うそつき村があったとさ。

村できたえられながら、発見と遊びの日々。

昔の通り道

2024年10月14日 | 団地と周辺

 

 

 

偶然、ベランダに出ると朝焼けだった。6時18分のこと。入院中に廊下の西側の出っ張り窓から何度も見た夕焼けを思い出した。

 

ナンプレをするのに5Bの鉛筆が具合がいいけれど、このところ2Bの鉛筆でやっている。午後、鉛筆などを買いに守恒へ。バスは1時間に1本。歩いてみることにした。

 

昔の通り道を歩いた。曇り空。長い道のり。花の匂いがした。キンモクセイが咲いていた。

 

アスファルトのあちらこちらに小さなピンク色の花びらのようなものが散っていた。そこへ右側から青虫がやってきた。歩道をゆっくり歩いて左のツツジの植え込みに入った。すこし行くと満開のサルスベリ。ピンクの花びらはサルスベリだった。

 

どのくらい歩いたろう。守恒のショッピングモールに到着。文具店にて5Bの鉛筆3本、書店にてナンプレ本、衣類を少々購入。

 

帰り、タクシーに乗った。運転手さんより、秋バテという言葉を教わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ニシキギまで

2024年10月13日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうもいい天気。お茶をしたあと黒橋へ向かった。黒橋そばのさびた水道管は川から伸びたアカメガシワにだいぶかくれていた。

 

あたらしい公園ですこし休み、川沿いに下った。八旗橋を過ぎ、バス道路の信号を渡り、川の左岸を下った。

 

八旗橋から2つめの橋のそばのニシキギが紅葉していた。夏にプロペラ型の緑の果実をいくつも見たけれど、きょうは果実は見えなかった。

 

数日前、Nさんと話した時、団地のニシキギが話題にのぼり、そのときこの志井川のニシキギを思い出したのだった。すこし遠いような気もしたが、歩くうちに到着していた。

 

八旗橋まで戻った。行きがけに橋のそばの青い水道管に立っていたアオサギがおなじところにいた。おしまいに黒橋そばのさびた水道管を橋の左岸から写す。

 

きょうの新聞の天気予報は気温26―15度。日中は夏日、なまけもの、夜になってくしゃみが出ている。

 

 


2024年10月12日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

寝ているときに右足がビリビリがすることが少なくなった。昨夜23時就寝。早くに目が覚めた。

 

しばらくナンプレをやり、トイレへ。窓の外がオレンジ色だった。窓を開けると、そばのケヤキのすこし色づいた葉にのぼったばかりの朝日がさしていた。

 

ベランダ側に行くと、こちらもサクラの上のほうに日が差しはじめたところ。時刻は6時40分だった。

 

食事だけ作り、朝食。しばらくナンプレをやる。252問のうち、あとはあまり残っていなかろう。

 

昼食のあと、散歩に。後ろからみえた女性がなまけものを追い越してはるか向こうに歩いてゆかれた。

 

空はすじ雲。コンビニにて新聞購入。のったりのったり歩いてお茶に行き、のったりのったり帰ってきた。

 

新聞の天気予報は気温26―15度。日中歩くと汗ばむ暑さである。

 

 

 

 

 

 

 


わるいさそい

2024年10月11日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼前、部屋を出た。砂原橋へとも思いながら、違う方向へ歩いていた。団地の西側を歩き、大きな公園の前で倒れて後ろ向きに置かれた看板を見たかった。

 

「寄り道しないで帰ろうね」と書いた看板もどこかで見たなあ、と頭に浮かんだ。大きな公園の前の看板に書かれた文句ではなかった。

 

西側のはずれ、元イチジク畑から右に曲がった。アキノノゲシが咲き、イヌホオズキが咲いていた。

 

大きな公園の角へきた。看板はしっかり留められていて、すこしだけのぞいた。

 

「わるいさそ」「ことわ」と読めた。そうだった。「わるいさそいはことわろう」と書かれていた、と思い出す。市内のPTA協議会が作ったものだったと記憶する。

 

わるいさそい、寄り道。なまけものにはそちらのほうも面白そう。

 

 


30年ぶり

2024年10月10日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2カ月ぶり黒米の入った玄米ご飯を炊き、鶏もも肉やえのきや椎茸や玉ねぎやを炒めものにして朝食。

 

10時半、団地のはずれで30年前の同僚Yさんの車を待った。

 

なまけものが入院したことを30年前に同じ職場だったKさんに話すことがあったらしく、きょうはKさんもいっしょに3人で食事をすることになっていた。

 

Yさんがみえて車に乗り、この前まで入院していた病院近くの店、ワールドビュッフェへ。行橋からきたKさんと合流。Kさんは感じがすこしも変わっていなかった。

 

ちょうど開店の11時に入店。30番の席。セットのようなもので食事をすると思っていたら、バイキング形式。それはたくさんの料理が並んでいた。広々した店内が次第に混んできた。14時過ぎまでおしゃべり。

 

19歳だったYさんがこの冬50歳、39歳だったKさんがこの冬70歳になる。45歳だったなまけものはこのあいだ後期高齢者となった。

 

 


川へ

2024年10月09日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝のうちNさんからあやまって階下のお宅まで水を流したとの電話。そして70日ぶり、生協の配達。

 

そうこうするうち、昼がきて、午後になった。雲が出ていた空はまた晴れてきた。

 

行けるところまで行ってみようと15時ごろ、部屋を出た。団地西側のバス道路沿いに歩いて砂原橋近くの公園へ。まだ歩けそう。それから川沿いの道をのぼった。

 

ジャコウアゲハの並木に到着。ソメイヨシノのならぶコンクリート枠内はちょうど町内会の草刈りが行なわれたばかりのよう。8本目のソメイヨシノから2本目のソメイヨシノまでゆっくり歩いた。

 

ジャコウアゲハの幼虫の食草ウマノスズクサがたくさん生えていた。葉のうらに産卵はなかった。幼虫の姿も見ず。2本目のソメイヨシノの枝にさなぎ1匹を見た。小1時間滞在。また来ようと帰ってきた。

 

並木そばのスーパーとみやまは先月23日閉店とのこと。店内備品が外に並んでいた。

 

 


踊り子

2024年10月08日 | 大体メモ帳

 

 

 

すこし遅れて火曜クラブへ。Kさん、Mさん、Mさんの3人がバレリーナを作られていた。ペーパーナプキン1枚を折ったり曲げたり切ったりして、手足を伸ばして踊る身長6~7センチのバレリーナが出来上がる。

 

なまけもの、見るだけ参加。出来上がった人形を赤い敷物に移して撮影させてもらった。

 

2カ月ぶりの火曜クラブだった。

 

それから志井川沿いの店へお茶に行った。たっぷり餡のトーストとアメリカンコーヒーで昼食。新聞の書き写しを2時間やって店を出た。

 

曇り空から薄日がさしていた。橋のうえからピカリピカリ光りながら小さな魚が流れを泳ぐのが見えた。向こうの空からパタパタ音を立ててヘリコプターが飛んできた。

 

1時間以上かけて生協のキープショップへ歩き、明日提出分のカタログ類をいただいてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風呂回復

2024年10月07日 | 大体メモ帳

 

 

 

 

 

朝から小雨。朝食に玄米ご飯を炊き、小アジの干物を焼きして朝食。

 

それから風呂の掃除をすこしやり、団地の相談所に電話した。しばらくして西部ガスの担当の方から電話があった。点火ボタンを回しても、乾電池のふたにランプがつくだけでガスの方の着火ランプがつかないと話した。

 

乾電池が切れているようですね、と担当者が言われる。アルカリ乾電池を買うように、とも。あたらしいケース。これまでは乾電池のふたにランプが着いている状態でなく、何にも反応がなくなってから乾電池を替えていた。

 

昼過ぎて団地のスーパーへ。アルカリ乾電池4個パックと丸ぼーろとコンニャクと購入。雨のなか帰ってきた。

 

部屋にもどり、乾電池を入れ替えると、着火ランプが赤く点った。これでまた湯をわかすことができると16時ごろだったか、入浴。あと、ナンプレをしながら丸ぼーろ。ナンプレも丸ぼーろもやめられなかった。

 

緑茶がなくなっている。あさって生協から届くので、それまでと冷蔵庫にあった抹茶をカップにいれて湯で溶かし、飲んでいる。

 

夜おそくには雨があがっていた。リーリーリーリーリー。向こうの通りからアオマツムシのすこし強い鳴き声が聞こえた。

 

 

 

 

 


メモリー

2024年10月06日 | 大体メモ帳

 

 

 

足のしびれ、そうビリビリしないで7時ごろ目が覚めた。シャケを焼き、トマトやキャベツ、インスタントのみそ汁、きのう炊いた玄米ご飯とで朝食。

 

8時前、ベランダに出ると雲のあいだに日がのぼっていた。下の草むらにヒガンバナの列。午前中、机回り1メートルほど片付け。

 

昼過ぎて広島のKさんと電話で四方山話。なまけものが年360日風呂に入るという話も出た。Kさんは年180日ぐらいで、風呂に入るとからだをきれいに洗うそうだが、なまけものはただ湯に浸るだけ。その違いが面白かった。

 

そうして夕方になった。きのうの湯を沸かしなおそうと着火ダイヤルを回すも、火が着かない。故障したようだ。17時半、外でざあざあ音がして雨が降りだした。きょうは出かけないまま。

 

Kさんと病院の話もした。画像2~4枚目は8月25日に6階から移ってきて退院まで滞在した5階の病室のマイコーナー(退院2日前の9月27日に撮影)。

 

マイコーナーは四方のうち二方がカーテン、二方が壁面だった。そのなかにベッド、長テーブル、長テーブルの下に長い物入れがあり、右奥に縦長の小物ダンス。

 

日中はベッドの布団を六つ下りにして座布団代わりに座り、長テーブルを引き寄せて食事をとり、新聞を読みした。ベッドカバーと枕カバーは水曜日に取り替え、床掃除は毎日だった。ベッド枠に下げたコールボタン(画像4枚目◯印)は6階の手術棟ではかなりの回数、お世話になったが、5階のリハビリ棟では一度も使うことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


きょうの散歩

2024年10月05日 | 花が咲いたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日。昼前に西側のバス道路沿いに歩いて新聞を買いに行く。

 

コンビニにて新聞を買い、もとイチジク畑の塀囲いの横を抜けて小さな公園前へ。

 

いちじく畑のイチョウが実をたくさんならせてブロック塀のうえや地面に黄色い実を落としていた。ムラサキカタバミもムラサキツユクサも咲いていた。

 

その先の大きい公園は誰も遊んでいなかった。

 

公園を取り巻く金網にとがった葉をつけたつるが伝っていた。これは何の葉だろうと歩くうち、同じ形の葉のつるに鈴なりの緑色の実がなっていた。ヘクソカズラだった。

 

公園の四つ角に立っていた看板が倒れたらしく、後ろ向きに置かれていた。

 

ここを通るたび見た看板なのに、何と書いてあったか忘れている。たしか中学生に向けてのことばだった。この次通るとき、もしのぞけるならのぞいてみようと思った。

 

うろうろして帰り道、バス停のベンチで休んでいた。そこへ火曜クラブのKさんが通りかかり、すこしおしゃべり。Kさんは昨夜、電話くださったのだった。

 

いちにち雲の多い晴れ日。15時ごろ、夕立。新聞の天気予報は気温27―19度。

 

 


桜橋上流へ

2024年10月04日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日つづいた雨が上がった。きのう久しぶり炊いた玄米ご飯で朝食。洗濯ものをベランダに干した。

 

10時前にNさんから電話。桜橋の上流をすこし回ってみないかという。10時半に待ち合わせ、Nさんの車に乗せてもらった。

 

桜橋を渡り、左折。左岸側にある駐車場で車を降りて歩きだした。

 

そう暑くもなく、対岸の秋月街道を眺めながら、足元の花を眺めながら、川のアオサギやコサギやチュウサギや眺めながら歩いた。カイツブリが鳴いた。川は草が茂って水面はほとんど見えなかった。

 

モズ、とNさんが指さした電線にモズが長い尾を振りながらとまっていた。

 

赤トンボが行く先々で飛んでいた。そばの手すりにやってきた赤トンボを写させてもらった。亀年橋まで行かず、エノキが見えるあたりまで。エノキも少しずつ葉が落ちだしていると話した。たしかに木の全体が軽くなって見えた。

 

帰り、中谷にあるモスバーガーへ。なまけものはライスバーガーを注文した。

 

すこしずつ家事。午後、冷蔵庫の片付けと掃除。

 

 


シモツケ

2024年10月03日 | 花が咲いたよ。

 

 

 

 

 

きのうにつづいて、きょうも雨もよう。机に着いて椅子に座ってばかり。右足先がむくんできた。病院のリハビリの先生をまねてもんでみてもそううまくいかない。足を高くして動かしたらよいとも聞いていた。

 

それなら歩いたほうがよかろう。霧雨のようなときを見計らって散歩に出た。

 

スーパーへ行くか。ドラッグストアへ行くか。ちょっと違う方向。スーパーへ行くことにした。

 

普段と違う道を歩いた。シモツケの花が咲いていた。長いまつ毛を持った花。

 

帰宅して、ウィキペディアを検索すると、花弁は5個、雄しべは25~30個で雌しべは5個とあった。長い雌しべがなまけものにはまつ毛に見えるらしい。

 

 


若女

2024年10月02日 | 大体メモ帳

 

 

 

昨夜、早く寝た。3時ごろ目が覚めた。3時26分、朝刊が届いた。朝刊を読み、ナンプレをやりしているうち、外で雨の音。4時50分だった。5時半ごろ、ベランダから手を伸ばすとかすかにわかるほどの雨となっていた。また、布団に入った。

 

8時前、起床。雨は降っていた。いちにち部屋で過ごした。新聞の書き写しとナンプレをやっていた。

 

きのうもきょうも夕刊は来なかった。30日に、10月はじめから新聞の配達再開をお願いしたとき、夕刊は9月いっぱいで配達が終わったと知ったのだった。ウェブ検索すると、朝日新聞は静岡県、山口県、福岡県で10月1日から夕刊を休止したとのこと。

 

月末に新聞代金の集金にみえていたHさんも足を痛めて8月末で仕事をやめられたそうである。

 

きょう、Nさんと電話で話した時、亀年橋上流に1本残っていたオウチ(センダン)が最近伐られてしまったと聞いた。

 

わずか2カ月のあいだに変わってしまったことがいくつかありそうだ。

 

29日に帰ってきて部屋のカーテンを開けると、若女の面が外からの光を受けてかがやき、お帰りなさいとなまけものに言ってくれたようだった。面は母によく似ている。画像は今年7月21日、亡き母の誕生日に写したもの。

 

偶然ながら父が亡くなってきょうでちょうど13年となった。

 

 


買いもの日。

2024年10月01日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

 

 

足のしびれがあまりなく眠れた。6時、起床。ゆっくり素麺をゆで、守恒のYさんの酢もの、揚げもので朝食。Yさんの弁当をすべて食べ終えた。

 

2カ月開けることのなかった冷蔵庫。野菜室は玉ねぎが無事で葉ものは枯れていた。冷蔵室は生協の配達日の前日だったのでそう何も入っていなかった。冷凍室にはシャケや塩サバ、鶏もも肉、冷凍うどんなど。

 

昼に部屋を出た。守恒のショッピングモールへタクシーで。

 

文具店で書き写し用のノートとボールペンインク、書店で文庫本とナンプレ本を購入。1階のモスバーガーへ行くと、改装のため17日まで休店と貼り紙があった。ライスバーガーをたのしみにきたのだったが。となりの百菜旬にて焼魚から揚げみぞれ酢定食。塩サバもから揚げもおいしかった。15時、タクシーで帰宅。

 

どうしようかと思ったが、すこし離れた生協のキープショップへ歩いてみることにした。片道30分以上かかったようだった。きょうは野菜が何もなく、リンゴやそばや魚ソーセージや玄米おはぎや購入。

 

店内に20分ぐらいいたろうか、往復歩いて60分ぐらいか。

 

キープショップから川のジャコウアゲハのところまでまだだいぶ距離がある。そのうち行けそうな気もした。

 

 

 

 

 

 

 

 


エノコログサ

2024年09月30日 | 花が咲いたよ。

 

 

 

 

 

 

 

きのう早くに床に着き、右足先のしびれに目を覚ましては寝てを繰り返し、3時に起き出した。

 

布団から立ち上がるとき、病院のN先生がリハビリのさいごにやわらかなマットのうえでの立ち座りや後ろ歩きの訓練をされた意味がわかった。

 

本を読んだりなどして、5時にまた寝て、7時起床。

 

10時に30年前の同僚Yさんが車に乗せてくれて南区役所へ。病院の医療費支払いのための限度額適用認定証を発行してもらい、また足の装具代金払い戻し手続きも行なう。限度額適用認定証と後期高齢者保険証を持って病院へ行き、医療費の計算を依頼。患者着代金支払い。

 

昼までに無事に手続きを済ませることができた。それからYさんと昼食をとり、15時過ぎ帰宅。

 

17時からすこし歩こうと新聞を買いに出た。

 

団地の草地のエノコログサに夕日がさしていた。カラスが3羽、北の方へ飛んだ。遠回りして帰り道、17時半過ぎ、日が沈んだ。

 

守恒のYさんのおむすびやコロッケやサラダやで夕食。風呂の四角い湯船に30分。22時、就寝。