。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

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白山ロード^^後悔先に立たず(奈良)

2014年05月20日 | 白山車窓景

春のおどり観劇時の恒例となった白山神社詣出です。
今年も、昨日の松竹座観劇前に行って参りました。しかし、午前中に身動きができる範囲となったら限られてきますので、今年は、大阪に残した八尾市老原の白山神社か、今回参拝した神社かどちらにしよか迷ったのですが、やっぱ今回は^^桜花さん絡み御縁で奈良方面へ足を伸ばすことに決定!
早朝5時過ぎの列車に飛び乗ると、大阪経由で奈良方面を目指す。

 

◆ 福貴 白山神社 (奈良県生駒郡平群町福貴1551)  若宮社

 第二鳥居横にあった神社説明板より~

『 伊弉諾尊・伊弉諾冉尊を祀っていた福貴寺の神宮寺。明治初めに神仏分離で独立森垣内の小森神社と栗坪垣内の三十八社神(子守神社)を合祀して福貴大字全体の氏神となる。明治25年(1892)の明細帳には「或云白山大神」とみえる。享保14年(1729)奉納の慈尊山白山大明神の湯釜が伝わる。
 白山神社周辺が福貴寺の跡で、慈尊山福貴寺と号し、法隆寺の高僧「道詮律師」の隠居寺として栄え、盛時には六〇坊を数え、境内奥に、中ノ坊・西ノ坊等の塔頭跡が残る。
 弘法大師とも信仰があつく、伝燈大師と号して南都七大寺僧綱を兼ね、荒廃した法隆寺夢殿の再建を果たした。その功績から律師像(塑像:国宝)が夢殿の本尊脇に侍している。
  隠居後も、法隆寺の学僧等の請いを受けて毎年夏期に百ヶ日間三経を講じに往来し、民衆からは「福貴の道詮」と呼ばれて厚く慕われた。境内奥に近世の供養墓が祀られている。』

 

参拝したこの日は、神社にいられる滞在時間が限られていたこともあってせっかくの案内板にも目を通すことなく写真記憶に任せていたのですが、帰宅してからよくよくイロイロ調べてみたら、なんとまあビックリ!するばかりだったのでした。

  

鳥居をくぐり階段を昇った左手に社務所があり、正面に弥勒堂が迎えてくださったのですが、その中には等身大の塑像弥勒菩薩立像と木造道詮律師坐像が安置されているようです。
拝殿の右側には宮地があります。社の背後にある上池とともに古来より福良畑丘陵の水を集めて、社前を通る三条の水路によって山麓地帯一円の水田を養ってきた池だったようです。

 

そして、この本殿背後の小高い山の中に道詮律師の石造供養塔(宝篋印塔)が祀られています。道詮律師は、平安時代前期の高僧で、空海とも親交が深く、法隆寺夢殿の再建に努められた後、福貴に隠居し福貴寺を建立。法隆寺に通いながらも仏教を伝えたことから「福貴の道詮さん」と呼ばれ慕われていたとの事。法隆寺夢殿にはその道詮律師の塑像(国宝)が祀られているとの事。

そんな何もかも全ての事を、帰宅していろいろ検索してみた今になってやっと知ったのでした。今更くどいても仕方ないのですが、せっかくここまでたどり着きながら、道詮さんの供養塔に手を合わせこなかったのがどう考えても悔やまれました。せっかく、神様がこうして導いてくださったのにです・・・。 また、いつか 訪れなくては^^!

 

                   ~~~~~~~~~~~~ 

 

そうそう^^、平群駅へ戻る道すがら掲示板に張りだされていた標語に目が止まった!

しかし、感慨深く見入る余裕がなかった私は携帯にパシャと納めると先を急いだのであった。あまりに考えもなく急いだためか、生駒に向かう当てが外れ王寺に逆戻りしていく様に久々にやってしまったと即座に次の駅から生駒方面に乗り換えたのだが、次の列車が来るまでの時間を待つ間のなんと長く感じたことか (実際は10分少々だったかと思うのですが・・)。

そんな状況の中、腹が減っては戦ができぬとばかり^^; お昼にはまだちょっと早かったもののホームで握り飯をば^^ひとつ (笑)。そこへ、お迎えの電車が到着~、あわてて飲み込み飛び乗ったのはご想像のとおりで、その後、ゆっくり、ふたつ、みっつ~っと ・・(爆)

本日夜になって気がつき、携帯を開いてみたら、こんな言葉が・・・

    『 共に楽しむ 共に喜ぶ 共に味わう そして 共に生きる 』

さあ^^、もう一度ある観劇時は、心からうんと楽しもう~~♪

 


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