安曇野ひつじ屋 裏のブログ

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会社を辞めたくなったら

2020年09月14日 | ネコの写真

まず、辞表を出す日を決めましょう。
3ヵ月後とか、半年後とか。決めた次の日から毎日、
職場のみんなに元気にあいさつするようこころがけます。
特に苦手な人にこそ、自分から話しかけます。
もう辞めると決めたのですから、とにかくかまわず元気よく。
辞表を出す日まで、まず、続けてみます。














服部みれい『なにかいいこと』より

ハウラー橋を渡ったのはまだ薄暗い刻限だった

2020年09月14日 | 旅の写真
ハウラー橋(コルカタ=インド)

ハウラー橋を渡ったのは、まだ薄暗い刻限だった。
渡ってしまえば、ちょうど市場が店開きした頃で、
朝の野菜を満載した籠が歩道にずらずらとならんでいた。
大きな都心を突っ切って、ダルハウジーの方角へ、チョウリンギーを進んだ。
プリンス・アンワル・シャー・ロードを越えて、いよいよトリーガンジに着こうとすると、
すっかり明るい一日が始まっていた。

市街は記憶にあるのと同じだった。
自転車式のリクショーが道路にひしめいて、
その警笛の音がスバシュの耳には雁の群が騒いでいるようにも聞こえた。
このあたりの混み具合からすると、大都会というよりは小さな町に来たような気がする。
ビルは低層で、それほど建て込んでいない。
市電の発着所が見えてきた。














ジュンパ・ラヒリ『低地』より

別腹

2020年09月07日 | 安曇野の風景

セブン-イレブンのレジの前で大学生らしい男の子が二人で喋っている。
「別腹ってほんとにあるらしいっすよ」
「ええっ、まじかよっ」
「ほんとっす。人間の胃袋ってひとつじゃなくて、何個かあるらしいっす」
「まじかよ••••••」














穂村弘『にょっ記』より

あのさ〜

2020年09月06日 | ネコの写真

横断歩道のむこうとこっちで、小学生の女の子たちが話していた。
むこうは一人。
こっちは二人。

こっち「ぜったいぜったい秘密だよ〜」
むこう「わかった〜」
こっち「家族にも云っちゃだめだよ〜」
むこう「わかった〜」
こっち「おとうさんにもおかあさんにもだめだよ〜」
むこう「わかった〜」
こっち「おねえちゃんにもおじいちゃんにもおばあちゃんにもだめだよ〜」
むこう「わかった〜」
こっち「ぜったいだよ〜」
むこう「あのさ〜」
こっち「なーに〜?」
むこう「猫にはいい〜?」
こっち(二人で相談して)「いい〜」














穂村弘『にょにょにょっ記』より

初めに自然に幸せがあった

2020年08月31日 | ネコの写真

初めに自然に幸せがあった、
不幸せはその後の不自然な人間社会から現れた。















谷川俊太郎『幸せについて』より

そういうじーまみ豆腐だった

2020年08月29日 | 旅の写真
波照間島

八時、九時とまわっても、お客さんがこないときがある。
そんなときはおばちゃんとビールをさしつさされつ、おしゃべりに花を咲かせる。
わたしの母のこと、政寛さんのこと、戦後東京にいた沖縄人、むかしの沖縄の暮らし。
しだいにおばちゃんはご機嫌がよくなって歌をうたいだす。
女学校でならった文部省唱歌や沖縄では誰もが知っている「えんどうの花」。
いっしょになってうたって、さらにビール。

そのころつとめ人をしていたわたしは、ねえ、おばちゃん、わたし、
つとめをやめてライターになろうと思っているの、と相談したことがある。
おばちゃんはひとこと「そうしなさい」。
あんたはつとめにむかないよ、あちこちいろんなところに行って、
いろんなこと書けばいいさ、と即断であった。

「わたしはねえ、料理をつくるのがほんとうに好きさ。じぶんなりにくふうして、
手間はかかるけど、思っていた味になるとうれしいよ。
ちいさいけど、じぶんの店でやってきたんだ。あんたも好きなことをして、じぶんの力で生きなさい」

そう励まされた。仕事を丁寧にしていれば、いつかいいこともあるよ。
おばちゃんのじーまみ豆腐はそういっているように思えた。
女ひとりでいっしょうけんめい生きてきた。
そういうじーまみ豆腐だった。















与那原恵『わたぶんぶん』より

彼らがそれを好まなければ熱心に学ばないだろう

2020年08月25日 | ネコの写真

子どもたちには、自分が愛するものを追求させた方がいい。
親は子どもたちに「これを学ぶべきだ」と言うことができる、
しかし彼らがそれを好まなければ、熱心に学ばないだろう。














ジム・ロジャーズ

そんなその人がいるのは幸せだ

2020年08月24日 | ネコの写真

目の前にいなくても、その人がいると思うだけで幸せになれる、
そんな「その人」がいるのは幸せだ。














谷川俊太郎『幸せについて』より

本当すぎて嘘っぽい

2020年08月21日 | ネコの写真

成功したIT長者が素敵な家で素敵な家族に囲まれている写真なんか見ると、
つい羨ましくなっちゃったりするけれど、そういう人が幸せであるとは限らない。
当人が自分は幸せだとかんじることができたら、外の条件がどうであろうと、
その人は幸せなんだ。でもこんな言い方は本当すぎて嘘っぽい。















谷川俊太郎『幸せについて』より

父のようにわたしを愛してくれるひとはこの世にほかにいない

2020年08月18日 | 旅の写真
竹富島

庭に鳳仙花の花が咲いている。
この花を沖縄では「てぃんさぐぬ花」といい、その題名の民謡もある。
むかし、鳳仙花は女のひとの爪をマニュキアのように染めるもので、
このように親のいうことも胸に染めなさいという歌詞なのである。
そんな意味を知らず、母に教えられたとおり口ずさんでいると、父がぽうぽうをはこんできてくれる。

ぽうぽうという音の響きはその味のように甘くやさしい。
父のようにわたしを愛してくれるひとはこの世にほかにいない、
そのことをわたしは知っていたと思う。














与那原恵『わたぶんぶん』より

自分は猫が好きである

2020年08月16日 | ネコの写真
石垣島

自分は猫が好きである。
どれくらい好きかというと、例えば往来をしていて、駐車場の車の下に猫がいるのを見つけたとする。
と、もういけない。
その場にかがみ込み、見知らぬ通りすがりの猫に、
文字通り字義通りの猫撫声で、可愛いな、かしこいな、
と語りかけ飽かぬという体たらくで、まったくもって浅ましいことこのうえない、
というか、このことは自分の社会的評価にも影響する。
というのは、まあそうだろう、それまで世の中に面白いことなどなにひとつない、
とでも言いたげな渋面をつくって歩いていたおっさんが突如として地面に手を突き膝をつき、
可愛いなかしこいな、などと阿呆のごとき声を出すのである。
これを見ていた往来のひとが自分のことを、
おかしげな人、ファンシーな人と評価・判断するであろうことは容易に想像せられる。














町田康『猫にかまけて』より

きぬはおこって家出をした

2020年08月12日 | ネコの写真

ちょうどそのころ、夏のことで、おきぬさんにノミがたかっていた。
私はきぬのひるねしているところをねらっては、つかまえてノミとりをした。
それをそのとき、私の家に泊っていた女の子が、
私の旅行しているるすに、まねしたのだそうである。
きぬは、いやがって、女の子の手をひっかいた。
そこで女の子が、きぬをぶった。
きぬはおこって家出をした。













石井桃子『家と庭と犬とねこ』より

一生は短いんですもの

2020年08月05日 | ネコの写真

一生は短いんですもの。
やりたくないことに時間を費やすなんて、もったいないわ。














『ターシャの言葉 思うとおりに歩めばいいのよ』より

友人や恋人のように本もひとからおしつけられたものは

2020年08月01日 | ネコの写真

その夏、私は、病気で、千葉の小さい漁村の知りあいの家にあずけられた。
そのころは、宿題もあまりない、のんびりした時代だった。
そして、親たちも、夏休みの読書などといって、
本をあてがってはくれなかった、少くとも私の親たちは。
そこで、私は、宿題の帖面と着がえをもって、家を送り出されたのだが、
いった家には、村にはめずらしく、本箱があって
「巌窟王」や「シャーロック・ホームズ」や「浪六」がはいっていた。

私は、漁師の子どもたちとあそぶ以外の時間を
「巌窟王」と「シャーロック・ホームズ」を読みほおけてすごした。
「浪六」は、なんだか、おもしろくなかった。
次の年もおなじだった。
一年の間に前の年に読んだことは、すっかり忘れていたから、
「巌窟王」と「シャーロック・ホームズ」は、またまえとおなじ忘我の時間を私に味わわしてくれた。

いま、あのころの夏休みを思いだしてみると、
青い空と、いっしょにふのり取りをした漁師の子どもたちと、
「巌窟王」と「シャーロック・ホームズ」が教えてくれた、
自分ひとりでさがしあてたロマンスの世界が思いだされる。

パール・バックが、図書館に働く人たちの会合で、夏休みの宿題はやめよ、そうしなければ、
これからの子どもたちは、真の読書の喜びというものを知らないようになるだろうと、演説したそうである。

このごろ、どこの家にいってみても、親子もろとも、宿題にとっくんでいる。
私など助だちにたのまれても、ちっともわからない問題ばかりである。
それから、「子どもたちにどんな本を読ましたらいいでしょう」という質問を、いつも出される。

万人にむく本もあることは、ある。
けれども、多くの場合、友人や、恋人のように、本も、ひとからおしつけられたものは、
どうもありがたくないように思われるのは、私がつむじまがりなせいだろうか。
もし私に子どもがあったら、できるだけ、時間をつくって、私が小さいとき、夢中で読んだ本の話や、
いますきな本や、いま一ばん世のなかで関心のあることを話してやるだろう。
そして、いそがしいときには、その子の能力にしたがって、
自分で自分の本をさがしてもらうようにするだろう。















石井桃子『新しいおとな』より

私はいつも本がすきだった

2020年07月31日 | ネコの写真

いつごろから読書のたのしみというものが、人生にはいってくるのだろうか。
私のごく最初の「本」の記憶は、こたつで一ばん上の姉のひざにだかれて眺めた「舌切りスズメ」であった。
私の六つのとき、この姉は嫁いでいったから、これは、たぶん五つのときのことだったろう。

私は、もちろん、字が読めないから、
これは本を読むというよりも、絵をみたことになるのかも知れないが、
それでも私の興味は、あくまでも、動かないおばあさんの手の中のハサミなどにあるのではなくて、
動く物語、ドラマにあった。

あるページには、おばあさんと、そのそばに小さいスズメがいる。
それから、姉の手がページをめくると、そこには、
おじいさんとおばあさんだけが立っていて、スズメはいない。
そのときの私の悲歎。
私は、まがってくる唇をどうすることもできない。
姉の物語りはどんどん進んでゆくのに私は空遠くとんでいった小さいスズメのことを考えて、
胸がつぶれるばかりだった。
がまんにがまんをかさねたあげく、とうとうどっと涙を流して、びっくりされたことがあった。

こういう本におぼえた興味シンシンさは、いま、いい本にぶつかって喜ぶときの気もちと、
たいしてちがわないような気がするのに、五つの私といまの私の間には、
昔流に言えば、人生の大半が流れ去ってしまっていることを思うと、
まったく人生は夢のまだと思えないことはない。

私はいつも本がすきだった。
そのくせ、私はおどろくほど僅かの本しか知らない。
文学入門書などにあげられる古今の名著をほとんど読んでいない。
どうも幅のせまい私の頭脳には、たくさんの本がはいる余猶がないらしい。
それには、ごく僅かな友だちしか持たず、それでけっこう満足していることと、
どこか関連しているらしい。













石井桃子『新しいおとな』より