。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

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白山ロード^^福井市-15

2018年07月19日 | 白山車窓景

平成30年7月16日参拝   

・毛谷黒龍神社     (福井県福井市 毛矢3丁目 8-1)  白山神社/境内社
・小山谷 薬師神社(福井市 足羽町4-15 / 小山谷町9-14)  白山神社/合祀
・学 園 白山神社  (福井市 学園町3-6)
・東下野 足羽神社(福井市 東下野町8-65 ) 白山神社/境内社
・西下野 白山神社(福井市 西下野町8-24)
・久喜津 白山神社(福井市 久喜津町77-10)




福井市にある足羽山。山全体が公園として整備され市民の憩いの場となっていて神社も多く鎮座しているのですが、突如、その中に白山神社もあることが浮上してきた^^;;;その方によれば、中腹にある藤島神社のすぐ前の道路下だという。地図で調べてみれば、なるほど^^あるある。見つけたとなれば善は急げ!!! 三連休の最終日、主人の運転で午後から福井市へ車を走らせた。

 

◆ 毛谷黒龍神社 (福井県福井市毛矢3丁目8-1) 白山神社 / 境内社

NHKの大河「真田丸」で賑わった今から2年前、大坂夏の陣で幸村を討ち取った松平忠直卿家臣・西尾宗次(仁左衛門)の菩提寺「孝顕寺(こうけんじ)」が、足羽山の麓にあることを知るやいなや、主人とふたり福井の街中まで出た際に訪れたことがあるんですね。その時、真向かいにある毛矢黒龍神社の駐車場をお借りしたこともあって、その後に神社参拝がてら散策して帰ってきたのですが・・・。

すると、ななんとまあ@@;;; 今頃になって、白山神社がこの「毛矢黒龍神社」の境内社になっていたことを知る(アホぉ~)。

境内から足羽山(藤島神社)へ上がる遊歩道があり、その途中に白山神社があるらしい^^;;;

しかし、今年の夏は連日この通り記録更新する猛暑が続く日々、参拝したこの日も例外ではない。この炎天下の下を歩いて登って行く元気はとてもなく車で藤島神社まで行く近道を選んでしまいました。



(この時はまだ境内社だとは知らずに参拝しておりました~あしからず^^;;;)

足羽山の中腹、新田義貞公の御霊を祀る藤島神社前の道路脇石垣下にひっそりと鎮座する白山神社。
道路脇の散策路を少し下った平地に鳥居が見えてくる。

~境内案内板より~

『 当神社は、万延元年(1860)世は太平と云え、水害、災難、飢饉、疫病と相次ぐ苦難に、人心の疲弊甚だしきを、見るに忍びずと。福井発祥の地に、古くから住む、神仰の篤い、石坂町内の石扱い役らの発起で、ひたすら神の護持による、安泰を願い、加賀の白山神社から、御分霊十神を、茲に、お迎えして、合祀、白山神社を建立した。

 以来、付近に頻発した、五百、八百戸と、焼失の火災を始め、橋南一体を、灰土と化した、大火にも、氏神の加護で、当町内は類焼を、免れていたことは、余りにも有名で、火除けの神とも仰がれ敬神の念いよいよ篤く。昭和二十三年の福井大震災で、荒壊した、境内も、三年後、盛大に修復報告祭を行い、父祖より受け継ぐ、春秋二回の祭事は、厳粛に取り行われている。

 尚、祭神は、荒神と畏れられ、境内に神々の声が満ちていると伝えられている。現在、火除けの神と汎く、知られ、遠来の崇敬者も多い。
石坂上町々内会・石坂中町々内会 平成14年10月吉日建書 』

 

 

 

小山谷|薬師神社 (jinja-fukui.jp)(福井県福井市 足羽町 4-15 )   

 白山神社 / 合祀


 祭神 / 大己貴命 伊弉册尊 少彦名命 菊理姫命 
 
明治の「神社明細帳」に引く古老の伝承によれば、当鎮座地が往古は足羽神社の神供田地であり、社殿はなかったが、慶長2年(1597)民相議って、薬師・白山の2社を創立した。現在、白山神社は合祀されている。
http://www.asuwajinja.jp/kenmu-asuwa.htm

神社前の石柱社号標には「薬師神社」とあるが、鳥居と拝殿扁額には「薬師神社・白山神社」と二社明記されている。

 

拝殿   

本殿   

本殿左手奥には石の祠が祀られていた。
 

 

 

◆ 学園 白山神社(福井県福井市 学園町 3-6)

福井工業大学敷地の裏手に隣接するような形で背を向け神社が鎮座している。
境内中央に御神木イチョウの大木がそびえ立つ。 社殿右手前に境内社一社あり。

 

 

 

 

福井県神社庁|足羽神社 (jinja-fukui.jp)(福井県福井市 東下野町 8-65 )   

白山神社 / 境内社

御祭神祭神  
継体天皇 菊理姫命 勾大兄皇子 伊弉諾尊 伊弉册尊 少彦名命 大名己貴命 


社伝によると、継体天皇が潜龍の時、九頭竜川の流れを安居山麓から坂井港に注ぐという治水工事を御計画になり、この際この下野で御休憩をされたという。その古伝によって、その御功績と御神徳を仰いで足羽神社の御分霊を奉祀したという。
http://www.asuwajinja.jp/kenmu-asuwa.htm


鳥居から長い杉林の参道が続いている。
 

足羽神社(拝殿・本殿) 
 
 

境内社 / 白山神社(本殿左側)
 

  

 

西下野|白山神社 (jinja-fukui.jp)(福井県福井市西下野町 8-24)

祭神 / 伊弉諾尊 伊弉册尊  

社伝によると、往古は伊弉册尊を祭神としたが、この川上(旧清水尻村堂ノ前)の伊弉諾尊を祀る社が、水害によって流され、神像も西下野の河端に達したという。その時この神像が竈馬虫(かまどうま:コオロギ)数万匹によって守られていたため、村人がこれを白山神社に奉祀したという。後にこの淵を、「コオロギ淵」と言ったと伝えている。
http://www.asuwajinja.jp/kenmu-asuwa.htm




 

 

 

久喜津|白山神社 (jinja-fukui.jp)(福井県福井市久喜津町 77-10)

久喜津は、越前地方では極めて珍しい輪中(集落を堤で取り囲む洪水対策)集落でした。

日野川の堤防上から久喜津集落の神社を望む。

 

 境内横には「越前輪中の里」と明記された量水塔の施設が隣接している。


久喜津に伝わる古記録によると、江戸時代の初めごろまでの集落は、現在の場所より八丁(約872m)程南にあったが、土地が低く水害に悩まされ、正徳6年(1715)に福井藩の「格別の御評議」によって、集落・神社共に現在地へ移っている。その際、藩によって集落を取り囲む堤が造られ始め、享保3年(1718)3月7日に3年の歳月をかけて輪中が完成。明治33年(1900)からは、九頭竜川・日野川・足羽川の大改修工事が開始され、大正11年(1922)度までに、現在見られるような大規模な堤防が築かれていった。
http://www.fukui-rekimachi.jp/b_siseki/f_kukizu.html



 



本殿右側の石祠

本殿左側の石祠

 

 

この度の西日本豪雨災害による被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
並びに、復旧作業に従事されている皆様の安全と被災地の一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

 


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