安曇野ひつじ屋 裏のブログ

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なにごとによらず目先の楽を考えて横着をすると失敗をすることが多い

2017年07月30日 | ネコの写真
マト

横着。とてもよろしくないことだと思う。
なにごとによらず目先の楽を考えて横着をすると失敗をすることが多い。
だからこそ人間はまめであらねばならず、
正月のおせち料理には黒豆の炊いたのが必ず入っているが、
それは今年も一年を通じてまめで働けますように、ということを祈願してのことで、
そういうことから考えても、やはり人間はまめであらねばならぬのである。

それに比して猫はというと、別段まめである必要はなく、
どちらかというと横着こそが猫の本質であるともいえ、
例えば勤勉な猫というのがいたら気色が悪いだろうね、
しゃきしゃき毛繕いをして、しゃきしゃき香箱をつくり、
元旦には黒豆を食べる、なんて猫がいたら妙だし、
あまり可愛いと思わない、そこはやはり猫は猫らしく横着にしていて貰いたいものである。



















町田康『猫にかまけて』より

自分は猫が好きである

2017年07月29日 | ネコの写真

自分は猫が好きである。
どれくらい好きかというと、例えば往来をしていて、駐車中の車の下に猫がいるのを見つけたとする。
と、もういけない。
その場にかがみ込み、見知らぬ通りすがりの猫に、
文字通り字義通りの猫撫声で、可愛いな、かしこいな、と語りかけ飽かぬという体たらくで、
まったくもって浅ましいことこのうえない、というか、このことは自分の社会的評価にも影響する。
というのは、まあそうだろう、それまで、世の中に面白いことなどなにひとつない、
とでも言いたげな渋面をつくって歩いていたおっさんが突如として地面に手を突き膝をつき、
可愛いなかしこいな、などと阿呆のごとき声を出すのである。
これを見ていた往来のひとが自分のことを、
おかしげな人、ファンシーな人と評価することは容易に想像せられる。

町田康『猫にかまけて』より




















沖縄・石垣島

間違ったことをしている人を見たら

2017年07月19日 | ネコの写真

間違ったことをしている人を見たら、
わたしだって間違いを犯したことがある、と思い起こそう。
欲深い人を見たら、わたしもかつてはそうだった、と思おう。

こうやって世界中のあらゆる人に自分との共通点を見いだせば、
自分の幸せと同じように、人々の幸せを願うようになるだろう。



















マハトマ・ガンディー