今ごろになって、もっともっと努力していれば違った結果があったのか?私にできる努力は何だったのか?過ぎてしまった時間は取り戻せない。
何ヵ月も前、歩行練習が始まってしばらくした頃だったか、補装具の話しがありました。私としては、いらないかな?というのがその時の返事。作っても、実際に使わない方も仕事柄たくさん見てきたし、補装具をつける事への抵抗感、なんとか補装具無しで歩けたらという希望、色々な気持ちがありました。実際に今となって、自力で歩く事への限界、回復しないんだという絶望感、自分の身を危険から守るために補装具をつける、納得はしていないけれど、仕方がない、そんな思いで補装具を作ったのですが、7月7日に受け取り、1週間もたたないうちに、補装具をつけるのをやめてしまいました。装具師さんには、本当に失礼だし申し訳ないとも思うのですが、今は必要な時以外、補装具はつけたくない、という自分の気持ちに正直に向き合うことにしました。日中、車椅子に座って過ごす私にとって、がまんしても補装具をつけることが、今の私に必要なのか?
あまり関わりがないスタッフから、「いらないって言ってたけど、作ってよかったわよね。」そう言われ、???よかったのはあなたたちスタッフでしょ?患者が受け入れて作ったからよかったってことですよね。私のためと思って言ってくれたのかもしれませんが、患者の私は今の段階ではよかったなんて思えない。仕方なく作ることにしたのに。気持ちをむりむり、必要だから補装具を作るんだと、本当にだましだまし、自分をごまかして、補装具だけでなく、靴だって選べない、デザインも色も、気に入らなくてもそれしかない、せめて、自分の補装具だから、愛着を持ってつけたいから、と、補装具に愛犬Hopeと Life、それにうさぎのHappinessのシールを貼って、と考えていたところでした。がまんしていたものが爆発して、歩けない自分が情けないし、悔しくて••••• 自分の努力が足りなかったから、だから、歩けない、本当にそうなの?
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