木を植える
確か今の皇太子が御成婚をされた1993年に、南阿蘇の山小屋の敷地内にしだれ桜を記念植樹した。植樹を提案した父が立ち会った。
ここら辺がよいかと慣れないスコップで地面に穴を掘り始めた私に対して、
「そこはダメだ」と、父が指で上を示しながら言った。
見上げると、私が穴を掘ろうとした場所の真上には、電信柱から家屋への電気と電話の引き込みの電線が通っていたのだ。
わずか70センチあまりの桜の苗木に対して、地上から約4メートルの高さにある電線が、穴を掘る私には全く目に入らなかった。
30歳代の私にとって、数年後を予想する感覚はあっても、桜が成長して4メートルの高さに達する10年後か20年後には思いが至らなかったのだ。
私はそれが歳を重ねた年月に対する感覚かと、少し感動してしまった。
その桜は残念ながらすぐに枯らしてしまった。
しかし、その前後に植えた70センチほどのプラムの木の成長を見てきて、今や電線を越して6、7メートルに達していることを考えると、父の先見というか経験から来るアドバイスが正しかったことに改めて感心してしまう。
南阿蘇村の山小屋を建てた時分には、私の腰程もなかった背丈の隣地の檜の苗は、それこそプラム以上に成長し、林となって周りの風景を遮断し、敷地内にあった椎やケヤキなどのドングリの木もすっかり大きくなった。明るかった山小屋はうっそうとした林の中の隠れ家の趣となっている。それはそれで雰囲気は良かったのだが、日当りが悪く、屋根に覆いかぶさった枝や落ち葉が家を傷めはじめた。家のために今年、植木さんにたのんで思い切って木を7本伐採した。椎やケヤキは椎茸木に利用したいと思っている。
以前の私の上天草の実家の庭には、柿・桃・ビワ・梅・グミ・サクランボ・橙など実のなる木が植えてあった。庭に食べられる実のなる木を植えることは、父の望みだったと聞いていた。
私も同じ思いで、南阿蘇村の土地には、プラムとブルーベリィ、ビワとサクランボ、リンゴ、栗などを植えた。
リンゴは一度一個だけ小さな実がなって、とってすぐに食べたことがある。しかし味は今までで一番という位美味しいリンゴだった。でもしだれ桜同様、虫にやられてやはりダメになった。栗も枯らした。ビワとサクランボは枯れていないが実はほとんどつかない。プラムとブルーベリィだけは、年によって当たり外れはあるが、毎年のように収穫している。
今年はプラムの収穫は少なかったが焼酎に漬け、ブルーベリィは今までで一番の大収穫で、生で十分に堪能し、今朝も自家製のジャムを食べた。
「桃栗3年柿8年」と昔から植えて実がなるまでの年月を表現する。
小さい頃、「さるかに合戦」の童話に、カニのおにぎりをサルが強引に柿の種と交換し、仕方なくカニが植えた柿の種が成長して柿の実が実ると、またサルがやって来て柿の木に登り、もいだ柿の実をカニに投げつけて殺すという残酷な話があった。柿の種が芽を出し、実がなるまで成長する年月を想像し、子どもながらにそのはるかに長い時間の感覚について行けなかった思いがあった。ただし、物語の中では「カニにハサミでちょん切る」と脅かされた柿の木はみるみる成長するようで、子どものスピード感覚に話が合わせてあるようだ。
栗の3年や柿の8年だったら、来年の春の熊本植木市で苗を買い、また栗や柿の木を植えてみようかと間もなく57歳になる男は思うのである。地面だけでなく、10年後20年後を想像してちゃんと上を見上げて。
この歳になると、10年後はともかく、20年後の自分は生きているのだろうかと思う事もある。今更木を植えてもと考えないこともない。
「木を植える」ことで思い浮かぶ私の心の師の名言があるが、その言葉に従って、木は違うがもう一度栗の木を私は植えたい。
「明日世界が滅ぶとも、今日君は林檎の木を植える」~開高健。
(2012.10.26)