雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

反対の意見を聞くこと

2021年06月12日 | エッセイ
 私が人生のパートナーとして家人を選んで良かったと思うことの一つに、私の意見や発言に対して、安易に賛同しないことがある。
 私の家人は私の意見や発言を聞いてから「でもね」と反対意見を言うことが多い。
 若い頃は「なぜ一番近いパートナーの言うことにそうだねと同意してくれないんだ」と口を尖らせたこともあった。が、家人は私の意見や発言に仮に賛同の立場である時も「でもね」と反対側の立場に立った意見や発言を必ず付け加えることを忘れない。
 自分の一番の理解者に全面的な同意を得ることが出来ない苦しさやもどかしさは確かにある。が、その家人の反対意見によって私は自分が考えつかなかった意見を知り「なるほど」と思うことも少なくないのだ。さらに自分の言動を反省し立場を逆転してしまったり、立場は変わらずとも反対の立場を考慮した意見や発言をすることが出来る。
 この家人の態度は私に対してだけに向かっている訳ではなく、テレビの報道や情報番組などの出演者、政治家、登場するあらゆる人に対してもそうである。
 一方、私はどうか。
 小さい頃から周囲の大人を信じ、学校を信じ、テレビの報道を信じ、国を信じ、疑うことを知らなかった。鼻から正しいと信じて本当に自分の頭で考えて来たのかも怪しい。
 さらに鵜呑みにした意見をさも自分の意見であるかのように振る舞い発言をしてきた傾向がある。
 例えば、ある自治体の首長、議会の関係で考えてみる。
 議会の議員の構成が首長を支持する政党で占められていたとする。首長の政を誰か批判するのだろうか?大きな利権が生じるであろうある「作りもの」を作ろうとなった時に、そのことをチェックすべき議会が「いいね、いいね」で終始しては終わないだろうか?逆にもしかしたら、その「作りもの」の提案自体が同じ政党の議員達からの提案に首長が「いいね、いいね」で提案したものではないのかと勘繰ってしまう。
 そこに本来はチェックし批判する立場の野党議員の発言があれば、報道を通じて我々市民もその「作りもの」の提案をより深く知ることができる。それが仮に市民のためになる「作りもの」であったとしても、反対意見に耳を傾けることで、さらに良いものを作ることができるのではないか。
 安倍長期政権は、彼の健康問題で幕を閉じた。
 与党の独占状態である自治体と同じく、国民の自民党支持を背景にあまりに強硬な政権運営、国民に耳を傾けない不遜な態度が見てとれた。以前は与党の自民党内でもいろんな考えがあり、軌道修正が行われていたように思うが、安倍前首相の強さが周囲の誰もが何も言えなくなっていたように思う。それが私は怖かった。
 政治に対するいろんな疑問があったが、最近読んだ元熊本市長の幸山政史さんの本「下手と呼ばれた男の流儀」には県政だけでなく国政や政治や政治家そのものに対する答えがいくつか見つかって少しスッキリした。
(2021.6.12)


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