雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

雲の国

2011年06月27日 | ポエム
 雲の国

風に流れる大きな雲よ
白く輝く大きな雲よ
あなたの見て来た知らない国の
はなしを僕に聞かせてください

( 僕は大空のような大きな心を持ちたいけど
 あなたの方が大きいにちがいない
 僕の心はあなたにさえ おどろいているのに
 あなたは大空をも覆うことができる )

たくさんのできごとをみてきた雲よ
それなのにあなたは 知らないふりをしている
僕をそこに行かせてください
大きな大きな雲の国へ
(1974)


そこにがあるから

 同じ高校を卒業後、芸大を目指して浪人中の仲良し3人組は、なぜだか年に数回は山に登った。山行きの同行者は、仲良し3人組に、同じ高校の美術部の3、4年上のM先輩と2年先輩のIさん、Tさん、そして高校は違ったが同郷の一つ年下のN君も加わることもあった。
 山行きのきっかけは、秩父へのスケッチ旅行だったと思う(全員が絵描き仲間なのだ)。
 中でも山への思い入れが強いのが、3人組のTちゃんだった。Tちゃんと歩いていると、しばしば散歩中の犬が電信柱に引き寄せられるごとく、公園の小さな山や、道ばたの工事現場のちょっとした土もりにさえ、登ってしまう始末だった。そしてまた、日本中の名だたる山の知識は半端ではなく、いつそんな知識を仕入れたのか、いつもは寡黙なTちゃんは、山の話になるとギラギラと目を輝かせて雄弁だった。
 スケッチブックや絵の道具を入れた大きな袋をそれぞれ抱えた一行は、そこに山があったために、散歩中の犬が電信柱に引き寄せられるごとく、Tちゃんにグイグイと引かれて、いつしか武甲山という立派な山の登山道を登っていた。
 登山者の別の一行が登って来る度に、我ら一行は、道を離れ、傍らの草むらに足下を隠し、「おはようございます」と言い乍ら、道を譲った。登山者の皆さんの立派な格好や本格的な装備に較べ、我らはもともとスケッチ旅行に来ていた、画学生なのだから、リュックならぬズタ袋はともかく、他の登山者に見られてはならぬのは、全員のサンダル履きだった。
 そんな調子で、絵を1枚も描かぬまま、我々はとうとう頂上をきわめてしまった。
 下山は、超人的なパワーの持ち主の一番年長のM先輩に引かれるように、少々疲れた残りの一行は、サンダルを引きづりながら、美しい眺めのポイントに到達する度に聞こえる
「わあーあー」というM先輩の大きな歓声に、
足早に駆け寄り、
「わあーあー」とやはり全員そろって歓声をあげるのであった。
 その調子で、サンダル履きで、岩のゴツゴツした下りの山道を飛ぶように進む超人M先輩は、慎重に歩を進める残りの一行からどうしても先を行ってしまう。
 そして「わあーあー」というM先輩の歓声に、遅れた一行が
「次はどんなすばらしい景観が現れたんだ」と、
疲れながらも期待を胸に駆け寄ることが続いた。
 姿の見えない超人M先輩の一段と大きな『わあーあー」がまた聞こえ、
一段と大きな期待を胸に駆け寄った我々は、思わず「わあーあーあーあー」と全員が思わず大声を出した。
我々が見たのは、大きな石から今にも滑り落ちそうになっているM先輩の姿だった。
 最後の「わあーあー」の応酬は、歓声ではなく悲鳴だったのである。
 その後は、さすがの我々も登山靴を求め、計画的な登山をするようになった。(2011.6.27)
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緑の光の中で

2011年06月23日 | ポエム
 の光の中で

今が真夏だったら
いいのですが‥‥
ひぐらしの鳴く高原の
小さな並木径で
ぼくは
木の根に腰をおろして
ぼんやりとしていたいんです

草のにおいをかぎながら
あくせく動く
いつもの自分を
そっとのぞいてみたいのです

さびしいくせに
ひとりが好きで
じっとしていたいのに
走り回って

そんな自分を
ちょっと笑ってみたいのです
(1974)


 片付けられない

 同じ高校を卒業し、芸大を目指して一緒に浪人した仲良し3人組の私とK君とT君。一番ハンサムだったT君は、男兄弟で育ち、女性に対しては奥手で、口もまともに聞けない位だった。
 帰省中のある日、T君からの電話を取り次いだ妹がくすくす笑っていた。
 急用で私の実家に電話したT君は、電話に出た妹に舞い上がり、「SですがT君いますか?」と、逆のことを言ってしまったのだ。
 私は、3人の女兄弟が。K君も2人の姉がいる。女兄弟がいるということは、小さい頃から兄弟の女友達とも触れ合う機会が多く、自然に女性とフランクに対応出来るようになる。T君は、その点、まるでダメで、1対1で女性と対面する状況は、考えられなかった。
 でも、3人の中で、1番お嫁さんが必要なのも、T君と思われた。
 料理はしない。洗濯を限界までしない。何よりひどかったのは、部屋の片付け、掃除だった。
 今のように、携帯電話は無いし、もとより固定電話をひくことは3人とも頭にもなかった。だからお互いのアパートの部屋を訪ねるときは、いつも突然だった。
 コンコンと、いかにも薄っぺらいT君のアパートの部屋をノックし、声をかける。
 ガタゴトガサカサと音がして、T君の声がする。
「散らかっているから1時間位して来てくれ」と言う。
「部屋が汚いのは、分かっているから、大丈夫だよ。入れてくれ」
そう、私が言っても、いつもT君は絶対に1時間以上は部屋に入れてくれなかった。
 そして、仕方なく1時間時間をつぶして再訪し、中に入れたT君の部屋は、1時間、何処を片付けたのだと首をひねるほど、汚かった。
 畳の部屋なのに、新聞紙やチラシや雑誌で畳が見えない。
 その新聞やチラシや雑誌の層が5センチはあるようだった。その中から発掘した卓袱台で作った料理を食べ、新聞やチラシや雑誌の層の上に布団を敷いて寝た。したたかに酔い乍らも、布団の中で、この部屋に私が入る1時間前は、どうなっていたんだろうといつも想像した。(2011.6.23)
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喫茶ルノワール人質事件

2011年06月20日 | エッセイ


 喫茶ルノワール人質事件
 先日、久しぶりに東京を訪ね、若い頃、その中の目白店を利用していた系列の喫茶ルノワールを見つけ、まだ続いていたのかと驚くと同時に、傘袋を見ると、いつも思い出す、喫茶ルノワール目白店でのエピソードを書いた。その喫茶ルノワール目白店には、もう一つ、エピソードがある。
 先日も書いたように、当時の私は、美大の浪人で、同じ高校から同じ美大予備校に通う、仲良し3人組で行動を共にしていた。喫茶ルノワールの客筋とはあきらかに違う我々は、たっぷりと暇な時間があるときで、もっともお客さんが少ない時間帯に利用することがあった。例によって、一杯のコーヒーで時を過ごし、「もう出てね」の合図であろうサービスの昆布茶を飲み終え、席を立つときになって、3人とも財布を予備校に置いている鞄の中に忘れて来たことに気がついた。
 そこで、仲良し我々3人組は、例によってジャンケンをし、負けた人が人質となって、予備校まで財布を取りに行く、往復20分ほどを待つことになった。負けて人質となったのは、傘袋事件の主役のT君だった。今度は事件等起きるはずのない、簡単な話だった。予備校まで行き、次に負けた一人が、3人分のコーヒー代を持って、喫茶ルノワール目白店に戻る。合図の昆布茶が出た後なので、かなり居心地は悪いだろうが、20分の我慢で済むはずだった。
 ところが、僕ともう一人のK君は、予備校に戻って、別のトラブルに巻き込まれ、その対応に追われるうちに、人質T君のことをすっかり忘れてしまうのである。
 今回は、さすがのT君も烈火の如く怒り、僕とK君を批難した。
 T君は、約束の時間を過ぎても戻らぬ僕たちをそれでも限界まで待ち、その後意を決して、一生懸命に店員に説明をし、後日支払いに来るからと、身分証となる予備校の生徒手帳を預けて放免されたそうである。
 僕たち二人も反省し、友情もそこで終わりかとも思ったが、翌日になるとT君は、変わらぬ友情を示してくれた。ただ内心は未だに分からない。(2011.6.20)
 
 


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さみしがりやと孤独

2011年06月16日 | ポエム

 さみしがりや孤独

私は、兄弟が多く、大勢の家族で育ったせいか、さみしがりやである。
だからと言って、賑やかな場が好きかと言うと、パーティーや繁華街の賑やかさは、苦手である。
人が多くて、わくわくするのは、初詣か祭りのとき位だ。
賑やかな場では、自分の孤独が際立ってしまうように、感じていた。
特に若いときは、回りに馴染めない、孤独な自分を意識していた。
胸を掻きむしり、のたうちまわるような絶望的な孤独な時間を過ごしたこともある。

仕事の関係で、週の半分は、一人の夜を過ごす。
そんな夜、55歳になった未だに、時々すーっと、
胸を掻きむしり、のたうちまわるような絶望的な孤独に陥りそうになる。
夕食を済ませ、風呂も食事の後片付けもしないで、知らないうちにうたた寝をして、
皎々と明るい電燈の下に、深夜に目が覚めたとき。
何気に見た映画のテレビ放映に引き込まれ、「終」のマークを見て現実に戻ったとき。
誰も側にいない。
電話をするのも迷惑な時間。
若い頃ならそこで心のバランスを崩し、
胸を掻きむしり、のたうちまわるような絶望的な孤独に陥ったに違いない。
そこは55歳。
誰かに会いたい、話をしたいと思う前に、
さっさと立ち上がり、皿を洗い、シャワーを浴び、布団を敷いて、
読みかけの本を開く。
人にたよらず、何かでごまかさず、自分の行動で自分の心のバランスを取り戻すしかない。

そう。私には、家族がいて、友人がいて、大勢の理解者もいる。
天涯孤独とかいう、孤独とはほど遠い。
人は笑うだろう。
もともと私の想いは、孤独なのではなく、単にさみしがりやなのだと。(2011.6.16)
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喫茶ルノアール傘袋事件

2011年06月13日 | ポエム



 喫茶ルノアール 傘袋事件

 先日、久しぶりに東京を訪ね、若い頃、その中の目白店を利用していた系列の喫茶ルノワールを見つけ、まだ続いていたのかと驚いた。雨の日にデパートやショッピングモールを利用すると、入り口に細長い筒状のビニールの傘袋が置いてある。傘の雫で店内が濡れないようにする配慮だ。その傘袋を見ると、いつも思い出す、喫茶ルノワール目白店でのエピソードがある。
 当時の私は、美大の浪人で、同じ高校から同じ美大予備校に通う、仲良し3人組で行動を共にしていた。今は知らないが、当時の美大の浪人生といえば、もともとジーンズにTシャツ、素足にサンダル、いかにも不潔な長髪というラフな格好の上に、服や顔や掌や腕や足には、デッサンで使った木炭の炭や、絵の具がついていて、テレピン油の匂いも染み付いていた。おおよその喫茶ルノワールの客筋とはあきらかに違っていて、そんな我々に対しても、変わらぬ態度で接客してくれた店員も、今思うと、おそらく内心は舌打ちしていたであろう。そこは、我々も少しは常識を働かせ、まずもっともお客さんが少ない時間帯に出没するのである。そしてコーヒーを飲み干した後も席を立たず、可能な限り粘る。すると、今は知らないが、当時の喫茶ルノワール目白店では、頼んでもいない昆布茶のサービスがあった。我々の少しの常識でもってさえも、そのサービスの昆布茶が「そろそろ出てくださいね」というお店側の意思表示であることは理解出来た。しかし我々の方は、最初から一杯のコーヒー+昆布茶を飲むつもりで、たっぷり時間があるときにのみ、喫茶ルノワールに踏み込むのだ。
 ある雨の日の、とてもとても暇だった我々3人は、喫茶ルノワール目白店に入った。入り口に傘立てはなく、各自の傘は、そこに置かれている傘袋に収納し、各テーブルに持ち込むシステムになっていた。
 その日は、雨脚が強く、3人の傘から滴り落ちた雨水は、たよりないビニールの傘袋にたっぷりとたまっていた。
 例によって時を過ごし、昆布茶をいただいた我々は、入り口のレジでお金をはらった。
 我々と入れ替わるように、ちゃんとした身なりの、中年の男女十数人のグループが入店して来た。
 3人の最後にコーヒー代を払った私が、出口に向かったとき、最初に支払いを済ませていたT君が入り口を背に、私とK君に身体を向けながら、傘から傘袋をはずすのがわかった。
 「あーっ」と思うのと同時に、私ともう一人のK君は、何食わぬ顔をして、小走りで店を出た。
 T君は、何を思ったか、何も考えなかったのか、傘からはずした傘袋をその勢いで、ブンと一回振り回してしまったのだ。
 ビニールが破れぬか思う程、たっぷりとたまっていた雨水は、レジ付近で店員の案内を、図らずも一列になって待っていた中年グループのほぼ全員とレジ機のあるカウンターをうまい具合に一列に襲ったと、その後T君に聞いた。
 T君を見捨て、いっしょに謝らなかった我々3人の友情は、それ位でひび割れることも無かった。

(2011.6.13)
 




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