。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

泰澄幸村パワー

2017年08月05日 | 道案内所

猛暑お見舞い申し上げます。
ほ~んとに^^;暑い! 毎日熱っすぎますよね。いつまで続くんやろか・・・。

連日のこの暑さやも、集中力が続かずブログに綴りたい出来事が次々と溜まっていきます。
やっとこさ、奈良へ向かったDonko999の思い出を書き終え、まずは
、ほっと (^。^)y-.。o○ ゲホッゲホ~(笑)。



さて、続くお話はその翌週の事、7月26日お昼、主人から家へ突然電話がかかってきた。

電話を受けた瞬間は、主人が言っていることが理解できず用件がうまく呑み込めない・・・!?
楽しみにしていた大阪行き「幸村10周年ライブ」が2日後にもう迫っていた。

主人(6人兄姉妹)の一番上の義兄さんが、危篤状態???(なんで、なんで?二週間前はあんなに元気だったのに・・、主人と一緒にお昼寝用の簡易ベットをトンてんかんと作りに行っていたの。)
お兄さんはもう10年以上もパーキンソン病と戦っている。数日前に肺炎で入院したようなのだが、酸素吸入をしていて危ないので家族を呼んだ方がいいのではないかという医師からの言葉を受けての連絡だったようです。

ええッ@@??? お通夜、お葬式、、大阪、、、あ~ぁ、もうダメだぁあぁぁ~~~。

昼ご飯を済ませると、汗まみれゆえに夫の着替えを持って勤め先に車で走り、そこから一緒に病院へ向かった。先に到着していた義姉さん夫婦が談話室のテーブルでうなだれていた。義兄さんの奥さんは県外に嫁に行った娘さん達と連絡をとっている様子だった。そんな光景にやっぱ本当なのかと私は思ったのだが、主人は早くから腹をくくっていることもあって至って冷静を装っていた。

病室へ入る。長女の娘さんが付き添っていた。しかし、入った瞬間から受け取る雰囲気はどう見ても切羽詰まった状況とは捉え難く、死相はこの部屋のどこにも感じられなかった(お義兄さん、もしかしたら助かるかもしらん・・・)。酸素が充分にまわるようになったのか、徐々にこちらの言葉に反応するようになってきた。うまく言葉が聞き取れないもので意思の疎通は出来なかったのですが、夕方近くには顔色もよくなってきた様子に一同一旦自宅に戻って待機することになった。そこへ、大阪の娘さんがようやく到着。県外にいる兄さんの弟妹達も明日には駆けつけてきてくれるようです。

病院を二人で出ると主人が言った。「近くに白山神社があるでお参りに行かんか?」

そこは、白山を開山した泰澄の生誕地とも伝わる泰澄寺。主人も以前から泰澄さんのことを調べていたようで前々から行ってみたいと思っていたようです。なんと、境内に白山神社も祀ってあるとの事。

大師堂でお参りをしていると、鐘の音を聞きつけたご住職が現れて大師堂の中へ案内して下さった。

暫らく泰澄大師の説明を伺う。この大師堂はご住職の亡くなったお母さまがづっとお守をされていたそうで、今はご住職が管理されているようです。裏の池に出る湧き水は眼の病気に御利益があるとのことで、大師堂内には大小様々な奉納絵馬が壁一面に貼り付けられてあった。まだお母さまがお元気だった頃、癌を患った方が熱心に願掛けにお参りになって癌を克服したというお話も伺いました。それを聞いて、主人が実は・・・と話し始めたのです。

もう夕刻も遅かったこともあり、ご住職にお礼を申し上げると、広い境内をぐるっとまわりながら白山神社へも参拝してきたのですが、ここへは、また改めてお参りに来なくてはと思いながらの帰宅する。

帰りの車の中で二人、きっと泰澄さんの御利益があることを望みながら、せめて後一週間はもって欲しいなぁ~と話していたところ、次の日にはもう、お義兄さん持ち直したと連絡を受けた時の喜びようはなかったです。

げんきんなもので、即刻^^いざっ!と、翌日に迫った大阪行きの切符を買いに走りましった(笑)。

マジ凄いです!泰澄大師様。
いや、ここは幸村パワーやろか??? でも、主人の力が一番かもかも~☆

そんなお陰を持ちまして、「幸村10周年ライブ」に^^いざっ!と馳せ参じることができたのです。

ホント^^もおぉっぉぉぉぉ~~~@@とっても信じられないこの展開はマジ凄過ぎます!!! 

主人は、一か月早くやってきたお盆のような日々に集まった姉兄妹衆で喜んでいました。
お義兄さんはまだ暫く病院で様子をみなくてはいけませんが、ほやけど^^とにかく良かったあ~。お義兄様^^がんばってくださって有り難うございます。私どうしても行きたかったの幸村^^嬉し~♪ 


さあ、いざっ!へ いざ参ろうぞ!!!(でもUPするんは、まだちょっと先になりそうですm(__)m)





追記。。。8/26

真言宗智山派 白鳳山 泰澄寺 について調べていたら、凄いことが判明した!!!

大師堂にある御本尊「泰澄大師坐像」は、泰澄が35歳の時に白山へ向かうにあたり、案じる母親に自身の身代わりとして刻んだといわれています。17年ごとに御開帳、次回は平成33年の予定。

そして、もう一体泰澄大師坐像が伝わっている。こちらも泰澄自作といわれ、廃仏毀釈を逃れて個人宅に秘蔵されていたものがお寺に寄進され、福井県指定文化財となった関係で現在は福井市立郷土歴史博物館に寄託されているそうなのですが・・・、

なんと^^! 白山開山1300年を記念し里帰りしていました。
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:xgpxlHwRCTIJ:https://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-CK2017071202000040+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

『 奈良時代の僧・泰澄の生誕地に立つ泰澄寺(福井市三十八社町)で11日、誕生祭が営まれた。今年は泰澄が白山を開山してから1300年に当たるのを記念し、泰澄が自作した自身の像との言い伝えのある県指定有形文化財の「木造僧形坐像」が6年ぶりに寺へ里帰りした。
  座像は758(天平宝字二)年、越前市の大虫神社にこもった際に、自身の像を彫って安置したとの言い伝えが残る。明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)で難を逃れるため、現在泰澄寺の檀家総代を務める堀邦英さん(86)=鯖江市杉本町=方で保管されてきた。
  堀さんは2008年に座像を泰澄寺に奉納したが、盗難などを防ぐため10年からは福井市立郷土歴史博物館で保管されている。住職の大黒隆伸さん(41)の提案で、この日に限り寺に戻された。11年にお披露目されて以来という。
  この日は、地域住民ら百人近くが参拝に訪れた。誕生祭では座像を前に大黒さんらが般若心経などを唱えた。大黒さんは「白山開山千三百年を機に、たくさんの人に座像を見てほしい」とあいさつ。参拝者らは座像に近づき、手を合わせていた。
  堀さんは「危ないので普段は博物館に保管してもらっているが、本筋では泰澄寺にあるべきもの。座像を迎えて誕生祭ができるのはうれしい」と喜んだ。 (中日新聞プラス / 2017.7.12)』


 

誕生祭で泰澄寺に里帰りされた木造僧形坐像はその日限りだったとしても、大師像のパワーはあの日もまだ大師堂の中に残されていたんだと信じたいと思います。 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『Shine ~2人の響奏~』 | トップ | 真一文字 »

コメントを投稿