雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

雪化粧

2013年01月29日 | ポエム

▲寒さの中、梅の蕾のふくらみが増し、やっと開花した。梅一輪の暖かさ。

 雪化粧
シフォンケーキにふられた粉砂糖のような
外はうっすら雪化粧
小一時間で消えてしまう
中途半端な雪化粧
早朝にみた僕の夢のかけら‥‥
(2013.1.3)

 全国的に西高東低の冬型の気圧配置で寒さがきびしかった週末。
 日曜の夕方、熊本市内でも暗くなってチラリチラリと白い物が落ちて来た。
 月曜の朝、出勤する際には、まさに今日の詩のとおり、車の屋根等にうっすらと雪が残っていた。
 日曜日は午後から先週に続いて、家の南側にある公園に接する側溝のつるやら落ち葉を整理した。今度もモズがやってくることを期待し、望遠レンズをつけたカメラを傍らに作業をしたが、先週は作業途中の掘り返した落ち葉の中の虫を食べに飛んで来たモズは、とうとう姿を現さなかった。人生、そんなものです。
 本日は今年作った一作目の詩を載せました。
 このブログも来月末で丸2年。
 一昨年は、2つの新作。昨年は5つの新作を作ることができました。
 3月23日の『春一番』、6月27日の『ホトトギス』、8月21日の『かげろう』、8月31日の『白い雲』、10月9日の『木犀』の5作です。よかったら読んでいただけたらうれしいです。
 会心作とは言えませんが、突然言葉が浮かんできました。
 ブログという発表の場があるからでしょうか?それだけでもブログを始めて良かったなと思っています。むかしのように、またよく空を見上げるようになりました。
(2013.1.28)
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モズとメジロとヒヨドリ

2013年01月25日 | ポエム
▲自作のミカン用のエサ台にやって来たメジロ

 モズとメジロとヒヨドリ
 20日の日曜日は、まずまずの天気でした。
 でも朝一番は美容室を予約していたので、心惹かれながらもまず髪を切りに行った。帰宅後はさっそく休日お決まりの園芸作業。プランターのパンジー・ビオラの花がらを摘み、水やりを兼ねて液肥をやり、草取りをした。
 お昼を食べ、男子都道府県対抗駅伝を見た後、また外に出て、南側の敷地のフェンスの外に伸び放題になっていた宿根アサガオやバラの小枝を整理した。
 この宿根アサガオは、知人から一株いただいて私が植えたものだが、とにかく繁殖力が強い。根元を切ったつもりでも、土に触れた茎の部分から新たな根が生えて来る。あっという間に広がり、花壇やフェンスや庭木を覆いつくしてしまう。いつの間にか敷地の外にも飛び火し、公園の側溝にまでツルと葉が茂っていた。さすがにこのところの寒さで葉が枯れたので、今のうちに整理しておきたいと思った。数年分のツルと葉は、大きなビニール袋に5つ分。それでも腰が痛くなって予定の半分は断念した。来週も晴れたらこの作業の続きだ。
 そんなつらい作業の中、ちょっと楽しかったのは、公園の側溝の泥揚げのコンクリートの上の、ツルをはぎ、腐葉土のようになった枯れ葉を集める私のすぐ近くをパタパタと羽音をたてて、モズがやってきたこと。掘り返した枯れ葉の中の虫が目当てらしい。
 人間の営みの中で暮らす鳥のたくましい知恵を感じた。
 最初は私から3メートルほど先に飛来し、私と目が合うと警戒したモズはすぐに飛び去っていた。それでも再び舞い戻って掘り起こされた土をあさっては何やらくわえて飛び去る。それを何度もくり返していた。考えたらモズの獲物となるカエルやほとんどの昆虫類は冬の間、土の下でじっとしているのだろう。掘り返された土と一緒に外に出て来た虫は、この時期多少の危険を冒しても無視出来ない貴重な獲物に違いない。
 彼か彼女だか、だんだんと大胆になってきて、私がしばらくじっと動かず見ていたら、最短で1メートルまで近づいてくれた。
 小さな野生とのふれあい。
 実家であり仕事場の上天草は、昔からミカンの栽培が盛んである。
 冬枯れの様相となった一月になると、余り木で私が作ったミカン用の鳥のエサ台を木に吊るし、半分に切ったミカンを数個、串刺しにする。水浴び用に水鉢も設置している。
 すると、チィチィという可愛い声を出しながら小さなメジロが数羽で連れ添ってミカンのエサ台にやってきて、汁をすすり、実をついばむ。スズメより一回り小さく、スマートな体型で、抹茶のような緑色の羽に覆われ、その名の通り、目の回り、人で言えば上下のまぶたの部分が白い輪になっている。私が小さい頃は、竹で作られたメジロ籠を軒先に吊るし、鳴き声を楽しむために飼っている様子が近所の家でもよく見かけられた。
 ところが、このエサ台には招かざる客が訪れ、メジロは飛び去ってしまう。
 姿も声も美しいとは言えないヒヨドリだ。
 冬場の農家が農作物の食害にあう、嫌われ者で、数日前の新聞にも、今年はヒヨドリの食害がひどいという農家の悲鳴が掲載されていた。
 ヒヨドリがやってくると、エサ台のミカンはあっという間に食べ尽くされ、皮だけになるか、皮ごと食べられてしまう。乱暴で、ミカンの半分は地面に落としてしまうし、小さな水鉢もバシャバシャと水を豪快にまき散らしてしまう。
 この実家の庭先のエサ台に来るヒヨドリは、兄の話しだと夫婦と1羽の子どもの一家らしい。兄は、仕事場のデスクからエサ台が見えるので、わずかな羽の色の違いや大きさの違いを見分けることが出来ると言う。
 兄はヒヨドリ一家が来ると、それでもあからさまに追い払うことはしないまでも、そっと庭に出るという嫌がらせをしている。
 ヒヨドリ一家の個体識別が出来ない私も、そんなヒヨドリがちょっと憎らしい気がしないでもない。でもヒヨドリもエサの少ない酷寒のこの時期に必死なんだろう。身体の大きさと姿や声の美しさの差で、人間の勝手なひいきの仕方だなあと、最近はミカンを食べに来るヒヨドリをそっと見守っている。
(2013.1.25)

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雪うさぎとスノーマン

2013年01月22日 | ポエム
 雪うさぎとスノーマン

 成人の日であった14日の祝日は、熊本は心配していた雨が早めにあがって時折陽が射すまずまずの天気となった。しかし急速に発達した低気圧の影響で東日本は思わぬ大雪となり、特に首都圏でも積雪があって交通機関が麻痺したとニュースで見た。なにより晴れ着姿に雨や雪は気の毒な限りだ。
 北国や日本海側の豪雪地帯の方には申し訳ないが、南国育ちの私はどうしても雪にあこがれを感じてしまう。道路の雪かきや屋根の雪下ろしは大変だろうと大いに思うのだが、一方ではそれでもうらやましい気持ちが自分の中にある。大人になった今でも、雪が舞うだけでうれしくなり、積もるとさらにじっとしていられなくて外に飛び出し、あちこちと歩き回りたくなってしまう。
 雪が降ること自体がめずらしいことなので、雪が積もることはさらにめずらしい。だから生まれてからこれまで、雪がたくさん積もった日の記憶が残っている位、特別な日となる。
 雪が積もったと言ってもせいぜい数センチのこと。雪だるまを作ろうとしても、雪玉をころころと転がすと、雪に面した地面の黒い土や草やゴミがついてきて、白い雪だるまからほど遠い、情けない姿の雪だるまになってしまう。
 私達は雪だるま作りを最初からあきらめ、大きめの平たいお皿やおぼんを借りて、その上に大きな葉っぱやトタンや車の上に積もった白い汚れていない雪を集めて小さな雪ウサギを作った。耳は南天の葉。目も南天の赤い実だ。可愛らしく美しい雪ウサギが出来た。
 高校を卒業して、美大の予備校に通うために上京して驚いたことの一つに、雪がある。東北や日本海側の豪雪地帯からはるばる走ってきた貨物列車の屋根の上に、4、50センチ程の雪が溶けないで載っていたこと。そして、上京して(実際に住んでいたのは千葉県市川市だが)経験した積雪は、お昼を過ぎても、夕方になっても、翌日も、日陰であれば数日間は溶けない雪が残っていることにも驚いた。
 南国育ちの人間にとって、雪は白く清らかで儚いものの象徴なのだ。
 毎年、クリスマスが近づくと、自分で編集したクリスマスソング集のCDを聴く。ケニーGやenyaなどいろんなアーティストの演奏するクリスマスソングやそれらしい雰囲気の曲を集めた中に、ピアノのジョージ・ウインストンが演奏するアニメ「スノーマン」の曲がある。
 「スノーマン」は、イギリスのイラストレーター、作家であるレイモンド・ブリッグズの代表的な同名の絵本をアニメ化したもので、日本では食品メーカーがテレビCMで使用して、一躍人気となった。私もそのCMを見て、その絵と、使用されていた曲「walking in the air」が大好きになった。
 ある少年が作った大きな雪だるまが生命を得て動き出し、少年と雪だるまは牧場を飛び立ち、街並を飛び越え、クジラや大きな船の浮かぶ海を飛んで、スノーマンの国でサンタクロースと踊る。夢のような楽しい一夜を過ごした少年がベッドの上で目覚め、あわてて外に飛び出し見たのは、溶けて消えてしまった雪だるま。夢だったかとガッカリすると、雪の上にサンタからもらったマフラーが‥‥。
 「walking in the air」は、スノーマンと少年が一緒に空を飛ぶシーンのバックで流れる美しい曲で、毎年クリスマスの頃になると、この曲を聴きたくなる。おそらくこれからも毎年聴き続けるだろう。
 一夜だけのスノーマンと少年の儚い交流が悲しいけど心温まる作品。
 小さい頃、私の作った雪ウサギはさらに儚く、学校から帰ると皿の上には、小さな水たまりに沈む2枚の南天の葉と赤い実が残っているだけだった。(2013.1.22)

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餅つきと餅と雑煮

2013年01月11日 | ポエム
▲我が家に古くからある正月用の松竹梅と鶴が描かれた皿。何か好きだなあ。

 餅つきと餅と雑煮

 昔はそれこそお正月の三が日はおせちと雑煮だけだったように思う。
 お店が年越しの前後1週間から10日は閉まったから、それ間のおせちを始め保存食の準備は大変だったようだ。現在のように年中無休のコンビニやスーパーマーケットは無いし、家庭に冷凍庫も無い。でもお正月は雑煮が続くことを子どもながらに納得していたし、それはそれで正月らしくて良かった。
 その前に、子どもの頃の年末の楽しみは餅つき。
 餅屋さんのグループが、餅米を洗って待つ各家庭を順番に回って、餅をついて行く。順番が近づくと先発隊が来て、ドラム缶で作った窯で大きな鍋にお湯を沸かし、湯が沸くとその上に重ねたセイロに洗った餅米を入れて蒸す。
 どういう拍子か、その炊き上げた餅米に香ばしいおこげができることがあった。それをおねだりして、塩おにぎりにしてもらい食べた。餅つきの日の最初の楽しみ。
 杵とうす等、餅つき道具一式を携えて餅つき本体が到着すると、女子どもは前掛けやエプロンをして縁側に並び、つき上がった餅を丸める。餡餅用の小豆餡もたっぷりと用意してある。その他に大根おろしと醤油の準備も怠らない。
 まだかまだかと持ちかねた餅屋さんが到着すると、すぐに餅つきが始まる。杵、3本体制の息の合った素早いリズムの餅つきだ。合間に餅の位置を修正したり、米粒が残る端の餅を真ん中に移動したりするのだが、誤って杵で手をついてしまわないかハラハラする。
 最初につきあがった餅は、餅屋さんが大きな鏡餅に整形する。
 次につきあがった餅は粉をふったモロブタに。大きな熱くやわらかい餅のかたまりを祖母が1個の餅の大きさに素早くちぎり、待ち構えていた母が丸めた餡のボールを1個ずつ入れる。さらに次に待ち構えている私ら子どもが小さな掌で団子状にゴロゴロと餅をまるめ、モロブタに並べる。最後にセイロ何個か分の餅米をつきあがったものが白餅となる。膨大な数である。
 餅を丸めるのに飽きた頃、作業の途中で、大根おろしをたっぷりと入れ醤油をたらしたものを大きめの皿に入れ、つきたての餅を祖母に要求する。すると、粉を打ったモロブタに入れる前に、祖母の指示で餅屋さんが大皿に突立ての熱くやわらかい餅を入れてくれる。熱々を手でちぎり、大根おろしと一緒に口の中に放り込む。粉がついていないことがミソ。
 この突立てのお餅を食べることが餅つきの最高の喜び。大根おろしのあっさりした味で、餅自体の風味が際立ち、いくらでも食べられそうだ。
 餅は、お正月の雑煮以外に、きな粉餅、醤油餅、海苔餅などにする他、鍋に入れて食べる。小学校の高学年になる頃には物資が豊かになり醤油餅にバターを付けて食べたりした。お雑煮以外は、小腹がすいたときの食間に食べるオヤツだ。これには現在の家庭では見られなくなった火鉢が付き物で、火鉢に餅網を乗せ、餅を炙って少し部分的に焦げるくらい箸で転がしながら焼く。しばらくすると、固い餅の表面を割ってぷーっと白くやわらかい餅が風船のように膨らむ。
 すぐに食べるのも美味しいが、祖母が焼いた餅を砂糖醤油に潜らせ、海苔をまいたものを、火鉢の渕において数時間たったものもまた美味しい。味がよくしみ込み、弾力のある、ほどよい固さが何とも言えない食感だ。火鉢があったからこそ美味しい食べ方で、作りおきし冷えたものを電子レンジであたため直してもこうは行くまい。
 大量の餅は正月をピークに日々、消化されていった。鏡開きで、かちかちになってヒビの入った餅をカナヅチと出刃包丁で小さく切り、ぜんざいに入れて食べる。さすがに冬と言えども南国天草では餅の表面にカビが生えてくることもあるので、それ以降、残った餅は「水餅」と言って、大きな瓶に水を張りその中につけていた。
 お雑煮は、ほとんど具は食べず、餅ばかりを何個もお代わりをした。
 「歳のしこ食べナッセ」と祖母や母に言われ、歳の数の餅を食べていたのは、何歳のお正月までだっただろう。今や1年に食べる餅の数は知れていて、もちっと物足りない気がしている。
(2013.1.11)

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1年の計は‥‥

2013年01月08日 | ポエム
▲小さい頃から馴染みの古い皿。丹頂鶴のシンプルなデザインが大好きだ。

 1年のけいは‥‥

 あけましておめでとうございます。
 年末から年始と余裕が無くてブログのアップができないでおりました。
 「今年こそはバタバタしない年末を過ごそう」と早めに作り始めた年賀状も、結局はいつもと同じように焦りながら宛名書きをして、締め切りに1日遅れの26日の投函になってしまった。郵便屋さん、昨年もスマンスマン。
 例年、30日まで仕事だが、昨年は29日で仕事納め。
 31日にこれまたバタバタとやっていた大掃除だけは、家人の言いつけで早めに済ませ、車2台を洗うだけで、大晦日はゆっくりできたからよかった。少しは進歩したのね。
 家族4人だけなのに、鹿児島の娘が仕事で帰られず、長男と3人で紅白歌合戦を見ながら友人から送って来た手作りハムやいただいた車エビの生や天ぷら、鴨鍋でお酒を飲みながら大晦日を過ごした。スパークリングワインの後に、息子と呑んだ日本酒のせいで轟沈。紅白が終わりかける頃覚醒し、鴨鍋の出汁で年越し蕎麦を食べる頃には「ゆく年来る年」の除夜の鐘。
 一人で水前寺まで初詣に行くという息子を送り出し、私はNHKで放送していたさだまさしの生番組を最後まで見た。
 元日はゆっくり起きて、(それでも9時には起きた)家人の実家へ。
 挨拶もそこそこに、おせちを前に機関銃のように次から次へと義母のおしゃべりが始まる。家人のおしゃべりは間違いなく母譲りだ。愛犬ノアのご飯を前にしての「待て」の心境。私や息子が聞いても仕方の無いような世間話が終わって、やっとお屠蘇にありつく。
 おせち料理は、自分で作らず買う家庭が昨年だったか50%を越えたと聞いたが、数年前から義母も買う派になって、以来地元の有名ホテルや料理屋、仕出屋のおせちを試し買いしている。でもどんなに豪華でも、せいぜい元日のみで2日にはあまり食嗜が動かない。初詣の途中で嗅いだラーメンのスープの匂いやカレーの宣伝の方に心惹かれる。
 


▲今年のおせちはまずまずの内容と味だった。

 家人が作るのは、黒豆、田作り、膾、筑前煮。
 来年は、我が家直伝の牛肉の入った昆布巻きを作ってくれるらしい。
 お雑煮も義母の家で義母の出身地博多風のかつお菜、塩鰤が入った雑煮を食べる。
 私の実家のお雑煮も同居し料理が上手だった母方の祖母の出身地唐津風の雑煮らしい。だから私は、純粋な熊本の雑煮を知らない。
 雑煮は夕食で食べることにし、おせちをつまみに朝から日本酒の熱燗をちびりちびり。幸せな元日。
 午後、サッカー天皇杯の中継が終わって近くの藤崎八幡宮に初詣。サッカーは応援していたガンバ大阪が負けたが、柏レイソルの初優勝もうれしかった。
 その後も、年賀状を見ながら、家人と義母のとりとめも無い会話を聞きながら、呑んだり喰ったりで夜まで家人の実家で過ごす。
 「1年の計は元旦にあり」というが、ひたすら酒瓶の空き瓶がたまった正月だった。
(2013.1.8)
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