基本的訓練、電流を流しての足の運動神経の検査、杖をついてリハビリ室3周、杖なしで2周。リハビリ室への行きは歩行器で、帰りは杖歩行で。

 

きょうから病室内では歩行器を使わずに杖歩行をすることになり、先生からリハビリ室の杖の貸し出しを受けた。

 

昼食後、看護大学のYさんがみえて体温や血圧を測られた。病院で使う血圧計はデジタルで画面に数字があらわれるけれど、大学の血圧計はアナログ式、ストップウォッチに似ていた。

 

朝からの雲の多い空、15時ごろから晴れた。画像は19時、出っ張り窓からながめた残照の北西の空。

 

 


ヘクソカズラ

2024年09月02日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

朝食、血圧と体温測定、リハビリ、昼食のあと、1階へと下りて売店へ。

 

きのう、渡り廊下のすりガラスに影が写っていたつる性の植物をもう一度見たかった。

 

きょう、花が咲いていた。ヘクソカズラだった。団地をはずれて志井川の黒橋近くの菜園のフェンスにヘクソカズラがつるを伸ばして花を咲かせ、寒くなるころ、金色の実をたくさんならせていたのを思った。

 

売店で新聞購入。帰りにもヘクソカズラをしばらく眺めた。

 

14時前、広島のKさんから新しく買い直した草刈り機の画像とコメントが届いた。Kさんの住むあたりは今回の台風、風ほとんど吹かず、小雨だったとのこと。

 

Kさんへ電話した。しばらく話したあと、入院体験のあるKさんからアドバイスがあった。具合がよくなったと思っても、実際に家へ戻るとそう働けないものなので、病院で十分すぎるほど養生するようにとのこと。

 

そうでありましょう。

 

夕食の終わった18時半過ぎにもヘクソカズラを見に行く。

 

 


長月

2024年09月01日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

9月になった。起きがけの夢。9月は何ていうんだったっけ。

 

6時。起き出して紙に書いてみた。睦月、如月、弥生、卯月、さつき(漢字がわからなかった)、◯◯、文月、◯◯、長月、神無月、霜月、師走。

 

9月は長月。8時の朝食のころ、水無月と葉月を思い出した。さつきの文字の書きかたをウェブ検索した。皐月だった。

 

朝食を終えて、ペットボトルの水を汲みに食堂へ。廊下をよく歩いておられる女性が、明日の朝食後に退院することになったと話された。おめでとうございます、と言うと、ありがとうございます、と女性が言われた。30日に入院されたとのこと。ふたり、同じ入院日だった。

 

9時半、またエレベーターで下りて、別棟の売店へ。ゲルインクボールペンと新聞購入。渡り廊下のすりガラスに草の影。床に木洩れ日。

 

午後、廊下ウォーキングに出た。朝話した女性が、北方の陸上自衛隊小倉南駐屯地で夜に花火が上がると教えてくださる。

 

ウェブ検索すると、31日の「まつりみなみ2024」が台風で伸びて、今夜行われるということ。

 

20時半ごろ、ポン、ポン、ポン。花火の音が聞こえた。廊下の端の出っ張り窓からのぞくとさえぎるものなく、花火の上がっているのが見えた。同室のMさんに声がけ、並んで花火見物。

 

 


二百十日

2024年08月31日 | 大体メモ帳

 

 

 

ゆっくり台風10号はきのう夕方に去った。廊下側のベッドにいて外を見ることはできず、何度か廊下の端の出っ張り窓まで歩いては眺めたのだが、はげしい吹き降りだった。

 

6時半に起き出して、出っ張り窓へ。青空が広がっていた。山際を灰色の雲が西向きの窓の右から左へながれ、その上の白い雲に朝日があたっていた。

 

リハビリは土、日曜休み。先生から、できるだけ歩くように言われていた。

 

土曜のきょう10時、スタッフステーションへ伝え、1階の売店へ歩行器で歩いて新聞2紙、マスク、スムージーを購入。初の遠出だった。

 

新聞はじつに1カ月ぶり。台風の記事などを読んだ。

 

画像は13時に出っ張り窓から。青空に白い雲、ぷかりぷかり。

 

台風一過、また暑くなりました、と15時に守恒のYさんからショートメール。

 

新聞2紙の天気予報に北九州は最高気温34度とあったのを思い出した。きょう、二百十日とあったのも思い出した。二百十日の意味、分かってない。

 

15時半~16時、入浴。そのあと、Yさんと電話で話す。

 

18時29分、八幡の帆柱山よりずっとこちらの小倉側の山の向こうに日が沈んだ。

 

 


台風10号がきた。

2024年08月29日 | 団地と周辺

 

 

 

8時、朝食。9時前、廊下の端の出っ張り窓からのぞくと、東からの風が強く吹いていた。9時半、レントゲン。次第に雨風が強くなった。

 

10~11時、リハビリ。いつもの基本的訓練のあと、10分間、右足に2カ所ずつ電流を流す。杖でリハビリ室3周、杖なしでリハビリ室2周、階段の上がり下り。

 

昼前、事務室から文書「ローソン営業日のお知らせ」が届く。病院内にあるローソンはきょうは17時まで営業、あした30日は営業停止とのこと。

 

リハビリの先生などから、市内の小、中、高校が今日と明日は休校となっていることや、モノレールがきょう午後休業と聞いた。

 

12時、昼食。このころから病室の北側窓からザ-ッという雨と風の音が聞こえるようになった。

 

あと、夜までずっと風と雨、はげしく吹き降り。

 

きょうはスマホの北九州地方の天気予報を何度も何度も開いたいちにちだった。

 

 


嵐の前

2024年08月28日 | 大体メモ帳

 

 

 

8時、朝食。9時52分、検温35・8度、血圧86―50。10時半、入浴。

 

12時、守恒のYさんから差し入れ。昨日の「元気アップ」講座で教わって今朝作ったという「豚肉の和風マリネ」と「オクラとコーンのマヨサラ」。ヨーグルトとチョコチップパン。

 

12時、昼食。

 

14~15時、リハビリ。基本訓練のあと、先生がはじめて器具を使い右足のあちらこちらに電流を流して反応を見比べること10分間。それからベンチに移った。手を使わないでそのまますっと立ち上がるように、と先生が言われた。何度か繰り返す。杖をついてリハビリ室3周。杖なし歩行でリハビリ室2周。階段の上がり下り。課題となっている美しい姿勢で歩くのはむずかしい。

 

17時、コインランドリーでの洗濯開始。

 

18時、夕食。夕食後、血圧105―70。

 

18時過ぎて北方面の空が晴れていた。しばらくして、みごとな夕焼け(画像)。

 

19時、洗濯完了。チョコチップパン、食す。

 

 


シリアルバー

2024年08月27日 | 大体メモ帳

 

 

 

6階から5階の病室に移動して、3日目。入院して29日目となった。

 

午後からのリハビリでは杖をついてリハビリ室3周、杖なしで3周、階段の上がり下りの練習。

 

15時半過ぎて、スタッフステーションから面会の知らせ。川のジャコウアゲハの並木で知り合ったNさんだった。数日前、電話があったとき、どうしようかと思ったが、入院したことを知らせた。

 

Nさんはきょうは仕事が休みという。午前中、桜橋上流の駐車場に車を置いて、草刈りの行われた川の左岸を亀年橋までのぼり、それから右岸に移って秋月街道をくだって桜橋を渡り、駐車場に戻ったそうだ。途中、亀年橋までに1枚ある田んぼの稲が緑色ながら穂を垂らしていたと話した。亀年橋そばの大きなエノキの実が紫色になっていたとも。

 

ちょうどなくなりかけていたティッシュペーパーや短歌の本やシリアルバー、着替えの足しにと亡きお兄さんのポロシャツなどをお見舞にいただいた。

 

シリアルバーは2種類、ポーランド製。赤いパッケージのクランベリーとオレンジ味のものを午後のおやつにした。

 

いちにち、晴れた。ゆっくり台風10号はまだゆっくり。福岡は明後日ごろから大雨のち強風、とスマホの天気予報。

 

 


そんなレトロな。

2024年08月26日 | 大体メモ帳

 

 

 

8時、朝食。10~11時、リハビリ。12時、昼食。14時、入浴。

 

14時半、30年前の同僚Yさんが面会にみえた。Yさんはわが家の郵便受けを時々のぞいてくれていて、きょうも郵便物3件持参。うち1通は後期高齢者医療保険料に関するもの。75歳になって1週間で入院したため、2期分の支払い日が9月2日と迫っていた。Yさんに2期と3期分と振り込みをお願いした。

 

Yさんには、ふたりともよく理由がわからないまま銀行での振り込みに二度手間をかけてしまった。

 

18時、夕食。白ご飯のおむすび2個150gが食べられず、かなり前に朝食と昼食はパンに変更していただいた。夕食のご飯も半分がやっと。

 

役所関係と病院関係の書類が増え、ごっちゃになっている。きょうは夕食のご飯を糊として使い、紙の手提げ袋で書類用封筒を作るつもりだった。糊にするご飯を別によけておく前に看護師が食器を下げにみえた。あわてて指でご飯をつまんだ。何にするのか問われ、「糊がわりに」と答えると、「そんなレトロな」と看護師。若い方だった。あとでスティック糊を持ってきて貸してくださった。

 

それからハサミもカッターもなしで手提げ用紙袋を改造し、大中2枚の書類入れ完成。

 

台風10号は動きがゆっくりで、九州では28~29日に大雨、30日ごろ大風かもしれないとの予報。きょうは一日、青空の天気だった。

 

 


バイバイ

2024年08月25日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

5時27分、カーテンを開けた。空は曇り。稲光りだろうか、目立たずにぴかり光った。ドドンとかすかに音が聞こえた気がした。3~4回繰り返した。マンションと市立大のあいだに見える福智山山頂はかすんで見えず。

5時37分、ベッドのへりに座り、目をあげたら丸く赤いかたまりが光った。平尾台方面。

5時40分、ベッドのへりから立とうとして縦型の稲光り、おなじく平尾台方面。ふと見ると43分、また縦型の稲光り。平尾台、福智山、いよいよかすんだ。

6時、病室のなか、夜が明けて明るくなった。6時50分、トイレ。それからすこしのあいだ横になっていた。

7時47分、稲光り、ドドーン、ドドーン。窓にいっぱいの雨粒。下の駐車場、2階棟の屋上、水浸し。稲光りとドドーンがつづいた。

7時53分。大雨ですよ、と検温にみえた看護師が言われた。台風直撃ではなくなったけれど、その影響だろうとのこと。

8時58分、さっきまで降っていた雨がやんでいた。しばらくすると病室の窓のうえ、うすい白雲と青空。

 

14時、6階から5階のリハビリ棟へ移動。今度のベッドは廊下側にあり窓から見ることができない。風呂場やコインランドリーのに配置がだいぶ違っている。

 

画像3枚目は腰の骨入れ替えの手術の折りに右腰の上部を切開したきずあとに貼ってあったテープ。切開は12cmぐらい。テープがどのように貼ってあったか自分で見ることはできなかった。最後のテープが昨夜はがれた。