雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

ヒモがからまる

2014年05月21日 | エッセイ

 ヒモがからまる


 週末は我が家の庭の芝生を刈る。4月からの半年間はほぼ週に1回の間隔だ。狭いながら電動の芝刈り機を使用し、その後、庭用の掃除機(ブロア集塵機)で刈られた葉を吸い取り作業が終わる。頻繁に芝刈りをする必要はないが、美しくなった芝生は自分でも気持ちがいい。その上、芝刈りをすると家人の機嫌がすこぶるよくなるので、言わば家人へのご機嫌トリの作業だ。
 どちらも電動の機械で、10メートル程の長いコードを庭用のコンセントに差し込んで使用する。モーターを使用するのでワット数が大きい防水仕様の丸くて太くて固いコードだ。屋内の掃除機と同様に使用する際は、このコードさばきがけっこう面倒だ。そしてモーターには芝刈り機は大きな刃が、ブロア集塵機には粉砕器がそれぞれ連動していてスイッチを入れたら常に危険な作業をしている意識が必要だ。何かトラブルが発生した際には、面倒だがまずスイッチだけでなく、コンセント自体を抜いてから点検作業を始める。電気が通じていなければ、電動機械が誤作動することは絶対無いからだ。
 この固くて長いコードをさばくのは、高速回転している芝刈り機の刃でコードを切断しないようにするためだ。実は初心者の頃、誤ってコードを切断してしまった経験があるのだ。この固くて長いコードを使っていて、いつも不思議に思うことが2つある。それは丁寧にワッカを作って片付けたはずのコードが使用する際に絡まっていることだ。丁寧に丸めたコードがなぜそんな絡まり方をしてしまうのだろうか。もう一つは運転中に小さな突起物にコードがひっかかってしまうことだ。引っ掛けようと思っても難しそうな小さな突起物になぜひっかかってしまうのか。本当に謎である。が、恐らくは力学的な原因がありそうな気がする。例えば、道路の交通渋滞の原因がトンネルの入り口手前での運転者の心理的な恐怖感であったり、視覚的に気かつかない上り坂であったりするように、このコードの2つの事象にも原因があるはずだ。だが理科系に疎いワタクシの凡庸な頭では、ただイライラしながら舌打ちをして絡まりや引っかかりを解くしか方法が無いのだ。
 絡まりと言えば、若い頃に母親から絡まったネックレスのチェーンを元に戻す作業をよく頼まれた。老眼の今は無理だが、若い頃はパズルを解くようなゲーム気分で複雑に絡まってしまったチェーンに挑戦した。
 その作業をしながら考えたのは、アクセサリーの箱に、首からはずして入れただけのチェーンが、なぜこのように複雑に絡んでしまうのか、ということだった。明らかに「はずして入れただけではこうならんでしょ」というような第三者の故意としか考えられない絡み方に遭遇する。恐らくは力学か何かは知らないが何らかの原因があり、科学的に説明可能な法則があるのだろう。しかし文系の原始人に近いワタクシの頭が出す推論は、妖精もしくは天使の悪戯の違いないと思うこと位だ。たまにあまりに複雑な絡みに遭遇するとイライラしてつい妖精や天使が悪魔に変わってしまうこともある。萩本欽一ではないが心の中で「なんでこうなるの!!!!!」と叫んでしまうのである。
 絡まりの不思議と言えば、もう一つ、ワッカになって保管されている細い針金を使用するとき。これがまたすぐに絡まってしまうのだ。その絡まりを解こうとすると益々大変な状態となってしまうことがよくある。多分コツがあるのだろうが、そうなってしまった時のせっかちで短気なワタクシの対処法は、絡んだ部分を切断してしまうことだ。だから私の道具箱の針金のストックには、取り口がいっぱいあるのだ。
 この針金の絡まった部分を切断してしまう話を書いていてふと思ったことがある。この切断という対処法は夫婦関係における離婚ではないだろうか?そう言えば、原因がわからぬ内に複雑にからまったチェーンも、夫婦や友人など人間関係のもつれにも似ている。小さな絡まりのうちにせっせと解いて置かないと、気がついた時には「切断」しか方法が無くなるのだ。それなら私の芝刈りも夫婦のもつれを解く作業の一つなんだろうなあ。
(2014.5.21)

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