雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

私とソチ・オリンピック

2014年02月25日 | エッセイ


 私とソチ・オリンピック

 ロシアのソチで開催された冬季オリンピックも無事終了した。
 翌日のことを思い、深夜のテレビ生応援は控えたが、メダルの可能性がある競技ではテレビの前で物理的には届かない声援と非力ながら我が念力を送らせてもらった。夜中の2時だとか朝方4時、5時とかに目を覚まし、終了後は結果に興奮したり落胆したりしながら、さっさと寝床に戻るのだが、一度すっかり目が覚めてしまうと、今度は眠いのに眠れない。
 私も家人も、日頃はそれ程熱心にスポーツ観戦を見る者ではないが、オリンピックやサッカーの国際試合などは、例外的に深夜であろうと生で応援してしまう。今度のオリンピックも主婦である家人は、メダルの可能性のある競技は予選の段階からチェックし、家事をしながらテレビ観戦を通じて応援している。翌日の仕事や車の運転に支障があるといけない、でも生で応援したいという私は、メダルの可能性のある競技で日本人選手がいよいよ決勝に進み、ここでメダルが決まるかもしれないという直前に家人に起こしてもらった。単身で仕事先に泊っている時は、携帯電話で知らせてもらう。おかげで今回のオリンピックでは、8個の全メダル獲得の瞬間を効率よく生で応援することが出来た。
 意外だったのは開会式が良かったこと。名門の有名らしいバレエダンサーやボリショイ・サーカスの団員が参加したセレモニーは、最新の技術を駆使した音や光や映像も効果的で、美しくも芸術の香りのするすばらしい演出だった。メインのテーマになっていたロシアの歴史にも登場したが、考えたら「罪と罰」のドストエスキー、「戦争と平和」のトルストイ、チェーホフ、ツルゲーネフなどの文豪、チャイコエスキー、ラフマニノフ、ムソルグスキー、プロコフィエフ、ストラビンスキーと言った音楽の巨匠、シャガール、カンデンスキーなど私も大好きな絵画の巨匠と、世界の芸術に大きな影響を与え、今も世界中の人に愛されている芸術の偉人を多く輩出しているのだ。迂闊にも私の中では今回の開会式を見るまで、ロシア=ソ連のイメージが強過ぎて現在のロシアと芸術が結びついていなかった。そんな目で見ると、開会式以外でも会場のデスプレイのデザインなども可愛い感じのセンスの良さが見られた。私の中のロシアのイメージがすっかり変わってしまった。
 競技で楽しみにしていたのは、団体競技のカーリングとアイスホッケー。すべての試合を観戦した訳ではないが、それぞれ数試合を堪能した。これらの競技を観戦するのは、オリンピックの開催以来の4年ぶりで、細かいルールや作戦などはほとんど忘れてしまっている。カーリングは「氷上のチェス」と言われるが分からないながらもドキドキしながらストーンの行方を追い、一喜一憂するジリジリとした展開が何とも言えない。アイスホッケーは、サッカーなどと違ってコートの外にパックと呼ばれる玉が飛び出すことが無く、連続して攻守がめまぐるしく変わるスピード感が魅力だ。札幌オリンピックの後にテレビで日本と外国チームの国際試合が放送されて、よく見ていた。こちらは「氷上の格闘技」と言われるが、もの凄いスピードで激突しあうのでほとんどの選手の前歯が無いと言われていた。観戦する方もついつい興奮して、気がついたら持っていたクッションがボロボロに避けていたことがある。当時一緒にテレビ観戦していた祖母が、パックのことを小さ過ぎて見えないと文句を言っていたが、今回は私も小さいパックを見失うことが多かった。
 金メダルの有力視されながらメダル無しに終わった真央ちゃんと沙羅ちゃんは何とも気の毒だ。沙羅ちゃんはまだ若いし、これから史上最強の選手になると私は思う。真央ちゃんには引退を撤回しもう一度金メダルにチャレンジしてほしいなと無責任に思ってしまう。
 ところでソチ・オリンピックでもう一つ、スノーボードの競技のスタート地点でコーチが編み物をしていた映像が強烈だった。画面を見ての疑問は、話題になってすぐに解けたが、1秒の100分の1の身体の動きを争うオリンピックの競技の中だけに、のんびりとした編み物とのミスマッチが忘れられない。
(2014.2.25)

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