先生は,こんな本を読んでいます

読み聞かせを15年間毎日続けているちばちゃん(先生)が
読んできた本の紹介をします

19.渡邉恒雄『わが人生記』中公新書ラクレ2005年

2006年03月04日 | Weblog
▼ 巨人の渡辺恒雄球団会長さんば、ナベツネと呼ばれています。
  「ナベツネ暴言集」なんていうサイトも、たくさんあるんですよね、これが・・・・・。
  私も新聞紙やテレビの報道を目にする度に腹を立てたものです。

▼ 「ナベツネの本なんて、読むものか!」という人は多いでしょう
 が私は反対に興味がありました。
  『わが人生記』というタイトルでしたから、この方がどのような
 半生を歩んできたのか、どういうことを考えて発言したのかに、大
 変興味がありました。
  その人本人から話を聞かなければ真相はわからないと思いますの
 で(教師ですから、噂に惑わされず、本人から聞かなければいけな
 いと思っていますので)本を手に取ってみたわけです。

▼ 子どもの頃は詩人願望があったそうです。
  教師との出会い、教師のほめ方で、子どもが夢をもつということ
 がよくわかります。

    東京・杉並区の小学校1年生の時、担任の音楽教師・
    内田金次郎先生に、作文の宿題を命じられ、私は1編
    の童謡を作って提出した。その数日後、授業のはじめ
    に、内田先生が黙って黒板に白墨で童謡を書き始めた。

    その題名は「ポンポン丸」というのだが、題名の次に
    「渡辺恒雄」と書かれた。当時、小さいローソク1本
    で、たらいの中を走るモーター・ボートの小玩具があ   
    って、その遊びの感動と悦びについて韻を踏んで綴っ  
    た童謡であった。黒板に歌詞を書き終わると内田先生
    は、オルガンに座って、自ら作曲したその歌を歌い始  
    め、全生徒に合唱させた。

    それだけのことだが、小1の私にとってはきわめて誇
    らしい事件であった。ひそかに私は、自らに詩人の才
    があるのではないかと思い始めてしまった。

▼ 今年で80才になる方ですので、小1だと74年も前の話になり
 ます。
  小学1年の時の担任の先生の名前をフルネームでみなさん、覚え
 ていますか?(私は覚えています。今も年賀状をやりとりしていま
 すから。でも、小学1年生の時の担任だけです。)
  70年以上も前のことを、これだけ鮮明に覚えているということ
 はよほど記憶に残るできごとだったからでしょう。教師の影響の大
 きさを物語っています。

▼ さて、2004年夏の「たかが選手」騒動についての話です。

    「たかが選手」というたった5文字が、この3か月余
    りに、あらゆるマスコミに登場した回数は、数えたこ
    とはないが、千回、いや一万回にもなっただろう。
    この5文字の際限もない反復は、プロ野球界を分裂さ
    せ、選手ストを熱狂的に支持させ、「ナベツネ」を、
    あたかもサダム・フセインと並ぶ世紀の悪者にするた
    めに、絶大な効果をもたらした。

 と自らの文で書いています。

▼ 2004年7月8日に、渡辺氏は、都内のホテルで読売の役員と会食
 をした後、恒例の取材を受けたそうです。
  渡辺氏は、次のように書いています。

    日刊スポーツ・S記者「明日、選手会と代表レベルの
    意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が代
    表レベルだと話にならないんで、できれば、オーナー
    陣といずれ会いたいと(言っている)」

    渡辺「無礼なことをいうな。分をわきまえないといか
    んよ。たかが選手が。たかが選手だって立派な選手も
    いるけどね。オーナーとね、対等に話をする協約上の
    根拠は一つもない」

    調べてみると事実は、古田選手は「同僚のヤクルト・
    真中選手が『オーナーと話をしたい』と言っているが
    ?」と記者に聞かれて、「そうですね。でも、それは
    無理じゃないですか」と答えただけだった。私がスポ  
    ーツ記者S君の質問に対し、反発した「古田発言」は
    もともと存在せず、虚構にすぎなかったことになる。
    「たかが・・・・・」と言ったのは、酩酊していたとはい
    え、まことに軽率だったが、すぐ気づいたから「立派
    な選手もいるけどね」と追加したのだが、後述する「
    はめ取材」を得意とする記者たちに、「たかが選手」
    は野獣に食いつかれた獲物の如くむさぼられ、「立派
    な選手」はゴミの如く捨てられてしまった。

▼ 私は、これを読んでも、渡辺氏にはあまり好感は持てませんが、
 一時の「ひどい悪者」といった感情は無くなりました。
  こういう話は水掛け論的なもので、お互いの都合に良い文章に書
 き直されているものです。
  でも、両者の文を読まなければ、客観的な判断は難しいと思いま
 す。
  少なくとも、この本を1冊読み終え、「無骨だけど、心は暖かい
 人なんじゃないのかな」という印象をもちました。
  読書の話になりますが、渡辺氏も少年時代にヘルマン・ヘッセの
 『デミアン』に感激したという話には共感しました。(三浦綾子さ
 んをはじめとして、この本に感銘を受けた方は多いのです。もちろ
 ん、私もその一人です。)
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

18.内藤いづみ『あなたが、いてくれる。』佼成出版社2005年

2006年03月03日 | Weblog
▼ 副題が「在宅ホスピス医 いのちのメッセージ」とあります。
  私は一昨年、父を亡くしました。発病から2か月の入院で逝って
 しまいました。あまりにも、あっという間の時間でした。
  最期はホスピスにいたのですが、「何とかして自宅に帰してあげた
 い。」という希望は、かないませんでした。

▼ 私の母が病室に泊まり、様々な面倒をみていました。私も1日だけ
 泊まりました。
  子どもにかえった父が「・・・してほしい!」と頼むのですが、も
 っと泊まって、話をたくさん聞いてあげればよかったと思います。
  「きちんと聞く」ことが本当に大切なようです。

    私自身、がんの末期患者さん、そしてご家族の方とお
    つき合いをする中で、「きちんと聞く」ということが、
    どれほどむずかしいことか痛感させられます。看護師
    さんには「とにかく聞いてあげて、相手がいったこと
    を評価したり道筋をつけたりしないでください」って
    いっているんです。特に死に近い人たちの場合、孤独
    なんですよ。
     
    今、お医者さんは患者さんと話す時、どこを見ている
    と思います?コンピューターですよ。手もにぎらない。
    日本の医療は臓器とか、細分化したものに対する研究
    はすごく進んでいるんです。でも、悪い臓器を背負っ
    て生きている一人の人間として見ることができなくな
    ってしまったんですね。

▼ 上記のことは、全てのことにあてはまります。
  私も、子どもたちや保護者に対して、資料を見ながら話すことがな
 かっただろうか、機械的に話すことをしたんじゃないのかということ
 を振り返ってみる必要があると思いました。

▼ また、次の言葉も非常に勉強になりました。

    「生きていくうえで、重要な要素はなんでしょうか?」
    この質問を進行がんの患者さんからいただいた時に、
    私は、こう答えています。
    ①呼吸(十分な酸素の交換)
    ②食べること
    ③十分な睡眠
    ④安定した精神状態と気力
    これが病気で障害を受けると、いろいろな困難が生じてきます。
    反対にどんな重病でも。この4原則をなんとかうまく保ってい
    けば、病気と共存し、結果的に延命できるように感じています。
    そして何よりも、食を生きることの基本として、ファーストフ
    ードからスローフードへ。子どもとともに食卓を囲む意味を、
    私たちは再認識する時を迎えているように思います。

▼ 教育現場でも、「食」に対する関心が高まっています。
  確かに、偏食の子どもたちの割合は増えているように思えます。
  命を考える上で、「食」についても、子どもたちに考えさせたいと
 思いました。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

17.『フィンランドに学ぶ教育と学力』明石書店2005年①

2006年02月26日 | Weblog
▼ 久しぶりにどっぷり教育の本です。
  森と湖の区にとして知られるフィンランドですが、近年、世界か
 ら注目を集めるようになりました。

    ●IT先進国として
    ●各種国際競争力報告でトップレベルに位置された
     ことについて

  特に後者の面は、教育関係者では、学ぶべき所が多いと思います。
  この本は2回にわたって、この点を紹介していきたいと思います。

▼ フィンランドは、経済協力開発機構(OECD)の2000年と2003年
 の国際学力調査(PISA)で高い学力水準を示しました。
  特に2003年の調査では、読解力と科学的リテラシーで1位、数学
 的リテラシーで2位、問題解決能力で同列2位、総合的に「学力世 
 界1位」となり、「教育大国」とよばれるようになりました。
  ちなみに、日本は数学的リテラシーが6位、読解力は12位となり
 学力低下が懸念されています。

▼ 『学級の少人数制度』
  これが、きめ細やかな教育を行う基盤となっています。
  国語クラスの平均人数をみてみます。

    ●フィンランド  19.5人
    ●日本      38.8人
    ●イギリス    24.9人
    ●アメリカ    23.5人
    ●ドイツ     24.1人

 というように、日本が突出しているのがわかると思います。

    子ども1人ひとりに対するきめの細かい指導は、
    補修などの形でも実施されている。たとえば、授
    業を進めるなかで理解が不十分であるとされた子
    どもたちには、別室での授業や、早朝の補習授業
    などが実施される。こうしたとりくみを選別的と
    見る向きもあるが、集団を固定していないことや、
    「病気など学校を欠席した子どもが授業に追いつ
    くために」といったレベルでも行われていること
    などから、学習支援ととらえられている。

  この「特別補助教育」ですが、日本で行うとすると、保護者は
 あまり賛成的ではない方が多いような気がしますが、フィンラン
 ドでは、逆の傾向があるようです。

    Q 親が「うちの子には、そんなものいらない」
      というケースは?
    A それはなく、むしろ逆だ。親が子どもの権利
      として、ぜひとも特別補助教育を受けさせて
      くれということが多い。

▼ また、私が最も関心をもったのは、「母国語の向上を目指すプ
 ログラム」です。日本なら、「日本語向上プログラム」とでもい
 うのでしょうか。
  昨年の12月に「読解力向上プログラム」というものが文科省
 から出されましたが、このフィンランドのプログラムを参考に作
 成しているように思えました。
  フィンランドでは、1997年を「読解力年」として、国を挙げて
 母国語向上に取り組みました。そのプログラムとは・・・・・

    ①読み書きのスキルを高め、文学に関する知識を
     増やすことを視野に入れながら、すべての教科
     のカリキュラム開発を行うこと
    ②学校図書館を改善し、学校ー公共図書館間の連  
     携を促進すること
    ③基礎教育と特別支援教育間の連携を強化する試  
     みとして、読み書きのスキルを高めること
    ④すべての教科を通じて、読解力、特に演繹的・
     批判的読解力を高めること
    ⑤さまざまなジャンルの文章を書くこと。すべて
     の教科において書くことをベースにした学びを
     推進すること
    ⑥男子生徒に対する教育を改善すること
    ⑦才能児に対する特別支援教育を行うこと

 という7つのプロジェクトから構成されています。
  先日、文科省から出された「読解力向上プログラム」の3つの柱
 は、
    【目標1】テキストを理解・評価しながら読む力を高める取
         組の充実
    【目標2】テキストに基づいて自分の考えを書く力を高める
         取組の充実
    【目標3】様々な文章や資料を読む機会や、自分の意見を述
         べたり書いたりする機会の充実
 となっています。
  私はこれを「読む力」「書く力」「読書」の3点ととらえていま
 す。
  
▼ 次回は、フィンランドにおける「読書」の取り組みについて述べ
 たいと思います。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

16.リチャード・コリヤー『スペインの貴婦人』清流出版2005年

2006年02月24日 | Weblog
▼ 副題は『スペイン風邪が荒れ狂った120日』というタイトルで
 す。
  このインフルエンザウイルスには、各国で独特の名前がつけられ
 ました。

    ●日本・・・相撲熱
    ●スペイン・・・ナポリの兵隊
    ●ドイツ・・・電撃カタル
    ●ロシア・・・スパニッシュ・レディ(スペインの貴婦人)

  多くの国々では、ロシアのように「スペインの貴婦人」と呼び、
 これがスペイン風邪の由来なのではないかと思います。

▼ このインフルエンザには、世界の人口の半分以上がかかったと言
 われています。
  日本の当時(1918年)の人口は5500万人でした。その半 
 数以上の2300万人がスペイン風邪に罹患しています。死者は何
 と39万人でした。

▼ この疫病の猛威を示した文が載っています。

    ケープ・タウンで、輸送軍団の運転手をしていたチ
    ャールス・ルイスは、休暇で、5キロメートル離れ
    た海岸の両親の家へ行くために電車に乗ったが、そ
    の電車の車掌は、発車の合図をしようとして、プラ
    ットホームに立ったとき、倒れて、そのまま死んで
    しまった。それでも、ルイス自身が発車係を務めて、
    電車は動き出したが、何分も経たないうちに、次々
    と乗客が倒れて死んでいった。そのため電車は、ま
    だ生暖かい死体を市の馬車に渡すために5回も止ま
    らなければならなかった。しかも、海岸までの道の
    りの4分の3まで行ったところで、運転手も前に崩
    れるようにして倒れて死んでしまい、結局、ルイス
    は、まだ生きていることを感謝して、家まで歩いた
    のである。

 というウソのようですが、本当の話のようです。

▼ みなさんは、インフルエンザにかかったことがありますか?
  私は忘れもしない、5年前にかかりました。
  その年は卒業生を受け持っていました。この年はインフルエン
 ザのピークが3月に来てしまったのです。
  卒業式の前日まで、数人の子どもが欠席する状況になりました。
  他の学年は、学級閉鎖になっています。
  卒業式、37度以上が二桁(計80名いました)という状況に
 なり、卒業式が危ぶまれましたが、何とか無事に終わりました。
  その4~5日後、安心からか、私がインフルエンザになってし
 まいました。
  熱がなかなか下がりません。
  離任式に、熱が38度ぐらいある中、全校の前であいさつをし
 たのを覚えています。
  今年は、例年に比べると、罹患率が低いように思えます。

▼ スペイン風邪の罹患率は、こんなものではなかったはずです。
  しかし、どんなウイルスなのか、誰にもはっきりわからないそ
 うです。
  当時、誰も確認することができなかっただけではなく、明らか
 に生き残っていないからだそうです。
  最近、問題になっている鳥インフルエンザの影響で、この本が
発行されたと思いますが、再び、このスペイン風邪のような疫病が
流行る時代が近い将来、来るのでしょうね。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

15.神田憲行『97敗、黒字』朝日新聞社2005年

2006年02月22日 | Weblog
▼ 「97敗、黒字。」これだけで、何のスポーツのどこの球団なの
 かわかれば、野球に興味を持っているかと思われます。
  昨年、話題になった「楽天イーグルス」のことです。
  4・5月は100敗する!と言われていましたが、7月の好調で
 何とか大台にはのらずにすみました。

▼ 田尾監督は3年契約なのに、たった1年で解任されてしまいます
 が、三木谷オーナーとの内紛が原因のようです。

    私は開幕戦の勝利で、顔を真っ赤にした三木谷がロ
    ッカールーム前で選手一人ひとりと握手していたの
    を目撃したときから、いつかこうなるのではないか
    と予感していた。三木谷は熱い、熱すぎるのだ。大
    学でテニス部の主将をしていたことからわかる通り、
    よく比較される堀江貴文(元)ライブドア社長より
    彼ははるかに体育会系の人間である。だから負ける
    ことが我慢ならない。彼が現場に介入したくて田尾
    の采配を批判したとは思わない。おそらく「なんと
    かしてくれよ」という一首のファン心理だったのだ
    ろう。しかしプロ野球のオーナーが日本にわずか12
    人しかいないことを考えると、この発言はおそらく
    彼自身が想像しているより重い。

▼ しかし、経営は黒字になるというのが素晴らしいです。巨額の赤
 字を垂れ流すのが、半ば常識の球団経営で、初年度から黒字にもっ
 ていくのは画期的なことです。
  様々なアイデアが、功を奏したのでしょう。
  「どぶ板経営」と言われていたそうですが、学ぶところが大きい
 と思います。
  1番大切なのは「無駄をはぶく」ということです。これは、民間
 のみならず、学校でも大切なことです。

    ナイターのあと、選手は宿泊先のホテルでバイキン
    グ形式の食事をとる。金額は1人だいたい6000
    円という。しかし選手によってはバイキングに飽き
    て、外で自費で食べに行ってしまうこともある。す
    ると、その分が無駄になる。ひどいときには1軍25
    人分用意して、5人しか食べないときもあるらしい。
    すると一晩で12万円分の料理を捨てたことになる。
    すれを毎晩繰り返していたらすごい無駄ですよ。だ
    からうちはホテルのレストランで利用できる食事券
    を各選手に支給して、食べた人の分だけ払うシステ
    ムにすることを考えています。

▼ 私は子どもの頃から巨人ファンでした。でも、今は北海道に地元
 の球団「日本ハム」がありますので、そちらの応援になっています。
  地元というものは、やはり1番になっていくものです。
  楽天は正直、野村監督も三木谷オーナーも個人的には好きではあ 
 りません。しかし、地元、仙台・東北に根付こうとしている楽天と
 いう球団には声援を送りたいと思っています。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

14.河内浄『工作少年』文芸社2006年

2006年02月19日 | Weblog
▼ 『工作少年』。
  工作の好きな少年の話だな、何て単純なネーミングの本だろう
 と思いながらも、本を手に取りました。
  
▼ 確かに、工作が趣味(=仕事)の方の半生記だと思いました。
  小学生の頃から楽器系を中心に様々な工作を行ってきた方のよ
 うです。
  工作というから、ペーパークラフトの様なものを中心に作って
 いると思いきや、沢山の楽器を「発明」された方なんです。

▼ あのジョン=レノンからも、「楽器を売ってくれ!」と言われ
 るくらいですから、素晴らしい楽器を作る方なのです。

    外国の超一流の音楽家が、テレビを見て、作った人
    間を探せと言っている。売ってくれるか、というこ
    とだった。超一流とは誰のことかと聞いたら、ジョ
    ン・レノンだと言った。それはすごい、と私は言っ
    た。後日、ジョン・レノンの付き人という日本人が
    我が家を訪れ、私は楽器を渡した。ついでながら、
    私が弾いた「イエスタディ」のテープをおまけに付
    けた。それを聴いたジョン・レノン氏は、さぞ笑っ
    たのではないかと思う。代金として、YOKO O
    NOという名義の小切手を受け取った。

▼ 防衛庁勤めでしたが、「給料を2倍出す!」と言われて民間の
 会社(楽器関係)に引き抜かれた経歴を持つ方です。
  現在は、株式会社河内研究所の会長さんです。
  手がけた楽器は、私は(有名かも知れませんが)知らないもの
 ばかりでした。

    ●スピーロン    ●しゃみトロン  
    ●トラスピ     ●クラビオリン

  ちなみに、ジョン・レノンから依頼があったのはスピーロンと
 いう楽器だそうです。

▼ この方のもの作りへの意欲を培ったのは、小学校時代だと思い
 ます。
  高学年の時に「モーター」を独学で苦心して作り上げています。
  
    果たしてこのモーターは回った。自分の生涯で1番
    嬉しかったことは何かと聞かれれば、私はたぶん迷
    わずこのことをあげる。

  子どもの頃の大きな達成感というのは、生涯、心の中に生き続
 けるものなのです。

▼ そして、夏休みの研究として、全校児童の前で発表する機会を
 もらいます。発表後、校長先生から、全校の前で、素晴らしい言
 葉をいただきました。

    「河内の研究は難解で、自分がやったのではないか
    と思われるかもしれないが、自分は昔から河内を知
    っているので、自力でやったことは保証できる。」

  この言葉が50年以上たった今でも心に残っているそうです。
  私は教師ですので、こういう部分は強く印象に残ります。
  私も、今までそういう心に残る言葉を投げかけてきたかなあと、
 考えてしまいました。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。    

13.草薙厚子『追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件』講談社2005年

2006年02月18日 | Weblog
▼ みなさんの記憶にも新しいあの事件の本です。その後の女児の家
 族・学校・同級生などの様子がつづられています。

    ●事件を起こした後の様子を教える

 ことは、子どもたちに必要な指導だと思います。
  「事件を起こしたら大変なのよ。」「事件を起こしたら、警察に
 行くのよ。」などと子どもに話すのでしょうが、何が・どのように
 大変なのか、子どもたちは解っていないと思います。
  話に具体性がないので、その後のイメージが描けないのです。
  「家族は、その土地に住むことはできなくなる。」「家族は仕事
 をやめたり、学校をやめたりしなければならなくなる。」「事件を
 起こした子どもは、家族に1年に数回会える程度である。」「世間
 とは隔離した所に少なくとも数年は住んで、生活や態度・考え方も
 改める」・・・・・、などのことを少なくとも、高学年児童に伝える責任
 があると思います。
  これは、保護者や教師が教えるべき事なのでしょう。

▼ この事件が起こり、大きく非難されたのは次の2者です。(もち
 ろん、本人は絶対条件ですが・・・・・。)
  
    ●保護者    ●学校関係

 この本でも、この2者が厳しい非難を受けていました。
 私は学校関係者なので、やるせない部分も多々ありました。
  
▼ 例えば、次のような保護者と担任の意見の食い違い。

    ●保護者
    「子どもに関わらず、放ったらかし」「サラリーマ
    ン教師で、なるべく手を抜いて終業時間を待つ人」
    「趣味のサッカーばかりやっていて、午後5時にな
    るとサッカーをするため、さっさと学校から帰って
    しまう」
     いずれも元担任教師の教育姿勢に対する保護者た
    ちの声だ。さらに興味深いのはこの教師自身が、担
    任職に不熱心であることを公言していた点である。
    複数の証言によれば、04年4月の保護者との懇談
    会の席で担任教師は、
    「このクラスを持ちたくなかったのに持たされた。
    誰もなり手がいなかったので押しつけられました」
    と平然と言ってのけたという。

    ●元担任
     保護者の方たちの前で私が、「このクラスを持ち
    たくなかった」という発言をしたというのは誤解で
    す。私は前の小学校も含めて、6年生の担任ばかり
    を計5回務めていたので、今度は他の学年を受け持
    ちたいと希望を出していました。それもあって、保
    護者の方には、「違う学年を持つことを考えていた
    んですが、また6年生になってしまいました」とい
    う言い方をしてしまい、そのことが誤解を招いたの
    かも知れません。私の発言の真意は、6年を受け持
    ったからには担任として頑張っていくしかない、と
    いうものだったのです。

▼ 元担任は、「受け持ちたくはない」とは言っていないと思います。
 ただ、「また6年生になってしまいました」という言い方のニュア
 ンスで、そう取られてもしょうがないかなとは思いますが・・・・・。
  「6年生でうれしいです」「6年は5回なのでベテランです」な
 どの言い方をしていればよかったのにと思います。言葉というもの
 は使い方1つで、印象がすっかり変わってしまいます。
  この担任も受け持って35日目で事件があったということには、
 何ともやりきれない思いがあったことと思います。
  問題のあるクラスの新6年担任ですから、実力のあった人だとは
 思います。
  数々のボタンの掛け違いが、誤解を招いてしまったのでしょう。

▼ コミュニケーション不足・複雑な家庭環境といった要因がクロー
 ズアップされています。
  次のような女児の姿にも私は驚きました。

     そこに突然降って湧いたように出現したのが、
    「菜の花」も「ヒマワリ」も「カブトムシ」も知
    らないA子の姿だった。ところが一方で、A子は
    自分のホームページに「猜疑心」や「殺戮」など
    という、小学生レベルでは滅多に使わないむずか
    しい漢字を書き込んでいる。学校の成績は中の上   
    難関の中高一貫校に進学することを親から期待さ
    れていたA子が、あまりに常識的な事物の名称を
    知らなかったことに、私は強い戸惑いを覚えた。

▼ その後、A子は「国立きぬ川学院」に送致されて、広汎性発達障
 害の1つである障害をかかえていたことがわかりました。
  
    ●保護者たちの証言   ●コミュニケーション能力
    ●父親独占インタビュー ●同級生の証言
    ●担任教師独占インタビュー  ●診断名

 などの章から、この本は成り立っています。
  このブログに載せて良いのか?教師という立場でコメントを言っ
 てもよいのか?という部分も多々ありますので、記述はもう終わり
 にします。
  ぜひ、この本を読んで、事件の背景についてじっくりと考えてみ
 るといいでしょう。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

12.長洋弘『二つの祖国に生きる』草の根出版会2005年

2006年02月14日 | Weblog
▼ この本の副題は「インドネシア残留日本人兵 乙戸昇 物語」
 です。
  乙戸昇(おつと のぼる)さんは、太平洋戦争で兵士としてかり出
 され、そのままインドネシアに残った方です。いわゆる残留日本兵
 と呼ばれる方です。

▼ インドネシアといえば、バリ島は観光地として名高いです。実は、
 私も10年程前に行ったことがあります。
  その時の帰りの飛行機では熱にうなされて(急性胃腸炎)いたのを
 昨日のことのように覚えています。ロブスターにあたったのでした。
  そんなことはさておいて、インドネシアには日本軍が進駐し、3
 年間も統治をしたことなんか、全然知りませんでした。ましてや、
 インドネシアの独立戦争に、日本人が参加したことなどは、初めて
 知りました。

▼ 敗戦が知らされた8月15日。ラジオでの放送が信じられずに、
 武装解除をしないという光景があちこちで見られました。

    「その中に天皇陛下のお言葉があり、日本は戦争
    に負けたということです」本間が切り出したとたん5人
    は起ち上がり互いの顔を見合わせた。
    「なに?もう1回いってみろ、本間」
    「日本が戦争に負けたようです」
    「負けたようだ?」
    「下士官、兵が同様しないうちに対策をとってはいか
    がでしょうか。兵たちは毎日穴を掘り陣地構築に精
    を出しております。作業をやめしばらく様子をみること
    にしたらいかがでしょう」
    「本間小尉、馬鹿なことをいうな、日本が負けた?
    師団から何の連絡も入っていない、それは日本軍
    を攪乱させるためのデマだ。本間少尉、今言ったこと
    は多元無用だ。わかったな」

  このやりとりの後、本間少尉の監視についたのが乙戸昇さんで
 した。そこで初めて終戦を知らされたのでした。

▼ この「草の根出版会」では「母と子でみる愛と平和の図書館」
 ということで、現在50冊以上の本を出しています。
  私は、もう30冊は読んだかなと思います。
  どの本も、悲しく、だけど勇気の出るお話でした。
  特徴としては、

 ●人間の歩んだ歴史を平和の眼でとらえ、ジャンル別テーマ別にま
  とめている。
 ●写真を多数収録(平均100枚)し、視覚的に編集している。
 ●ストーリー性をもたせた平易な文章と初出漢字にルビをつけ、小
  学校高学年から読める。
 ●難解な用語や時事問題には、やさしい解説をつけている。

  図書館の児童書のコーナーに置いてあります。高学年とあります
 が、中学生ぐらいが読むのにちょうどいい本です。
  大人にとっても読みやすい本です。

▼ この本のあとがきに、次の言葉がありました。

    軍隊は、「運隊」ですよ。

  鉄砲の弾にあたってしまうのも、病気になって死んでしまうのも
 運次第だということです。
  乙戸さんも、独立戦争を生き延び、マラリアから生還し、事業で
 成功したことを考えると、数々の「運」がつきまとっていたのかも
 知れません。
  このように「本」になる方は、本当に「運」の良い方で、戦争に
 合われた大部分の方は、忘れ去られるようにして葬られてしまった
 のかなあと思わざるを得ない言葉でした。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。

11.寺山正一著『決戦 薄型テレビ最終戦争』日経ビジネス2005年

2006年02月12日 | Weblog
▼ トリノ冬季五輪が開幕しました。
  戦うのは選手だけではありません。家電量販店などで薄型テレビ
 の販売が最高潮だそうです。
  今年は五輪に加え、野球の国別対抗戦のワールド・ベースボール
 クラシック(WBC)や、サッカーW杯ドイツ大会と国際的なスポ
 ーツイベントが相次ぎ、家電メーカー各社には“美しい大画面”の
 販売加速へ最大のチャンスなのです。
  プラズマテレビ、液晶テレビの両陣営ともそれぞれの良さを強力
 に打ち出し、店頭で激しい販売戦争を繰り広げています。

▼ そんな中、この本を読むと、電機産業の縮図が見えてきました。
  シャープ・ソニー・松下電器の三つどもえの闘いの様子が書いて
 ありますが、私はシャープの意気込みに好感がもてました。シャー
 プの町田社長
はこう言います。

    1番大事なのはブランド力ですわ。ソニーさんは強い
    ですよ。独自のディスプレーがないからソニーは苦戦
    している、とみなさんおっしゃいますが、ぼくがソニ
    ーを率いていたのなら、キーデバイスなんか要らんか
    もしれん。そのくらい、ソニーさんには強力なブラン
    ド力がある。シャープ程度のブランド力なら、独自の
    キーデバイスが要るんです。いつかはソニーさんにな
    りたい、一流になりたい、ならんといかん、そう思っ
    てやっているんですからね。

  こういう意気込みを持っている方には好感がもてます。

▼ シャープの創業者は早川徳治さんです。
  1915年に早川式繰出鉛筆を発明します。そう、シャープペン
 シルのことです。当初名称は「エバー・レディー・シ
 ャープペンシル」でした。
  社名「シャープ」はこれに由来しています。
  世界に先駆けて、独創的な芯の繰出し装置を発明しました。
  発売当初は「軸が金属で冬に冷たい」「和服には向かない」
 と不評でしたが、欧米で大ヒットし貿易会社から大量に注文が入っ
 たことで人気に火が付き、国内の問屋筋からも取引の申し入れが続
 きました。
  早川さんの次の言葉は、あまりにも有名です。

    「まねされる商品をつくれ」

▼ 私の家のテレビは液晶テレビです。3年前に今の自宅に引っ越し
 する時に買い換えました。
  32インチですが、当時はかなり高かったです。
  今は32インチで10万円を切る製品が出てきたようで、技術の
 進歩に驚いています。
  液晶と言えば「シャープ」ですが、自宅のは松下電機産業のもの
 です。そう、パナソニックです。

▼ 「液晶」か「プラズマ」か悩みましたが、結局「液晶」にしまし
 た。
    ●液晶は長持ちする。
  30型~40型の液晶テレビは、機種も豊富で、消費電力がプラズマ
 の6割~7割程度と少なく、パネル寿命も一般的にプラズマの2倍程度
 と長いそうです。多少本体価格が高くても、長期的には経済的で、
 エコロジーにも繋がります。

    ●画像がやわらかく、見やすい。(そう、私は感じました。)
  通常のテレビ番組では、映画よりも明るいシーンが多いので、明る
  い映像の再現性に優れた液晶なら、従来からお使いのブラウン管テ
  レビに近い感覚で楽しめます。

▼ この本を読んで1番の学びは、「人間性」を大切にするシャープ
 の町田社長の言葉でした。

    ●私は技術のことは分からんです。分からんけれども、2003
     年9月や10月の時点では、亀山(工場)の連中は顔が歪ん
     そった。(笑)正直ですよ、顔って。よほどの悪人でない
     限り、本音は表情に出る。書類なんか見ててもわからない
     けれど、経営判断で1番確実なのは、社員の顔を見ること
     ですわ。

    ●映画監督の市川崑は、かつて王貞治が読売巨人軍
     の監督として結果を出せずに苦しんでいた際に、
     こんな名言を披露したことがある。
     「映画監督でも野球の監督でも、喜怒哀楽の『哀』
     を除く3つの感情を激しく表現できる人物こそ、
     名監督の脂質を持っている。王さんは哀の感情が
     表に出すぎているのではないか」
  
  やはり、感情を素直に表現するというのは大切なことなんです
 ね。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。 

10.松橋英司著『だから伝えたい』街と暮らし社2005年

2006年02月11日 | Weblog
▼ この本の副題に「聴覚障害者の半生」とあります。
  私のホームページには福祉のサイトがありますが、私は福祉の本を
 借りる機会が多いのです。
  手にとってパラパラとめくると、何と私と同じ旭川の方だとわかり
 ました。

    私たちは当時旭川に住んでいましたので、東京まで行
    くのに24時間以上かかりました。今では北海道と聞
    いてもそれほど遠いという印象はなくなりましたが、
    当時はまだSLが走っていた時代ですから、家族にも
    し何かあったとしても、どんなに急いでも間に合わな
    距離でした。

▼ 「孟母三遷」という故事をご存知でしょうか?
  これについて「広辞苑(第四版)」(岩波書店)にはこうあります。 

        孟母三遷の教え
    [劉向、烈女伝]孟子の母が、最初は墓所の近
    くにあった住居を、次に市場の近くに、さら
    に学校の近くにと三度遷(うつ)しかえて、孟
    子の教育のためによい環境を得ようとはかっ
    た故事。

  松橋さんの両親はまさび孟母三遷を行っているのです。
  昭和30年代に、長男と父を北海道の旭川において、東京に出てき
 ているのです。「日本ろう話学校」に入れて、3歳から教育を受け
 させたいという両親の願いでした。
  自分も親として、この姿勢には感心しました。学ばなければなら
 ないものがあります。

▼ この松橋さんが感銘を受けた言葉があります。高橋佳子さんとい
 う方の講演で聴いた言葉だそうです。

    「こうだったからこうなってしまった人生」から、
    「こうだったけれどこうなれた人生」へ、そして
    「こうだったからこそ、こうなれた人生」へと深化
    するのが大切

  なるほど、いい言葉ですよね。自分自身が変わることで、人生も
 大きく変わっていくということだと思いました。

▼ この言葉を聞いて、あるクイズを思い出しました。次のようなク
 イズです。みなさんも、答えを考えて下さい。

    ●美味しい水を飲むには、どうしたらよいのでしょ
     うか?

  ある人は「コンビ二で美味しい水を買う」と言いました。ある人
 は、アルプスへ行って水をくんでくる」と言いました。ある人は「浄
 水器できれいにした水を飲む」と言いました。

  正解は、「運動をして汗をかく。」なのです。

  汗をかくほど運動をした後の水は、とても美味しい水です。例え
 水道水であっても。
  つまり、自分が変わらなければまわりは変わらないんだというこ
 とを教えているのです。
  この本を読んで、こんな話を思い出しました。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
 なって下さい。