雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

カレーなる誘惑

2014年04月19日 | エッセイ

 カレーなる誘惑


 私が自炊を始めた18歳から今までの40年間に作った料理で最も多いのは間違いなくカレーだろう。今でも週に1回はカレーライス、カレーうどん、時にはカレー丼やカレーピラフ、ドライカレーのいずれかを作って食べている。カレーライスのカロリーが相対的に高いという家人のたびたびの注意勧告が無ければ、恐らく私は週1どころではなく週2回や3回はカレー系の料理を食べているに違いない。それ位カレー味が好きである。
 今迄「不味くて食べられない」というカレーに出会ったことがない。カレーであればたいていは食べて満足する。若い頃田舎の駅前の大衆食堂で食べた小麦粉とカレー粉で作ったやや粉っぽいカレーライスは、あれはあれで思い出のカレーの一つだ。私の母のカレーは鶏ガラや野菜でスープをとり、バターと小麦粉とカレー粉を練った自家製のルーで作ったレストランのカレーみたいな本格的な味だった。現在、私が作るカレーライスは「ハウス・ジャワカレー辛口」というルーを使い、大きめに切ったジャガイモ、タマネギ、人参がコロコロと入ったチキンかポークの昔風の定番カレーだ。ただカロリーが高いという家人の注意で、最近はサラサラのスープカレー仕立てにする。食べる直前に肉とタマネギや季節の野菜を炒めた具をご飯に乗せ、スープカレーをかけて食べるのだ。インスタントだがタイ風のカレーも近年食べる機会が増えた。
 私が自炊をする理由は、私の仕事場が自宅のある熊本市内から車で1時間20分ほどかかる天草の実家にあり、往復が面倒で週の半分は実家に泊まっているからだ。実家と言っても、父は亡くなり母も認知症がひどくて施設に入所しており、実質は単身赴任の一人暮らしなのだ。
 家人も近くに住む兄嫁も頼めば料理を作ってくれただろう。事実家人はよく副菜を作って持たせ、私が作れない料理頼めばいつでも作ってくれる。でも基本的に3食自炊をするのは、料理を作ることが嫌いじゃない、いやむしろ楽しいからである。材料は家人が買って持たせてくれた食料品をメインに使い、他に食べたい物やお酒や嗜好品は近所のスーパーに出かけて買う。
 小学生の頃に金曜日の学校の給食がカレーだったが、家の夕食も母親のチェックミスでカレーが重なり、でも好きだからさらに翌日の朝もカレーをスープにしてパンを食べ学校に行き、土曜日なので給食無しで学校が終わった後にたまたま招かれて行った友達の家のお昼ご飯がカレーライスで、それでも家に帰って夕食に母親の作った2日目の熟成したカレーライスを自ら希望して、5食連続でカレーを食べたことがある。中学校から高校の食べ盛りの時代は、まずは駆けつけ1杯でグーグーと鳴り続けていた空腹を満たし、2杯目はカレーの味を楽しみながらゆっくりと食べ、心残りの無いようにさらにもう1杯の合計3杯がカレーライスの基本の食べ方になっていた。
 カレーと言えばもう一つ思い出す事件が。子どもが小さい頃、私は今のように車通勤ではなく、列車とバスを乗り継ぎ通勤していて車で10分弱の最寄りの駅迄、家人は子ども達を乗せてよく3人で迎えに来てくれた。ある日そうやって家に帰ると、薄暗い我が家の玄関に人影が二人。突然でびっくりしたが友人のT夫妻だった。携帯電話が無い時代だ。「どうしたの?」と聞くと、届け物があり来たら留守だったけど、家の中からカレーの匂いがする。窓から覗くと灯りのついたままの食卓のセッティングが4人分だったので、私を駅迄迎えに行きすぐに戻って家族のみの夕食を食べるに違いないと推理し、自分達も食事に加わろうと近くの酒屋でビールを買い玄関脇で待っていたというのだ。それからT夫妻を含めて6人でカレーライスを食べた。さらにT夫婦はおかわりをするのでご飯が足りなくなって大急ぎで焚き直したのだった。それが語り継がれるカレー事件だ。突然よそのウチの夕食にビールを持って参加するのもスゴいが、ふつう遠慮しておかわりまではしないと思う(名誉のために書くが私達には遠慮しないT夫妻も日頃の気遣いや面倒見はスゴいのです) 。類は友を呼ぶ。
 それもカレーの誘惑だったかもしれない。
(2014.4.16)

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