波照間島
八時、九時とまわっても、お客さんがこないときがある。
そんなときはおばちゃんとビールをさしつさされつ、おしゃべりに花を咲かせる。
わたしの母のこと、政寛さんのこと、戦後東京にいた沖縄人、むかしの沖縄の暮らし。
しだいにおばちゃんはご機嫌がよくなって歌をうたいだす。
女学校でならった文部省唱歌や沖縄では誰もが知っている「えんどうの花」。
いっしょになってうたって、さらにビール。
そのころつとめ人をしていたわたしは、ねえ、おばちゃん、わたし、
つとめをやめてライターになろうと思っているの、と相談したことがある。
おばちゃんはひとこと「そうしなさい」。
あんたはつとめにむかないよ、あちこちいろんなところに行って、
いろんなこと書けばいいさ、と即断であった。
「わたしはねえ、料理をつくるのがほんとうに好きさ。じぶんなりにくふうして、
手間はかかるけど、思っていた味になるとうれしいよ。
ちいさいけど、じぶんの店でやってきたんだ。あんたも好きなことをして、じぶんの力で生きなさい」
そう励まされた。仕事を丁寧にしていれば、いつかいいこともあるよ。
おばちゃんのじーまみ豆腐はそういっているように思えた。
女ひとりでいっしょうけんめい生きてきた。
そういうじーまみ豆腐だった。
与那原恵『わたぶんぶん』より