雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

先代貴ノ花と録画機能

2013年06月04日 | エッセイ

▲葉の形が好きで植えているワイルドストロベリィーにこの時期は毎日赤い小さなイチゴがなって、朝からヨーグルトといっしょに食べるのだ。

 先代貴ノ花と録画機能

 高校の頃、大好きだった大相撲の開催期間だけは、部活も早々に切り上げ、自転車を超特急でこいで、家まで突っ走った。午後5時前後に、その頃熱狂的に応援していた先代の貴ノ花の取り組みがあり、それをテレビで見たいためだった。そして相撲好きで、同じ貴ノ花のファンだった祖母と、大声を出しながら応援をした。
 家庭でテレビ放送の録画が出来ない時代の話だ。
 テレビの地上波は、平成23年の7月末にデジタル化された。その際にテレビを横長の薄型に買い替えたが、同時に地デジに対応した録画機を求めた。この録画機は、簡単な操作で番組の録画の予約や録画した番組の再生が可能であり、その後の私の生活習慣さえも変化させてしまった。
 それ以前もビデオやDVDの録画機を使ってはいた。が、何となく操作が面倒であることと、保存媒体であるビデオテープやDVDのディスクが、基本2時間、5倍速でも10時間程度しか記録出来ないこともあり、余程保存しておきたいという番組でないと録画をしていなかった。再生する場合も、どのテープやディスクのどの部分か、覚えておくかメモしておかないと見るのも面倒だった。
 今は、まず見逃したくないお気に入りの番組は、毎回自動的に録画できる機能を使って保存している。また朝から新聞のテレビ欄をチェックし、見たい番組があれば、単発で録画予約をする。番組宣伝を見て、すぐさま録画の予約をすることもある。このように実に気軽に番組録画をするようになった。
 理由は録画も再生も操作が簡単で、記録可能な録画時間も、ビデオやDVDと桁違いに増えたことによる。
 こうして録りためた番組は、都合のよい時間に再生して見るのである。
 こうなると、番組が放送されている本来の放送時間に見ることが少なくなった。テレビの前で、今放送されているチャンネルの中から、どれかを選んで見るという見方がほとんど無くなったと言ってもいい。見てもいいなと思える番組がなければ、録画リストからそのときの気分、視聴可能な時間によって番組を選んで、再生した番組を見るのだ。また録画した番組を再生して視聴するということは、電話にでたりトイレに行きたい時は一時停止し、どうしてもテレビを見続けられない事情が発生したときは中断して、違う機会に続きを見ることが可能だ。つまり自分主体で、テレビを視聴しているのだ。
 さらに民放テレビ局の経営を揺るがしそうな話しで申し訳ないが、録画した番組のCMは、ほとんどスキップ再生機能を使って飛ばしてしまうので、まず見ることがなくなった。民放の1時間番組は、そうやって見たくないCMを飛ばして見ると、実際の番組時間はかなり短縮されることが2つ目の利点。
 録画して視聴することの3つめの利点は、連続ドラマの復習が出来ること。最近は家人と共に歳をとったせいか、記憶力や理解力が明らかに劣ってきている。ドラマを見ていて頻繁に「?」が浮かび、夫婦の頭二つ寄せて協議してもわからない時が多い。そんな時、録画の再生ならば、ちょっと前のシーンをもう一度戻って見たり、前回の放送分をさっと見直して復習してから次回分を見始めることが可能だ。念を押し、復習をしてやっと内容を理解するのだ。
 もちろん、録画の欠点もある。生の放送の視聴と違って、見逃しても録画してあるという緊張感の無さが影響しているのか、再生中の居眠りが多いことだ。一人で見ているときなど、気がついたら居眠りをしていて、何度も場面を戻す操作をしなければならない。視聴者が、ある一定の時間を越して目を閉じていたら、再生中の番組が自動的に一時停止になる機能があるといいな(メーカーの方、これ、いいアイデアじゃないですか?)。
 こうして今や私にとって無くてはならぬ録画機。もし高校の頃、今の録画機があったら、私は大相撲中継を録画して見ていたに違いない。でもそしたら、祖母との生応援の楽しい思い出は、無かったのだと思うと、それはさみしい気がするけれど。
(2013.6.4)

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