うそつき村があったとさ。

村できたえられながら、発見と遊びの日々。

30年ぶり

2024年10月10日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2カ月ぶり黒米の入った玄米ご飯を炊き、鶏もも肉やえのきや椎茸や玉ねぎやを炒めものにして朝食。

 

10時半、団地のはずれで30年前の同僚Yさんの車を待った。

 

なまけものが入院したことを30年前に同じ職場だったKさんに話すことがあったらしく、きょうはKさんもいっしょに3人で食事をすることになっていた。

 

Yさんがみえて車に乗り、この前まで入院していた病院近くの店、ワールドビュッフェへ。行橋からきたKさんと合流。Kさんは感じがすこしも変わっていなかった。

 

ちょうど開店の11時に入店。30番の席。セットのようなもので食事をすると思っていたら、バイキング形式。それはたくさんの料理が並んでいた。広々した店内が次第に混んできた。14時過ぎまでおしゃべり。

 

19歳だったYさんがこの冬50歳、39歳だったKさんがこの冬70歳になる。45歳だったなまけものはこのあいだ後期高齢者となった。

 

 


踊り子

2024年10月08日 | 大体メモ帳

 

 

 

すこし遅れて火曜クラブへ。Kさん、Mさん、Mさんの3人がバレリーナを作られていた。ペーパーナプキン1枚を折ったり曲げたり切ったりして、手足を伸ばして踊る身長6~7センチのバレリーナが出来上がる。

 

なまけもの、見るだけ参加。出来上がった人形を赤い敷物に移して撮影させてもらった。

 

2カ月ぶりの火曜クラブだった。

 

それから志井川沿いの店へお茶に行った。たっぷり餡のトーストとアメリカンコーヒーで昼食。新聞の書き写しを2時間やって店を出た。

 

曇り空から薄日がさしていた。橋のうえからピカリピカリ光りながら小さな魚が流れを泳ぐのが見えた。向こうの空からパタパタ音を立ててヘリコプターが飛んできた。

 

1時間以上かけて生協のキープショップへ歩き、明日提出分のカタログ類をいただいてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風呂回復

2024年10月07日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

朝から小雨。朝食に玄米ご飯を炊き、小アジの干物を焼きして朝食。

 

それから風呂の掃除をすこしやり、団地の相談所に電話した。しばらくして西部ガスの担当の方から電話があった。点火ボタンを回しても、乾電池のふたにランプがつくだけでガスの方の着火ランプがつかないと話した。

 

乾電池が切れているようですね、と担当者が言われる。アルカリ乾電池を買うように、とも。あたらしいケース。これまでは乾電池のふたにランプが着いている状態でなく、何にも反応がなくなってから乾電池を替えていた。

 

昼過ぎて団地のスーパーへ。アルカリ乾電池4個パックと丸ぼーろとコンニャクと購入。雨のなか帰ってきた。

 

部屋にもどり、乾電池を入れ替えると、着火ランプが赤く点った。これでまた湯をわかすことができると16時ごろだったか、入浴。あと、ナンプレをしながら丸ぼーろ。ナンプレも丸ぼーろもやめられなかった。

 

緑茶がなくなっている。あさって生協から届くので、それまでと冷蔵庫にあった抹茶をカップにいれて湯で溶かし、飲んでいる。

 

夜おそくには雨があがっていた。リーリーリーリーリー。向こうの通りからアオマツムシのすこし強い鳴き声が聞こえた。

 

 

 

 

 


メモリー

2024年10月06日 | 大体メモ帳

 

 

 

足のしびれ、そうビリビリしないで7時ごろ目が覚めた。シャケを焼き、トマトやキャベツ、インスタントのみそ汁、きのう炊いた玄米ご飯とで朝食。

 

8時前、ベランダに出ると雲のあいだに日がのぼっていた。下の草むらにヒガンバナの列。午前中、机回り1メートルほど片付け。

 

昼過ぎて広島のKさんと電話で四方山話。なまけものが年360日風呂に入るという話も出た。Kさんは年180日ぐらいで、風呂に入るとからだをきれいに洗うそうだが、なまけものはただ湯に浸るだけ。その違いが面白かった。

 

そうして夕方になった。きのうの湯を沸かしなおそうと着火ダイヤルを回すも、火が着かない。故障したようだ。17時半、外でざあざあ音がして雨が降りだした。きょうは出かけないまま。

 

Kさんと病院の話もした。画像2~4枚目は8月25日に6階から移ってきて退院まで滞在した5階の病室のマイコーナー(退院2日前の9月27日に撮影)。

 

マイコーナーは四方のうち二方がカーテン、二方が壁面だった。そのなかにベッド、長テーブル、長テーブルの下に長い物入れがあり、右奥に縦長の小物ダンス。

 

日中はベッドの布団を六つ下りにして座布団代わりに座り、長テーブルを引き寄せて食事をとり、新聞を読みした。ベッドカバーと枕カバーは水曜日に取り替え、床掃除は毎日だった。ベッド枠に下げたコールボタン(画像4枚目◯印)は6階の手術棟ではかなりの回数、お世話になったが、5階のリハビリ棟では一度も使うことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


若女

2024年10月02日 | 大体メモ帳

 

 

 

昨夜、早く寝た。3時ごろ目が覚めた。3時26分、朝刊が届いた。朝刊を読み、ナンプレをやりしているうち、外で雨の音。4時50分だった。5時半ごろ、ベランダから手を伸ばすとかすかにわかるほどの雨となっていた。また、布団に入った。

 

8時前、起床。雨は降っていた。いちにち部屋で過ごした。新聞の書き写しとナンプレをやっていた。

 

きのうもきょうも夕刊は来なかった。30日に、10月はじめから新聞の配達再開をお願いしたとき、夕刊は9月いっぱいで配達が終わったと知ったのだった。ウェブ検索すると、朝日新聞は静岡県、山口県、福岡県で10月1日から夕刊を休止したとのこと。

 

月末に新聞代金の集金にみえていたHさんも足を痛めて8月末で仕事をやめられたそうである。

 

きょう、Nさんと電話で話した時、亀年橋上流に1本残っていたオウチ(センダン)が最近伐られてしまったと聞いた。

 

わずか2カ月のあいだに変わってしまったことがいくつかありそうだ。

 

29日に帰ってきて部屋のカーテンを開けると、若女の面が外からの光を受けてかがやき、お帰りなさいとなまけものに言ってくれたようだった。面は母によく似ている。画像は今年7月21日、亡き母の誕生日に写したもの。

 

偶然ながら父が亡くなってきょうでちょうど13年となった。

 

 


退院前日

2024年09月28日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

 

 

9月28日となった。あしたは退院する。

 

朝食のあと、渡り廊下を通って売店へ。新聞2紙、バナナスムージー、ボールペン、唐揚げチーズ味を購入。

 

唐揚げが食べたくなったのだった。帰りに休憩室で唐揚げとスムージーで一服。

 

病棟のある新館と、受付や外来や売店のある旧館とをつなぐ渡り廊下はまだ改装されていない。昔式の窓ガラスがみんな閉まっていた。暑くなかった。

 

午後は13時半から入浴、14時過ぎから洗濯2時間。そのあいだに看護師から退院時や退院後についての説明を受け、守恒のYさんに電話。洗濯が終わってから病室に持ち込んだ荷物類を片付け。

 

16時、廊下の東の端の出っ張り窓から足立山を眺める。17時半過ぎ、廊下の西の端の出っ張り窓から帆柱山方面を眺める。

 

 

 

 

 

 

 


最後のリハビリ

2024年09月28日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9時からリハビリ。いつもの電流を使った治療、右足をやわらかくするマッサージ、やわらかいマットに立って片足立ち、杖なしでリハビリ室3周。

 

階段へ移って3階から1階へ杖なしで下り、また3階へのぼった。下りは左手で手すりを持って左足を下ろして右足をそろえ、左足を下ろして右足をそろえを繰り返した。のぼりは右手で手すりを持って右足、左足、右足と交互に歩いた。

 

リハビリ室にもどり、足を高く上げるタイプの自転車こぎ5分。あと姿勢をまっすぐに伸ばして歩くのが課題ですね、よけいなことのようですけれど、とN先生が言われた。最後のリハビリだった。

 

昼前、売店へ。渡り廊下の窓の外のおなじみを写す。新聞2紙、グリーンスムージー購入。新聞2紙とも1面に大きく袴田巌さん再審無罪の記事。

 

13時、30年前の同僚Yさんから退院して何かできることがあれば車を出します、とありがたい電話。そのあと、退院時の手続きなどについて病院内の色々の部所からの説明。

 

いつの間にか夕方になった。

 

 


赤トンボ

2024年09月26日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

きょうもそう変わりないはじまり。

 

8時に朝食、9時からリハビリ、10時に病室に戻ると同室のKさんも歩行器で戻ってこられた。Kさんは背の高い方だった。2、3日前に同室になった同年代のKさんはこれまで車椅子で移動されていて、きのうだったか、歩行器で歩かれるようになった。

 

Kさんの立ち姿に母を思い出した。お聞きすると身長164センチとのこと。母も165センチぐらいだった。母は生きていれば97歳か。

 

昼食を終えて、売店へ散歩。新聞2紙、グリーンスムージー購入。帰りは遠いほうの渡り廊下を歩いた。

 

病棟へもどり庭沿いの廊下を歩いた。半分くらい閉じたブラインドのむこうにトンボがいた。絶命していた。透明な羽の先が黒かった。

 

また、渡り廊下に出て、ひと回りしてきた。

 

夕方、夕食の途中、廊下の西の出っ張り窓へ。帆柱山と皿倉山のあいだに日が沈んだようだった。

 

画像3枚目、きょう17時53分撮影。画像4枚目、今朝6時58分撮影。

 

 

 

 

 

 

 


3連休3日目。

2024年09月23日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

 

 

 

3連休の3日目。スマホのカレンダーを見たら、きょうは振替休日とある。きょうが秋分の日と思っていたら、きのう22日が秋分の日だった。

 

リハビリはお休み。朝食を終えて、しびれ止めの薬を飲み、9時過ぎに看護師巡回。服薬を確認されて、体温35・5度、血圧100ー62。

 

10時過ぎに売店へ。新聞とグリーンスムージーと購入。冷房のない渡り廊下がそう暑くなかった。

 

エレベーターの前の廊下で中庭を眺める。アサガオが咲き、マツバボタンが咲き、ヒマワリが長けた。窓近くにぐんぐん伸びてきたヨモギに似た草はオオアレチノギクのようだ。

 

午後、病室の清掃にみえた女性から、昨夜はじめて熱帯夜でなかったので冷房を使わなかった、とお聞きした。

 

15時、入浴。きょうも無事、病棟の風呂の浴槽に浸かって上がる。

 

 


入浴

2024年09月22日 | 大体メモ帳

 

 

 

きのう21日は土曜日。土曜、日曜、祝日はリハビリが休みのところ、担当のN先生が2カ月に一度の出勤日ということで、9時からリハビリをしてくださった。

 

先生には29日の退院予定をお伝えしてある。いつもの訓練のあと、風呂の浴槽に入れるかどうかやってみましょうか、と先生が言われた。

 

かなり高さのあるボックスを浴槽に見立てて、それを越えられるかどうかやってみると、越えることができた。浴槽に入って立つとこのしばらくやってきた立ち座りの練習どおりに下に座ることもできた。

 

きのう、きょう、病棟の浴室で浴槽に湯を張り、浸かった。これまではシャワーですませていたので、ここではじめての湯船だった。

 

なまけものはこれまで1年に360日ぐらい風呂をわかし、毎回毎回20分以上は湯船に浸かっていた。わが家の浴槽は病棟のより少し高い気がするけれど、入れるかもしれない。と、すこし期待。

 

画像はきょう17時47分、病棟の東の端の食堂から足立山、妙見山、小文字山。きのう午後から久しぶり雨が降ったことも記録しておく。夜にもかなり降ったとのこと。きょうは午後になって雲のあいだから青空がのぞいた。