。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

白山ロード^^越前市-7 / 鯖江市-3

2015年05月23日 | 白山車窓景

平成27年5月18日参拝

・大塩 小白山神社 (福井県 越前市 大塩町) 
・南坂下 白山神社 (越前市南坂下町) 
上大坪 白山神社 (越前市上大坪町)

・水落 白山神社  (福井県 鯖江市上水落町) 





こん^ー^ ちは。 本日も晴天なり~♪ 
毎日お天気続きで^^洗濯物がよう乾いて助かります。
さて今日は、ラブレター^^恋文   こい(5)・ ぶ(2)・ み(3)  の日ですよねぇぇぇ~^^

なぁーんて言^^; 呟きながら、誰かさんの足跡をふらりぶらりと歩き始めるようになって
神社めぐりも早や今年でまるまる5年の歳月が過ぎました^^いやいや、まだやっと5年と言った方がいいのかもしれませんね~

今まで参拝できた神社数を辿ってもやっとこさの100社超えぐらい^^;;; まだまだの域です (なんたって@@ 県内の白山神社は400社以上ありますゆえ~^^;)。

NHK朝まれちゃんの口癖ではありませんが、これからも〝地道に こつこつ″ ですね(笑)。
さあ^^、本日より6年めとなる一歩を踏み出します。。。

 

 

大塩 小白山神社 (福井県越前市大塩町)    

そして、ええっ! まさか、まだこんな近場にと、すっ飛んで行ったのがここ大塩町です。こんもり小高い杉山を背にして、神社の前には我が庭かと思えるようなきれいに手がけられた畑が広がっています。神社近くへ行くには、車が入る道はありませんので畑の中の小道を歩いて神社前へ向かいます。

畑で作業をされていた方のお話を聞くと、この小白山神社は大塩町がお祀りされているというものではなくて、近くの集落班数件の皆様によって管理されているようです。鳥居はありませんが、昭和になって建て直されたお堂の周囲はきれいに草が刈られ、畑同様とてもきれいに手入れがしてありました。



そして、参拝後にカメラのレンズを覗きこんだ時でした!

三本の光の線がお社の屋根に!!! 

オォォーーー!!  これが噂に聞く 天の御柱なのかぁぁぁ!!!



さすがにそれは 一瞬^^;;;もう驚いたのなんのって! ついに私にも見えた!のか
と、ほんまにビックリ!!!でした(笑)。 でも、冷静になって顔をあげよくよく見上げてみれば、それは三本の杉の柱でした^^; ちゃんちゃん。 間近でみてるとお社ばかりに気をとられて、杉の木があることに全く気付いておらず一人して苦笑いです^^;;; 残念無念(笑)。

しかし、この天を仰ぎ真っすぐに伸びている三本の杉の木が御神木とされているのは紛れもないことで、本宮白山比咩神社のご祭神である白山比咩大神の、菊理媛尊(くくりひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱に見立てたものではないかと推測されます。

まあ^^; 「御柱」は誰かれにでも見えるものではないのであるからして、きっとこんな風にみえるのかもしれないね^^いつかほんな日がきたらいいねと、そんな優しさみたいなものを受け取ったようでとても嬉しく小白山神社を後にしました^^v めざせ!1000社? 私、生きてるのか??(爆)

更に、越前市で新たな白山神社を新たに 2社発見。そのままの足で車をとばす。




PS. 2017.1.7 
再び、参拝に訪れた。雪がないのんびりとした正月を過ごす。
キーンと澄みきった青空に飛行機雲、日野山の上には半月の月まで見える嬉しい空^^v




「日野山」は、養老2年(718年)に「泰澄」によって開山された
越前五山(白山・越知山・文殊山・蔵王山・日野山)の一つです。




◆ 南坂下 白山神社 (福井県越前市南坂下町)   

  

 

 

◆ 上大坪 白山神社 (福井県越前市上大坪町)   

 

 

 


 

◆ 水落 白山神社 (福井県鯖江市上水落町) 
  

鯖江市のど真ん中にあります。それも見過ごしてしまいそうな山の中にです。

ちょーど、賑やかな西山公園一帯の小高い山の裏山の方になるのですが、山一帯が公園としての散策路となっているようで登り口があちこちにあります。神社への参拝口は鳥居がある水落町の団地の方からになります。

石の社標裏に刻まれた説明によると、社号は鎌倉時代以前より白山神社または山白山と称えられ、木曽義仲上洛の時、水落村字沢山に旅陣を構え滞在せる折に薄墨桜の華麗さを和歌に詠んだと口伝えされているようです。昭和28年放火によって社殿を焼失したが、同30年に再建。昭和55年に境内を整備し参道の入り口を今のところに変更し大改修したとの事。

 
 

参道となる山道を進むと狛犬が迎えてくれます。更に奥に山道を登ったところに、神社へ向かう階段へと誘ってくれる第二の鳥居があります。

 



白山神社の社叢(しゃそう)

鯖江市指定文化財(平成24年4月29日/指定第126号)

養老2年(718)泰澄大師が当時に玉林寺(後の長泉寺)36坊を創建し、その山頂に白山権現を安置したものが現在の白山神社であるとされる。後に山本庄の氏神となり、大冶4年(1129)に神明社が遷都して来てからは二の宮となった。

この社叢は、長泉寺山北端の山中にある神社境内周辺に広がる、目通り300cmを超えるスギの群生である。このうち、北西部の1本が目通り400cmを超える大樹である。いずれもスギの樹齢は200~250年と推定され、社叢林として鬱蒼とした境内の景観を形成している。

 

                    

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白山ロード^^(あわら市-1)

2015年05月07日 | 白山車窓景

平成27年4月27日参拝

・公文 白山神社( 福井県あわら市公文 ) 
・玉木 白山神社 ( あわら市玉木1-3 ) 
・下番 白山神社 ( あわら市下善20-31 ) 
・中番 白山神社 ( あわら市中善31-8 )





GWも終わってしまいましたが、いかがでした^^楽しめましたか。まだまだお休みが続く方もいらっしゃると思いますが、もうそろそろ疲れも出てきますよって身体の休養に努めましょう。

今年より、あの目の回まわるようなGW時の激務から解放され、のんびりと過ごせる毎日を手に入れたのですが、現実のとこ結局どっこも行けずに草との葛藤でした(笑)。 まあ^^::: 今はじっと我慢だが、行く時は行くん=====333 だぁぁぁっぁと、大阪へ!!!(爆)

その話は置いといて^^;;; さて、三国町~あわら市へ サイクリングの続きです。。。

 

公文 白山神社 (福井県あわら市公文)  

堤防道をのんびり走りながら竹田川をさかのぼります。やっぱり、平地を難なく走れるって本当にありがたいワン^^; 二つめの橋を目印に川の向こう側に移動します。その橋を渡ったらすぐ左下に、まるでおちょきんしてるかのようにメルヘンチックな神社がちょこんと鎮座していた。

 

目の前には、広大な水田が見渡す限りに広がっています。こちら坂井平野は、田んぼどころでもあり田植えのちょーど真っ最中です。

 

玉木 白山神社  (福井県あわら市玉木1-3) 

 県道101号線を走る。ほんとに今日は雲っこひとつ無いサイクリング日よりの日本晴れ~♪炎天下のお天気となりまして、お昼をだいぶ廻ったこの時間帯の暑さにちょっといっぷくタイムです。

神社の境内には、玉木の集会所が併設されてありました。日頃なにかと集落の皆様が賑やかに集う機会も多いことだと思います。神様も淋しい思いをすることなく、いつもにこやかに見守って居てくださるんじゃないんでしょうか^^。見ればこちらにも、たぶん水神様を祀っていると思われる石の祠が並んでありました。

 

下番 白山神社  (福井県あわら市下善20-31)    天満神社(境内社)   

こちらの集落より、「下番」「中番」「上番」地区と続き、竹田川を挟んだ向こう地区は、「番田」という集落があります。でも白山神社があるのは「下番」「中番」地区だけなのですが、この「番」にはどういう由来があるのかしら? 遥か昔は、みんな一集落になっていたのかもしれませんね。

 

さて、こちらの拝殿前の扉には不思議な丸い文様が四つ付けられています。まるで満月の中にバナナ型の三日月がレリーフ的に浮き出ているような感じなのですが、何かのマークにも見えるこの模様は何かしらと首をかしげながら、隣に祀られてあった石祠にも手をあわせた時、その扉の模様穴をマジマジ見つつ、ああ^^なるほど~とその場で納得してはみたものの、

石祠の右扉には丸い満月の穴があり、左は下弦の三日月(二十三夜)です。石灯篭の明かり窓などによく見かけるアレです。たぶんに、本殿のレリーフは、これを重ね合わせた模様(三日月は間逆の形・夕方の月ですが・・)じゃないかと思うんですが、

しかし、そもそもこの石祠の穴の形にはどんな意味があるのでしょう?

 

いろいろ調べてみた結果まだあまりよくわからない部分もありますが、どうも、旧暦二十三夜の月を拝する月待信仰と関係しているようにも思えます。そんな風に太古の昔から人々は、行事や信仰をとおして太陽や月や星を眺め慈しんできたのでしょうね^^v 

んじゃ^^? あれは、太陽と月なんかもしらん^^???

 

中番 白山神社  (福井県あわら市中善31-8)  

下番の白山神社と同じような造りの神社である。しかし、こちらにはあのマークのようなレリーフが取り付けられていない。鐘の尾をいつものように振りながら参拝させていただいたが、拝殿の雰囲気が何か違うような気がしてよくよく気がついてみれば、段上がりの階段が無いのである。定かではありませんが、もしかしたら扉の奥が上がりになっていたのかもしれませんね。ちょっと注目してしまったのは、白山神社の額に書かれた文字ですが、何代目かの白山本宮々司さんの手に寄るものでした。

縁起碑より

当社は、伊弉諾尊を祭神としてお祀するもので、由緒は定かではないが、古い時代からの言い伝えでは人皇六十七代三条院の御宇長和四年(1015年)、一村のため水神として崇敬し勧請したと伝えられている。境内には、春日神社の鳥居先にあった樹齢千年を超す一本杉とほぼ同じような太さの杉の大木があったが惜しくも福井地震後に枯れてしまい、現在は社前に数百年を過ぎたタブの木が一本残っている。

これを思う時、遠く白山連峰から九頭龍川を通って流れ出る豊かな水は、住民の生活用水であり大切な水田をうるほす水であるから、この水を守って下さる神様として我々の先祖から親しく「おみしんさま」と呼んで崇敬してきたと推察される。因みに「おみしん」とは元亨釈書に「白山明神者伊弉諾尊云々」とあり、その御明神を詰めた言葉と考えられる。 

稲荷神社

当社は、倉稲魂命(ウカノマミタマノミコト)を祭神としてお祀するもので、昔は大味との村境一帯の水田には潭水が年中湛っていて稲作に非常に苦労したと伝えられていたが、元禄二年(1689年)に当区の旧家藤田甚右ェ門氏の先祖が農耕を守り家業の繁栄を祈って、京都伏見の稲荷大社の御神霊を勧請して、六十七字半左ェ門という地に鎮座したのが最初と言われている。以来区民は泓堂様(ふけどうさま)と呼んで崇敬していたが、昭和初期の耕地整理のとき現在の白山神社境内に遷座したのである。

昭和二十三年の福井大震災のとき両神社供倒壊寸前の状態となり、当時応急に社殿を造り祭っていたが昭和六十三年に至り、氏子一同の神社建立の機運高まり、翌平成元年に建設委員会を組織して建設に着手したのである。
この間に藤田甚右ェ門家の後裔藤田幸雄氏から稲荷神社造営のため格別の御寄進を受け、また氏子並びに有志者より多大の奉賛を請けて立派に竣工し、平成五年五月二十四日に目出度く落慶奉祝祭を挙行する。 ( 境内縁起碑より )

 

 

では、これにて^^ レンタサイクル白山神社めぐり終わらせていただきます。
長々と、ご拝読いただきありがとうございました。 これに懲りず、またご乗車下さいませ。

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